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【小説】(15)限界集落に出戻ったら工芸職人の幼馴染と再会した話

銀に白鹿、春嵐



 車は山道をとろとろ走り、白銀村の手前までやってきた。
 一言に山道といっても、ちゃんとオレンジ色のセンターラインがあるれっきとした県道で、しかし街灯はなく、民家もない。
 自分のヘッドライトが照らすだけの先の見えないカーブばかりの道は、慣れた者でないと運転するのも一苦労だ。そして村以外の人間は必ず車酔いする。

 夜景が見えるような景色ではないし、夜のドライブなどとは到底言う気にもなれない。どちらかというと肝試しに近い風景の中で春鹿のスマホが震えた。

 メッセージを受信している。
 率からだった。

 住所変更ができていない春鹿宛ての郵便物を、昨夜渡すのを忘れたとのことで、『次会った時に渡す? それとも送る?』とある。
『まだ食器を送ってくれてなかったら、そこに一緒に入れて』と返した。
 春鹿はマンションを出るときに、段ボールの梱包まではしてきたが、発送は率に任せて出てきたのだ。

 春鹿は晴嵐の方を顔だけで向いて、
「今日も迎えに来てくれて、こっちに帰ってからもいろいろお世話になって、それはホントに心から感謝してるけど、何でもかんでも晴嵐頼みなのは、なんだかズルくてあざとくてしたたかな女のすることのような気がして落ち着かないの。だから今後はもうこういうのやめて」

「なんのごとだ? ズルい女? なして? どこがだべ?」

 晴嵐が怪訝な顔をする。

「都会ではね、都合よく人を使うのは嫌がられるの。だから今、都合よく晴嵐を使ってる私はすごく居心地悪いわけ。確かに田舎暮らしは助け合いも大事だし持ちつ持たれつなのは本当だけど、私はできるだけ人に頼らず自立して暮らしていきたいの。誰かに頼るのは本当に困った時だけにしたいっていうか」

「ふーん? ま、都会暮らしが長いどそうなるべや。戸田や千世も村に来だ当初は甘えるのが下手だったべ。けんどどんどん厚がましぐなってきやがって今では顎で使われでるべ」

 だから、おめもすぐ遠慮なんがなぐなる、と鼻で笑う。
 遠慮しているわけではないのだが。

「……正直なところ、あんた限定でダメってとこもあるの」

「俺限定?」

「白銀に帰ってきてね、あんたになんでも頼ってると自分の弱さを痛感しちゃうと言うか、『あー、私って実は弱ってたのかな』とか『実のところ、こっちに帰ってきたのは逃げだったのかな』とか考えちゃって、自己肯定感が下がる」

「なんだそれ。東京でなんかあっだべか?」

「いや、別に何もないんだけど」

「逃げてぎだのか」

「違うけど。そんな気になるってこと」

 春鹿は視線を真っ暗で何も見えない窓の外に向けた。
 晴嵐の声が春鹿を向いていた気がしたが、無視して窓の外を見続けた。

「おめが言ってるこどの意味がよぐわがんねけど」

「わかんなくてもいいから、とにかく明日からあんまり私に構わないで」

「構うってどんな」

「送ってくれたり迎えに来てくれたり、どっか連れて行ってくれたり、その他にもいろいろ親切とか」

「わがった。けんど、それ以外はいんだな?」

「うん……。話したりするだけなら別に……自己肯定感は下がらない、と思う」

「……自己肯定感ねぇ。ま、おめが言うなら仕方ね」

 晴嵐はしぶしぶといった様子で、だが納得したようだった。

 白銀村の集落に入る。
 晴嵐は村の中の道を通って、春鹿の家の前に車を停めた。
 明かりはついているが玄関の鍵は閉まっていた。

「吾郎さはジャリさん家に行っでると」

「せっかく駅弁買ってきたのに」

「俺さ食いだい」

「じゃあげるよ」

 土産の紙袋を両手に晴嵐は家の中までついてきた。
 誰もいない居間に、紐の下がった古ぼけた蛍光灯が点いたままになっている。
 照明器具なのに、その薄暗さやるや。

「……別世界、再び」

 春鹿は上がり框の板の間に鞄を置いて、自分も腰を下ろした。

「……同じ国、いや同じ星とは思えない」

 時代も時期もばらばらの、その都度単品で買い足されていった家具や家電のせいで生活感丸出しの家の中。
 春鹿はたまらず、そのままゴロンと寝転んだ。
 いつも天井に当たり前にありすぎて普段は見過ごしている梁をあらためて見る。感動するほどの太さもなく大して立派ではないこの丸太を、率が初めてこの家に来た時、すごいすごいと言ったことを思い出した。

「東京なんてよ、こっだらところからしでみりゃドラマの中の世界みてなもんだべ。俺にどってもそうだ。東京は別世界すぎて、こごと地続きとは信じられねもん」

 晴嵐が、紙袋から勝手に数々の土産物を出しながら言う。

「まるで東京に行ったことあるみたいな……」

「あのなぁ、俺だって東京さ行っだごどぐらいあるわ」

「えっ、そうなんだ」

 春鹿は勢いよく起き上がった。なぜか意外に思えた。確かに晴嵐にだって東京に行く権利もあるし、行くこともけして難しくない。旅行かもしれないし、用事だってないことはないだろう。

「連絡くれればよかったのに」

「勝手に連絡先変えでたのおめだろが」

「あー、そうでした」

 春鹿はこめかみを掻きながら、パンプスを脱いで板の間の冷蔵庫を開ける。
 缶ビールを二本取り出し、一本を晴嵐に差し出した。
 土間に立ったままでいた晴嵐が、春鹿の隣に腰を下ろす。

「あんたはこっちの方が似合ってるよ」

「誉め言葉には聞こえねけど」

「いい意味で言ってる」

「じゃ、素直に喜ぶとするべ」

 後ろ手をついて、くつろいだ姿勢でいた晴嵐は、春鹿を上目に見て笑った。
 春鹿は思わず目を逸らし、プルトップを引く。

 ビール缶を開ける音は全国共通だ。アルミが開く金属音、炭酸が抜ける破裂音、それは東京白銀問わずおそらく場所が地獄であっても、一定のカタルシスが得られる。

「なんか不思議だね……。今もこのときも、東京は東京に存在してて、ここと同じ時間が流れてる。刻んでるのは同じ日の同じ時刻なのに、流れてる時間はまるで違う。今夜も東京では友達が変わらず暮らしているのに私はここにいて」

「……いぎなりなんだべ、ポエム?」

「バカにしてる? せめてセンチメンタルとか言ってよ。……ちょっと感傷的になってるだけ」

「東京で英気を養ってきたんでなかったのが? 東京シックか? それとも、本当になんがあっだ?」

「……ううん、楽しかったよ、久しぶりに。友達も変わらなかったし。ましてや東京が恋しくなってるわけでもない」

「なら、なしてそんな物思いにふけっでるみてなテンションなんだべ? 疲れだのか?」

 東京に住んでいた時と変わらず時を過ごした。人の多さや騒がしさは久しぶりだったが、そんなことにさえ疲れるほど春鹿はまだ白銀に染まってはいない。

「……私が帰って来たことって、村でおもしろおかしく噂されてる?」

「なんだ、それを気にしてんだべか?」

「ううん、それは別にどうでもいいの。うちのお母さんが出て行ったときに散々言われ慣れてるし、きっと私が東京行った時もろくなこと言われてなかっただろうし」

 晴嵐は少しだけ言葉に詰まってから、
「おめは勉強もできたし、村さ出ていっで当然だとみなが思っでたで……な。まあ、娯楽がねし、狭い世界だすけ、誰がどこの誰と結婚したとか別れたとかどこの畑はどうだ嫁姑とか、そういうのはよぐ聞ぐけど、まあ別に白銀に限っだごとではねぐ日本全国、それごそ東京でだってある話だろ」

「うん。でも、田舎のゴシップはある意味わかりやすくていいねぇ。あけすけというか」

「噂話にわがりやすいもわがりにぐいもねえべ」

「……いや、東京は、デリケートなものは全部薄氷の下に隠すみたいな、そういうズルいところがある気がする」

「意味わがんねよ。もっとはっぎり、わがりやすぐ言えや」

 春鹿はそれに答えず、かわりに玄関口の上に貼ってある札に視線を投げた。
 動物を祭神として祀っている近くの神社のものだ。
 山で狩る獲物は皆、神様の化身であったり使いであったり、山にはそんな信仰の下で入らねばならない。
 吾郎も山に入るときは禊もし、この札にも長い祈りを捧げていた。今も変わらず毎朝毎晩手を合わせている。

「私がこっちに帰ってきたのはね、夢を見たからなの」

 晴嵐は口をつけていたアルミ缶を離して、「夢?」という単語を呟いた。

「雪山、季節はたぶん春。日差しが冬の太陽じゃなかったから。真っ白な山に、白い鹿がこっちを見てる夢」

「白鹿って、おめが生まれる時に吾郎さが山で見だっでいう話か?」

「うん、たぶんその子。っていっても、私は実際に見たことないから、私の想像上の白い鹿だけど」

 春鹿の誕生を間近に控えた春の日に、吾郎は、季節外れの吹雪が去った山で一頭の白い鹿に出会ったらしい。春鹿という名の由来はそれだ。
 吾郎も、後にも先にもそれきり、一度だけしか、その白鹿にまみえたことがないという。

「その夢を見た朝、ふと、帰ろうって思ったの。呼ばれたのかなって、ガラにもなく思ったりして」

 春鹿は、たとえば占いやスピリチュアルな世界を真正面から信じているタイプではないが。

「帰ってきた理由はそれ。誰がなんて言おうと、戻って来たきっかけはそれだから」

 春鹿はそう言って、ぐいとビール缶をあおった。


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