【ワーホリ】1年の振り返りー2020年ー
はじめに
訪問ありがとうございます。2020年11月からカナダで4ヶ国目のワーキングホリデーをしておりますMariと申します。
自己紹介記事はコチラ↓
今回の記事では、タイトルにあるように1年をふりかえってみたいと思います。各国ワーホリについて興味がある方は、ぜひマガジンから別記事も読んでみてくださいね☆
各マガジンまとめ
2020年は1月から10月までをニュージーランドで過ごした。
全てが順風満帆ではなかったし、ロックダウン(都市封鎖)も2回経験して、家族にも友達にも会えず、精神的辛いこともあった。
11月には当初の予定から大幅に遅れてカナダに入国。
2週間の隔離を経て働き始めた。コロナの件数はNZと比べるとだいぶ多く、年末現在でも規制中で基本ステイホームの日々を送っている。
月ごとに写真とともに振り返っていこう。
1月 仕事を辞め、オークランドへ
2019年10月からニュージーランドでワーキングホリデーを始めた。
この月は10月から開始した仕事を辞めた月だった。
住込みで働いていた職場
約3ヶ月、ホテルでレセプショニストして働いた。
仕事を辞めるまで色々と悩んだが、自分にとってベストな環境ではなかったのでステップアップすることにした。
ニュージーランドの南島から北島に移り、イギリスでやっていたオーペアの仕事を再びすることにした。
道中、2週間ほどかけて北島を旅した。そのようすはこの動画でも紹介している。
1月下旬、オークランドに到着した。
フランス人家族の元で2ヶ月ほど働く予定
2月 週40時間+から、週10時間労働へ
元々10月に来る前に、翌年3月くらいにカナダに渡航しようと思っていた。ここのフレンチファミリーもその事は承知で雇ってくれた。来月の渡航に向け、飛行機や保険など準備を進めた。
実際は週20時間でNZ$200いただけることになっていた。
だが片親がいることが多く、実質10時間も働かない週が多かった。
それでも必ず$200は毎週いただけていたので、なんだか申し訳なくなるような・・・。
正直、2月は暇を持て余していた。
子どもたちは8才と11才で学校に行っているし、来月ニュージーランドをいなくなる(予定)なのに積極的に友達を作る気にもなれず。それでも適度に出かけるようにはしていたが、当時は今のようにYouTubeをしたりこれといった趣味がなく、1日が長かった。
そんなどんより曇り空のような心とは対照的に楽しい出来事もあった。
ずっと乗りたかったハーレーダビッドソンに乗せてもらったのだ。ドイツ人の知り合いで、Pihaというサーファーに人気のビーチまで連れていってもらった。
夏の終わりのニュージーランド
暇で暇で死にそうな毎日だったけど、もがいてどうにか楽しくしようとした1ヶ月。
月末、南島でできた友人(アメリカ出身)がオークランドに遊びに来たので一緒にコロマンデルへ。久々の長距離ドライブにドキドキしながら無事故で帰ってこれたことに感謝。(NZに来るまで人生で数回しか運転してこなかった)
3月 ロックダウンを機にYouTubeを始める
去り行く夏を惜しむように、またNZにお別れ(するつもりだった)する前に自然を満喫した。
Takapuna...ではなくこちらはミッションベイ。
友達とカクテルバーに行ってみたり
この頃はコロナの足音がせまっているとは、つゆ知らず・・・
そしてカナダ渡航の1週間ほど前。バンクーバーにいる友人からカナダ国境閉鎖の連絡が入る。
その日に航空券をキャンセルし、保険の返金を請求したりバタバタ。
その週に、翌週からロックダウンが決まる。ここのファミリーには先月ノーティス(辞める告知)を出していたので、この1週間で急いで次のファミリーを探す。というのも、ロックダウン禍においてはエッセンシャルワーカーの移動等を除き、引越しが禁止だったからだ。
短い間にお尻に火がついた私は、3~4組の家族とオンライン含めた面接を果たす。そのうち一番最初にオファーをくれたファミリーの元で働くことに。
なんとか仕事も家も失う最悪の事態は免れた。まさに綱渡り状態である。
ロックダウン前日の3月25日、引越し完了
英語、フランス語とも話すバイリンガルなkidsと
4月 新しい家族の元を秒で去る
もちろん秒で去ったわけではないが(笑)、色々あってKiwiシングルマザーの元を去る事にした。子どもたち(5才と8才の女の子)とは仲良くやっていてなついてくれていたが、ここのママさんと合わなかったことが一番の原因だ。お互い話し合いをして、合意の上で辞めることとなった。
その時はロックダウン中だったのでどうしようと思っていたが、以前インタビューした家族に連絡したところ、なんと昨日ドイツ人オーペアが辞めてしまったとのことで(それもいきなり)、いつからでも来てほしいと。そして彼女がエッセンシャルワーカー(病院関係者)だったため、引越しも問題なく完了。怪我の功名とはこの事だ。
結果的に新しい家族の元ではビザが切れるまで6ヶ月働くこととなり、オーペア動画作成に協力までしてもらえた。世の中上手くできているものだ。
ロックダウン中、Kidsと毎日お散歩。
ご両親はマレーシア出身だが、Kidsは生まれも育ちもニュージーランド。
彼らのデイケアがクローズしていたので、日中6時間ほどkidsと過ごす。
お陰でスムーズに信頼関係を築く事ができた。
4月のおわり頃、一番厳しかったアラートレベル4から3へと下がり、毎日撮影して毎日更新したロックダウンチャレンジを終えた。このお陰で毎日割と忙しかった。
5月 少しずつ日常を取り戻す
アラートレベルが3から2に下がり、ショッピングモールで買い物ができるように。レストランでも店内で食事ができるようになり、ファミリーと一緒に一風堂へ。
久々のラーメンは一層美味しく感じた。
また、約2ヶ月ぶりにウインドウショッピングをしたり、一緒に暮らしている人たちと会えるように。
オシャレな地域、Ponsonby(ポンソンビー)でブラブラ
仕事をしていない時は、それまでの写真を整理したり、ワードプレスでブログを始めてみたり、早起きして瞑想してみたり、色々と実験をしたような時期だった。
6月 数ヶ月ぶりのソーシャルライフ
この頃にはコロナの件数はほぼ0だったと思う。(あったも一桁とか)
3月からほぼほぼ自分のバブル内での生活をしていたが、この頃には大人数のMeetupにも参加できるように。
ハイキング大国ニュージーランドに来たので、山より海派の私も挑戦してみることに。
ランギトト島より見たオークランドCBD
別の日に参加したハイキンググループ
KidsのママさんとCafeに行ったり
寒くなってきたので、友達とロトルアへ温泉旅行へ行ってみたり
この数ヶ月のステイホームでできなかった事をどんどんやった月。
辛抱した甲斐あってか、楽しい日々が戻ってきた。
ロトルア旅行はこの動画でもまとめてます☆
7月 ニュージーランドを味わい尽くすつもりで
6月頃から美容院も営業を再開し、1年以上ぶりに髪をバッサリ切った。あーすっきり。延長してもらったカナダの入国期限が暫定7月末までだったため、さらに延長してもらえない場合に備えて悔いのないようにやりたい事全てやった。
Kiwiの参加するSpeaking練習的位置づけのMeetupに参加してみたり
(ちなみに写真のお姉様はアイリッシュ)
Jazzコンサートに行ってみたり
ハイキング行ったり
友人と3回目くらいの(←)スカイタワーに行ってみたり
(ちなみに彼氏ではありません)
ワイヘキ島でワイナリー行ってみたり
マレーシアファミリーとその友人一家総出で雪山へ行ったり
(ちなみにスキーもスノボもしてません・・・)
もしニュージーランドを離れても悔いはない!って感じで色々と出かけた。いやー、たぶん私のNZステイで一番楽しい月だった。
今までは海外で日本人の友達ってあまりいなかったのだが、(いても各国一人か二人)こうしてホームパーティに呼んでもらったりして、大人数でワイワイするのも楽しいなぁと何年ぶり(?)かの談笑を楽しんだ。
※このうち3人は後ほど動画でインタビューさせてもらった
ただ、カナダに行くのか行かないのかの決め手となるイミグレからの返答がかなり遅く、月末はプランの変更で本当にバタバタした。当時の心境を語っている動画がこちら。
結果的に11月まで入国が延びたのでニュージーランドに滞在することになったが、本当、航空券の変更とか・・・疲れた。
8月 再びロックダウン、そして風邪でダウン
南半球にあるニュージーランドは冬。風邪のシーズンの到来。上旬は相変わらず週末を利用してMeetupに参加したり、友人とcatch up.
行きたかった人気cafe、Amanoへ。
久しぶりに参加したLanguage exchange meetup.
日本人と、日本語を学んでいる日本人以外の人たちが参加している。
何回目かのCornwall Park.
そして2度目のロックダウンはいきなりやってきた。
今回のロックダウンは、自身が風邪で弱っていたのもあり、3月から4月にかけてのロックダウンより一層乗り越えるのが厳しく感じた。7月が楽しかった分、友達に会えなかったのは辛かった。
風邪をひき、念のためコロナの検査に行くことに。
(後日陰性の連絡あり)
1週間ほど自宅で安静にしていたが、体調が回復してからは近所へ散歩へ。
シルバーファーン
月末、ここのファミリーと久々ビーチへ
レベル3がレベル2.5とかよく分からないメジャーに移行する前日。
みんな今回のロックダウンは前回ほどシリアスにとらえてなく、普通に出かけていた。それでも、なるべくソーシャルディスタンスはとるようにした我々。
まさかの再ロックダウン(レベル3)に見舞われた8月だった。
9月 カナダの準備と北島旅行
10月末にカナダにいよいよ渡航するため、そのジョブオファーを取得するためにオンラインで面接をいくつかしたり、急遽キャンセルとなってしまった航空券を抑え直したり、あまりよく知らない、オークランドより北の地域をドライブで旅行することに。
近所のロシア人一家の食事に及ばれしたり
友達と行った事ないビーチへドライブしたり
何百段あるか分からない階段をヒーヒー言って登った先でTMレボリューションしてみたり
(※北島ドライブ旅行)
こういっちゃなんだが、コロナパンデミックが起こらなったらこんな美しい景色を見ることもなかった。
オークランドに戻ってきてからもOnline Meetupに参加したり
レベル2.5という厳しいのかどうか分からない規制の中、ステイホームなりに毎日を充実させるように意識して過ごした。
10月 ニュージーランドからカナダへ
ニュージーランドに来て1年。集大成に南島を12日かけて旅行することにした。上旬は友達と会ってカナダへ行く前のお別れをしたり、旅行の計画をしたり、カナダ渡航に向けての最終調整をしたりしながら過ごす。
初めて行った近所の美容院で、髪色を暗くしてもらった
Korean nightという高校の文化祭のようなものを観に行けた。
若い子たちのみなぎるパワーに圧巻された2時間。
また、南島に行く前にニュージーランドでできた友人へのインタビュー動画を撮影。年末までに全て編集してアップロードすることができてホッと一息。
北島&南島の旅行は動画にまとめた
直接YouTubeで観たい方はこちらからどうぞ☆
マウントクックも晴れてくれた
2度のロックダウンを共に乗り越えたファミリーとのお別れディナー。
今振り返ると、この家族も元で半年働けてよかった。
kidsもなついてくれたし、彼らのママとは誕生日まで一緒だった。
南島旅行から戻ってきた翌日にはカナダ行きだったため、荷ほどきして洗濯したらすぐに荷造りに取りかかった。
来た時には1つだったスーツケースも、日本から冬服の入ったスーツケースを送ってもらい2つに。
10月末、幾度かの渡航延期を経て、ついにカナダへと飛び立った
3月から渡航を延期すること2回、3度目の正直
11月 カナダで2週間の自主隔離を経験
カナダにて隔離生活が始まった。春のニュージーランドから秋(冬)のカナダへ。
2週間、私の雇用主が用意してくださったフラットに滞在した。散歩も買い物もできない生活だったが、友人とテレビ電話したり、オンライン英会話をしたりして乗り越えた。隔離中に英語テストのCELPIPにも申し込んだ。
基本的にはnoteの記事を書いたり、好きなことをして過ごした。
動画はこちらから☆
隔離を終えてからは、ファミリーと一緒に住み始め、翌週から仕事を開始した。
隔離が終わる事には紅葉の見ごろは過ぎていた。
バンクーバーは11月上旬に日本でいう緊急事態宣言のようなものが出され、罰金は明確に記載されてないものの、自分の同居人以外との外出が、一部例外を除いてできなくなった。
カナダに来て初めての散歩をここのファミリーと
オーペアとして一緒に住んでいるのはカナダ人のご家族で、ママさんは喋るのが早いけど、いい家族だ。
私の仕事柄ステイホームが基本なので、(もちろん日中や就業後は普段だったら外出するけど)溜まったインタビュー記事の編集をしたりしてそれなりに充実した日々だ。
雨が多いので、ほとんど外に出ない日々。親族に配送を頼んでおいた日本の通信大学のテキストが届いたので、ぼちぼち学習を開始。
12月 カナダで迎えた初めてのクリスマス
ステイホームの静かな1ヶ月。日中は家に一人なので、オンライン英会話に参加したり、YouTube動画の編集をしたりして過ごした。
免許証の書き換えをしたり
CELPIPの受験したり
風邪ひいて1週間以上元気がなくてやりたい事ができなかったり
今シーズン初の雪を観測したり
静かながらも物事が淡々と進んでいった月だった。
クリスマスはこちらのファミリーとカナダらしい時間を過ごした。
Kidsの祖父母からいただいたギフト
kidsが学校がない間ここのご両親も仕事休みなので、私も冬休みを2週間ほどいただいている。YouTubeの撮影・編集をしたり、友人とvideo chatしたり、たまーに大学の勉強をしたりして過ごしている。
おわりに
コロナパンデミックが一人一人にもたらした影響は計り知れない。
だが、そんな中で人との繋がりや何よりも自分自身の深い部分と再度つながることができたのは不幸中の幸いといえようか。
時代の流れをコントロールすることは我々にはできないが、その代わりその状況をどうとらえ、どう行動するかを選ぶことはできる。
先の見えない1年を過ごしたが、そんな中でも現在を生きることで改めて人は一人では生きていけないという事を思い知った1年でもあった。
自分の中での一番の変化は情報発信を本格的に始めたこと。
ずっとやりたくてもきっかけが掴めずにいたが、ロックダウンが一歩踏み出す時間ときっかけをくれた。
2021年はどんな年になるだろうか。また、どんな年にしたいだろう。
これまでの3年間が流浪(るろう)の年だとすると、これからの3年は根を張る年になるだろう。自分の心の拠り所や社会における役割を認識していく時期。過去3年間の経験を通じ、ようやく自分の進みたい道筋が見えてきたといったところだろうか。
最後に、相田みつをさんの有名な一節でこの記事を締めくくりたい。
しあわせは いつも自分のこころがきめる
よい1年をお過ごしください。そして、2021年もよろしくお願いいたします。
2020年12月31日 カナダはバンクーバーの自室より
Mari
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