色とりどりのガラス玉
小さい頃から一つの夢を追いかけて、努力して、それを叶える人。
わたしの周りにも何人かいるよ。
かっこいいよね。筋が通ってて、まっすぐで。憧れる。
わたしもそんな風に生きることがよいこと、と思っていたし、そうなりたいと努力した。大学に行き、学び、それを生かして働かなくちゃ。
大学から新卒で大きな会社に勤めて、定年まで勤めなくちゃ。
いい妻で、いい母で、できる社会人でいなくちゃ。
幼稚園のママたちともうまくやらなくちゃ。
料理も片付けもしっかりできなくちゃ。
わたしの頭のなかは「しなくちゃ」でいっぱいだった。
そうしないと、価値がないような気がしていた。
でもそんなまっすぐに来られなかったんだよね。
引越しが重なったこともあるけど、そのときその場所で一番興味があることを仕事にしてきたから、バラバラと点のようなキャリアのわたし。
「前と全然違うことしてるじゃん笑」って、同窓会のたびに笑われたな。
30歳過ぎて周りを見渡すと、みんな、新卒から続けてきた仕事でそこそこ偉くなっていたり、賞をとったりしていてさ。
悔やんではいないが、ああ、わたしはまっすぐ線をつないでこられなかったなあ。っておもっていた。
でも、今フリーランスになって、やっと「点でもいいんだ、ここからつなぐんだ」って思えている。
外の誰かと比較してしょんぼりしたって、それでわたしの今までの人生が修正できるわけではないし。
一つのことにじっくり取り組んできた人のキャリアが、キラキラ輝くダイヤモンドなら、わたしのキャリアはたくさんのガラス玉だ。
でもそのガラス玉も、よーく見るとなんとなく色が似ていたり共通項がある。いっぱい集めてみて、やっと見えてきたもの。
(これを小学生や中学生で発見してた人もいるんだね、すごい。)
反省は山ほどある。失敗も数え切れない。思い出すと幼くて浅はかで恥ずかしいこともわんさかある。ごめんね、と言いたい人もありがとう、と言い足りない人も沢山いる。
完璧主義で、カッコ悪いところは見せたくない。でも見せるしかないような状況も多くて、でも、それでも、「それでいいよ」といってくれる友人や仕事仲間がいることで、「こんなわたしでも大丈夫なのか」と思えるようになった。
まだまだやってみたいこと、実現させたいことだらけ。
小さい頃から好きだったこと、チャレンジしてみたかったこと、立ってみたかった舞台、憧れた肩書き。
少しずつそこに近づいている気がしている。そして予想外だったのは近づけば近づくほど、生活の土台もしっかりしてきていることだ。逆だと思ってた、グラグラして不安定になると思っていたから、すごく驚いている。
余計な御世話かな、ともおもうんだけど、「自分の持っているものなんてビー玉だ」って思う人がもしいたら、それをたくさん集めてみてほしい。仕事じゃなくたっていい、やってみたいと思ってたこと、とか食べてみたいと思ってたご飯、とか、小さくていい。手の中のビー玉を一つずつ増やす。そのうち、ビー玉同士が似た模様だったり、色が似ていたりしてることに気づくかもしれない。
遠回りしてわたしの両手いっぱいになった、色とりどりのビー玉。
そのまま両手を差し出して、好きな色を選んでもらって。それでそのひとの笑顔をみられたらうれしい。それだけ。
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