良い音楽は自由であったかい
音楽が好き!
子供のころ、よく車で両親の好きなジャクソン・ファイブとスピッツが流れていた。
中高は吹奏楽部だったけど、
厳しい上下関係で縛り上げられるその組織が、
私は正直なところ、あまり好きではなかったかもしれない。
大学で、ジャズに出会った。
ビッグバンドに入って、テナーサックスを始めた。
ジャズには詳しくなかったが、ふと思い出すと、
高校の時に気に入って聴いていたアルバムは、主にジャズのスタンダード曲を集めたものだった。
大学1年生の冬、自分のテナーサックスを買った。
学園祭で、ひとりでふらっとジャズのセッションクラブの公演を見に行った。
廊下の隅の教室で、こじんまりと集まっている男の人たち。
なにやら同じ黒い本をみんな持っているらしい。
次はなんの曲にする?と相談している。
…セトリ、決まってないの、、?
と思った。
私の不安をよそに、彼らは次の曲について合意したらしく、それぞれの楽器を構えた。
怠慢だけど、その時の感動と興奮を文字に起こそうとしても上手くいかない。
とにかくすごかった!
しっとり哀愁を含みつつも、軽快に跳ねる場面ではこちらを自然に踊らせるようなピアノの魅力!!
ギターの速すぎる、けど正確すぎる、見事なフレーズには感激の拍手が止まらない。
後ろでリズムを刻んでいるベースとドラムは、メロディを引き立たせるよう裏方に徹しながらも音色に味があって、ソロではすごく光る。
なんだこれは!
自分もやりたい!!
その瞬間から、その先輩たちは
私の目にとても魅力的に映り、
私のヒーローになった。
気づいたら、話しかけてその場で入部していた。
ジャズ研の先輩たちは、最初は私が勝手に怖がっていたから(上手い人って恐れ多くて)距離があったけど、
私にやる気があると分かると、熱心にたくさんのことを教えてくれた。
だんだん仲良くなって、みんなでごはんに行ったりもした。
すこし不器用だけど、
とっても優しくてあたたかい人たちだ。
そんなジャズ研究会は、私の好きな場所。
セッションは怖い。
いまでも怖い。
今までは、楽譜の通りに吹いていれば良かった。ソロも譜面に起こしてあるものがほとんどだ。
セッションでは、
アドリブを取らなければならない。
先輩がやっているのを見ると、軽快なリズムに体が自然と揺れて、楽しい気持ちになって、
やりたい気持ちがむくむく湧いてくるし、
自分もちょっと参加すれば
簡単にできそうな気がする。
でも、いざ輪の中に入ると、たちまち大海原に投げ出されたような気分になる。
キーがわからない。
コードって何?
とりあえずやってみようと言われても、
何を吹けばいいのか分からない。
見当違いな音ばかり出る。
手当たり次第に吹けばいいものでもないんだ。。。
上手い先輩は、感じろ、と言ったけど、
その先輩はコードの仕組みをちゃんと分かっていたし、難しいフレーズも指が覚えたように動く。
相当な、という言葉では陳腐なほど、
努力をしたことは誰の目にも明らか。
コードに、スケールに、いかしたフレーズに、
覚えることだらけ。
ツーファイブワンとか、ブルースとか、
なんかよく分からない言葉だらけ。
これから何をやればいいのか分からず、
諦めかけたこともあった。
でも、もうすぐ3年になる今までジャズの魅力から抜け出せず、
少し上手くなった?と喜べば
全然だめだ、、と落ち込んだり、
揺れ続けながら音楽をやり続けているのは、
やはり音楽の自由さと温かみ、にとてつもない魅力があるからだと思う。
吹奏楽部で何も考えずに音楽を奏でていた頃の音楽とは全く違う、生きた音楽。
なぜこんなにも私の心を揺さぶるのか?
なぜiPhoneで聴く音楽よりもなによりも、
実際にライブハウスで聴く音楽に興奮するのか?
最近、こんなことを考えていて、ふと文章に起こしたくなった。
まだまだ未熟で、ドリアンスケールがなにか、ちゃんと答えられず今からちゃんと勉強しようと焦っているような私だけど、
この身で感じる、おなかの奥の方が震えるようなこの感動は、ほんものだと思う。
音楽は、人生において欠かせないもの。
これからもずっと苦しめられ、支えられ、私の人生を彩るだろう。
🍳
どれだけ見た目や生活で努力しても、
些細だけども どっちり心に響く感動をした後ほど
人が魅力的に見える時はない
ということも、忘れずにいたい。
今日起こったこともまた別で書きたい。
悔しさと人の優しさへの感動と、これから猛烈に頑張るぞ〜というやる気が入り混じった興奮を湛えた今の私は、私の中でも好きな私。