気がついた本当の私_イラストレーター nodeko_potluck life vol.1
今回インタビューをさせてもらったのは、オーストラリア留学中に知り合ったnodekoさん。初対面の印象は、とにかくおしゃれで可愛い!東京から来た彼女は、都会の洗練さが溢れていて、毎日Tシャツにジーンズで過ごしていた私とは大違い。笑
そんなおしゃれなnodekoさんが描くファッションイラストからは、彼女のセンスの良さやファッション大好き!が伝わってくる。 小柄で可愛らしい雰囲気を持っているnodekoさんだが、話せば話すほど、彼女の”芯”が見えてくる。
自分の”好き”を突き詰め、フリーのイラストレーターとして歩み始めたnodekoさん。今現在も悩んでいると話す彼女だが、迷いながらもその時々、一生懸命に目の前のことに向き合い、一 歩一歩着実に前に進んでいる。
name : nodeko
出身地: 東京
お仕事: イラストレーター、グラフィックデザイナー
活動の拠点: 東京
Instagram: @nodeko_
枠にはまり、流されるばかりだった過去
母親が画家だったnodekoさん。幼少期から絵やアートが身近な存在であり、母からも大きな影響を受けていたが、同時に「絵で食べていくのは難しいから辞めておきなさい」と何度も聞かされていたという。”絵を描くことは好きだったし、学校でも図工や美術が一番好きな科目。だけれど、それを将来の仕事にしようとは思わなかった。”とnodekoさんは振り返る。
“将来や進路の相談をした時に何度か、母から「絵で食べていくのは難しいよ」と言われて、そちらの道に行こうとは思わなくなったんですよね。” 大学附属校の小中高に通っていたnodekoさんは、同級生のほとんどがそうであるようにそのまま進学し、学習院大学文学部哲学科へと入学する。美術は得意科目ではあったものの、外部受験をして美術系の大学へ行くという発想はなかったという。
“その当時は一生懸命考えて、自分の興味関心のある哲学・美術史の学べる学科を選んだつもりでしたが、今思うとまだ人生の目的がはっきり決まってなかったかもしれません。 内部進学の選択肢の中から、どれがいいかなって選んだに過ぎないというか。大学4年時での就活も、自分が今持っている可能性の中で一番合う会社や、クリエイティブな業界に携われたらいいなぁという感じで”。
美大卒ではないためクリエイティブ職での就活はできない。ただ、漠然とクリエイティブなことに携わりたい、という気持ちはあったという。総合職採用でも、デザインや創造性のあるプロジェクトに携われる可能性が高い、広告代理店やアパレル関係を中心に就職活動を行った。
“今振り返ると、あの頃は与えられた”枠”の中でしか考えることができていなかったと思います。心の奥に、本当はやりたいと思っていることがあっても、”枠”の外へ飛び出していく勇気は無かったんです”。
念願の就職、でも気がついた"本当の私"
クリエイティブな業界に興味があったnodekoさんは、第一志望だったアパレル会社に就職する。入社1年目は店舗研修で経験を積み、2年目は本社勤務に。総合職で入社した彼女が配属となったのは、生産管理の部署。工場との納期調整、不良品の回収や修理対応などが主な業務だ。
クリエイティブな仕事がやりたくて選んだ就職先だったが、総合職が任されるのは主に管理の仕事。デザイナーの周りで働く企画系のクリエイティブチームに憧れつつも、自分が日々目にするのは売り上げや前年比といったクリエイティブとは程遠い数字ばかり。アートやデザインに関わるようなことがしたいという自分の想いに気づきながらも、それを仕事面で発揮できない環境に、心の中のもやもやが段々と大きくなっていったという。
そんな悶々としていた社会人2年目に、東日本大震災を経験する。日々流れる被災地の様子やニュースに、人生は有限だということを思い知らされた。”私も震災や事故で今日、明日にも死ぬかもしれない。” そう考えた時に、やりたいことをやっておかないと後悔してしまう、という気持ちが膨らんだ。
”このまま不完全燃焼の毎日を生きていても意味がない。何かを変えなくては…”。そこからnodekoさんは、本当に自分がしたいことは何なのか、自分の中でくすぶっている想いは何なのか、今まで目を逸らしてきた自分の想いに目を向け始める。
人生最大の決断
自分は本当は何がしたいんだろうと、自分探しをする日々。ちょうどその頃、Instagramなどの SNSが登場し、個人で活躍する人が増え出した。nodekoさんも様々な情報に触れる中で、イラス トレーターになりたいと思うようになる。そこで、自分が好きなイラスト作家を多数輩出していた多摩美術大学 (以下:多摩美) のグラフィックデザイン学科を目指す決断をする。
厳しい倍率の中、せっかく就職した会社を辞めるのは、もちろんnodekoさんにとっても簡単な決 断では無かった。”新卒で入った会社を辞めることが正しい決断なのかどうか分からなくて…上司や人事、友人などいろんな人に相談をして、友達に勧められた占いにも行ってみたり…笑”。
悩みに悩んだ末、彼女はアパレル会社を退社し、1年間美大予備校に通い始める。そして1年後の春、晴れて多摩美への3年次編入を果たす。予備校の授業料や、大学の学費は、会社員時代にコツコツと貯めていた貯金と祖父からの孫貯金をつぎ込んで支払った。並大抵の想いでは、ここまでの決断はなかなか出来ない。
”美大を卒業して、その先で自分が仕事を出来るかははっきりと分からなかったけど、やりたいことをやらないで死にたくない。今よりもっと絵が上手くなりたい。もっともっと線が上手く引けるようになりたい!”。そんなパッションが込み上げてきたという。”自分の中にあるシンプルな願いに気付いた時に、胸が熱くなるのを感じたんです”。
nodekoさんにとって大きな決断だった退職と美大進学の道。”人生で初めて、まっさらな状態から、何の制約もなく決めた目標でした。自分が自分の中で考え抜いて、初めて自分一人で下した決断です”。周囲に流されやすかった過去の自分から脱却した瞬間でもあった。
人との比較から自分らしい作品作りへ
念願の多摩美での学生生活をスタートさせたnodekoさん。しかし入学早々、課題の大変さに衝撃を受ける。他の学生は1、2年生の時にデッサンや色彩の基礎をしっかりと学び、鍛え上げられてきた人ばかり。技術的に大きな差を見せつけられ、課題の量にも慣れてないため周りに付いていくのに必死だったという。”今までは絵が得意で、周りにもそう見られていたのに、多摩美に入ると自分がビリから数えた方が早くて…ショックでした。笑”。
3年次編入だからこその壁にぶち当たった彼女だが、ここで諦めず何とか生き残る術を見つける。
”自分なりに無い知恵を絞って考え、前回の作品の評価がイマイチだったとしたら、その理由を考え他の方向性を試したり。デッサン力は無いけれど、画材をいろいろ工夫して変化を出してみたり。鉛筆や筆にこだわらず、スタンプやデジタルで表現してみるなど、自分でトライ&エラーを繰り返してみました。”そんな彼女の工夫や努力が結果にも繋がり、4年次には講評時に上位作品に選んでもらえるまでに成長した。
卒業制作の大作も、彼女が自分の成長を強く感じたものの一つ。 “自分は服が好き。絵を描くのが好き。文章書くのも好き”。その想いから生まれたのが、自分のクローゼットにある服から100着選んでイラストを描き、1着1着に対しての自分の記憶をエッセイにして添え、本にするというアイディアだった。まさにnodekoさんだからこそ作り上げられた作品である。100着という膨大な量の作品を、最後は執念で何とか期日までに作り終えたnodekoさん。彼女の大作は優秀賞にも選ばれ、最後まで諦めないで作り上げたことが大きな自信にも繋がった。
突き詰めた ”好き” が自分の強みに
幼い頃から絵を描くのが好きだったnodekoさん。そこに服が好き、おしゃれな人を見るのが好き、おしゃれなコーデを見るのが好き、といった彼女の”好き”の要素が加わり、今のファッションイラストに繋がっている。
”前々から道行くおしゃれな人を描きたいとずっと思っていたけれど、 街行く人にスナップ写真を撮影させて欲しいと声をかけるのは私にはハードルが高くて…描いたイラストを載せる媒体も、ブログにするのがいいのか、ホームページを作るべきか、などいろいろ迷っていました。そのタイミングで、ちょうどWEARのアプリが登場したんです。これなら街に出なくても、アプリで全国のおしゃれな人のスナップが見れる!しかも同じプラットフォームでイラストをアップすることもできる!と閃いたんです”。
「WEARISTA」とは、おしゃれで影響力のあるファッショニスタとしてWEARが認定したユーザーのことだが、nodekoさんは、おしゃれなWEARISTAのコーデを自分のタッチでイラストに描く (DRAW) イラストレーターとして、DRAWEARISTAと称し、コツコツとイラストをアップしていった。すると驚いたことに半年でフォロワーが1万人を超え、反応があるから需要もある!これだ!と思えたという。
nodekoさんがDRAWEARISTAとして活動を始めたのは、多摩美に通っていた頃だったが、その後WEARのイラストに目をとめてくれた資生堂の担当者が、街中のスナップのファッションイラストを描く仕事を企画してくれたり、現在もシーズン毎に担当させてもらっているWoman CHINTAI、UNIQLOのカタログ、雑誌La farfaなどの仕事に繋がっている。
私らしさを創り出す"自分の軸"
イラストレーターとして個人で仕事を始めた時から、nodekoさんはしっかりと自分の軸を持っている。媒体としてはWEARからInstagramへと軸足は移しつつも、SNSのブランディング方針・nodekoさんのパーソナリティとして、ファッションをメインに扱うという点は変わっていない。
ファッションの切り口から外れる作品はなるべく自分のSNS上に載せないようにしており、PRの案件もファッションやコーディネート提案と組み合わせられるような内容のものに絞って受けている。 “ファッションイラストが自分のやりたい、描きたいと思う核で、人と差別化できる要素だと思うので。単なる画力では負けてしまうところも多いから…”。大勢いるイラストレーターの中で、自分らしさを出すために、きちんと戦略を練っているのだ。
クライアントワークの中でも、先方から指示のあった参考写真や雑誌の切り抜きなどをベースにしつつも、ポーズや洋服のディティールをアレンジするなどして、オリジナルのコーディネートに変化させ、nodekoさんらしい見せ方を作り出す。”ある程度トレンドのことも理解しながら、ファッション性のあるオリジナルのイラストを制作できる。これが私の強みかなとは思っています”。
"全て無駄では無かった" 挫折を経て辿り着いた場所
フリーのイラストレーターになるまでの道のりについては、”自分で掴んできたというよりは、挫折を経て、流れ流れて辿り着いたという感じ”と少し苦笑しつつ話すnodekoさん。
新卒で入社したアパレル会社の店舗では、上下関係の厳しさや、気遣いが求められる職場の中で上手く立ち回れず苦労したという。また多摩美卒業後に入社したデザイン事務所では、デザイン業界ゆえの深夜まで続く仕事に、体力・精神面の両方で限界を迎えてしまった。”イライラして後輩に強く当たってしまったり、寝不足でミスを連発し迷惑をかけてしまったり…。私は人と一緒に働くのは向いていないんだなと落ち込みました。余裕が無くなって周りを気遣えなくなり、職場の空気も悪くしてしまって…”。
仕事自体はやりがいも大きく、尊敬する上司の元で働くことのできる環境を離れることにも葛藤はあったが、ついに会社へ行くことができなくなってしまう。そして退職し「流れ流れて」フリーランスとなった彼女だが、結果として徐々に生きやすくなっているのも事実と語る。
”自分に合わないこと、苦手なことから逃げ続けていった結果、今の生き方に辿り着いている。自分の心が弱かったり、忍耐力や努力が足りないと悩んだこともあります。でも、結果として今シンプルに好きなことを仕事にして生活できているのは、辛いことから逃げてきたからとも言えるかも”。nodekoさんは無理せず、一番自分らしく働ける環境を見つけたのだ。
今だからこそ伝えたい言葉
今までの仕事を振り返ってもらうなかで、精神面で一番悩むことが多かったのはアパレル会社時代だったと語るnodekoさん。仕事が自分の本当にやりたいこととはズレていると気付きながらも、辞める決断がなかなかできずに悩んでいた時期だ。
「当時の自分へ伝えたい言葉は何か?」と尋ねると、しばらく悩んで、”「自分の気持ちに従って大丈夫だよ」と言いたいかな…”と返してくれた。”自分の心が燃える瞬間を見逃さずにいてほしいというか…直感?情熱?ちょっとぴったりくる言葉が分かりませんが…とにかく「自分の気持ちに素直に進んでいいんだよ」と伝えたいですね”。
”私は長い間、人生で自分が本当に何をしたいのか、ちゃんと分かっていなかった。そういう方って私だけじゃなく、案外多いんじゃないかな…。もしも、自分が何をやりたいかが既に分かっている場合には、迷わずその方向に漕ぎ出してOKだと思います。何をやりたいかを既に見つけていること自体が、とても価値のあることだと思うので”。
フリーランスで仕事をすること
〜聞いてみたリアルなところ〜
フリーランスで働き始めたnodekoさん。気になる収入面についても切り込んでみた。経費などを差し引いた確定申告による所得額の算出となるため、単純に会社員時代とは比較ができないが、生活面では今の方が金銭的にも時間の面でもゆとりを感じてはいるという。”頑張った分だけ数字につながるのと、受ける仕事の量や内容も自分で選べることがフリーランスの良いところです”。
以前受けた仕事をクライアントが気に入ってくれてリピートで依頼をもらえたり、過去の仕事を見て新規のオファーが来るなど、自分の努力が次の仕事へ繋がったときにも手応えを感じるという。ただ、年次によって給料が上がっていく会社員とは違い、フリーランスでは自分の年齢に合わせて単価・収入をアップさせるのが難しいのも事実。
”フリーランスになって、正直お金のことはすごい心配で。特に老後のこととか。笑 なので、資産運用などについても自分なりに学んで試行錯誤しているところです”。
ほかにフリーランスの働き方のデメリットはあるかと質問したところ、”一人暮らしで、仕事で人と対面で接する機会も少ないので、寂しいと思うこともありますね。今日誰とも喋ってないなぁ…とか。笑 学校や会社などのように毎日誰かと顔を合わせたり交流する場はないため、自分で自分をどう楽しませたり、息抜きをしたりするかが課題です”。
そんな中、プラスになっているのは、イラストの仕事とは別に掛け持ちしているグラフィックデザイナーとしての案件だという。イラストの仕事は個人での作業だが、デザインの仕事は、カメラマンやスタイリストなどとのチームワークが多い。
”自分とは違う感性を持った人たちと関わることが出来て、刺激、面白みがあります。チームで何かを作る喜びや苦労は、また一人で作るイラストとは違った味わいがあります”。
このイラストレーターとグラフィックデザイナーの二足の草鞋の働き方も、nodekoさんが自分なりに迷いながら辿り着いた生き方だ。イラストの仕事がデザインに生かせることもあれば、デザインの仕事で得た刺激がイラストのインスピレーションに繋がることもある。双方に良い影響や循環があるという。”自分の感性や、身につけてきた技術を使って、仕事ができていること、そして出来上がったものを喜んでくださるクライアントさんたちがいることを幸せに思っています”と、 彼女は明るい表情で語る。
name : nodeko
出身地: 東京
お仕事: イラストレーター、グラフィックデザイナー
活動の拠点: 東京
Instagram: @nodeko_
profile:
1986年 東京生まれ
2004年 学習院大学文学部哲学科 入学
西洋美術史を専攻 / 学芸員資格取得
2006年 オーストラリアへ交換留学
2008年 就職活動のため、1年間卒業を延期
桑沢デザイン研究所へダブルスクール
2009年 アパレル企業へ就職
2011年 東日本大震災 人生を考え直すきっかけに
2012年 退職 美大を目指し美大予備校へ
2013年 多摩美術大学3年次編入学
2015- 2017年
デザイン事務所に勤務
文具、パッケージなどのデザインを手がける
2017- 2019年
退職しフリーランスに
グラフィックデザイナーとして電動車椅子WHILLの仕事に携わる
イラストの仕事を本格的にスタート
2019 - 現在
パーソナライズシャンプー「MEDULLA」の広報誌デザイン・ SNSブランディングなどにデザイナーとして携わる
Woman CHINTAI、UNIQLOカタログ、雑誌La farfaなどのイラストを担当
#potlucklife #私の生きる道 #夢 #好きなこと #インタビュー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?