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(小説)坂巻君はツンデレをやめたい⑱

 坂巻の近くには、坂巻的に納得のいかない、たとえば部屋に投げ捨てられたタオルとかしかなくて、袖で拭いてくれようともしたけど明らかに躊躇して、洗面所に新しいタオルを取りに行こうと腰を上げかけた坂巻を引っ張った、

「大丈夫。もう涙止まったし」

「まじで……?」

 私が自分のカバンからタオルハンカチを出して拭ったから、行き場のなくした手を何度か意味のない動きをさせて、そして何か言いかけたかと思うと、私から離れたところに場所を取って散らかる荷物をざーっと寄せたかと思うと、そこに正座した。

「坂巻、寝てなきゃ……」

 真っ赤な顔で、熱でとろんとした目をしていたのに、「真野」と改まって私の名前を呼んだ時、坂巻の瞳はじっと私を見据えていた。

「真野さん!」

「……はい」

「6年のとき、好きでした!」

 私は、はい、と答えたはずなのに、なぜかそれは声にならなかった。
 喉の奥が狭くなったような、痛くなって、声が出なくて。また、涙が止まらなくて。

「……あん時の俺はマジでクソでバカで。俺こそ、ごめん。なのに、ありがとうとか言ってくれて、俺こそ、ありがとう」

 両ひざに握ったこぶしを置いて、深く、土下座じゃないけど、深く頭を下げて、長い間その状態で、私が、
「顔、あげてよ」と言ったら、ゆっくり体を起こして、そうして見えた顔は笑っていた。
 熱でしんどいはずなのに、妙に晴れ晴れとした顔で。

「今、真野が笑ってて、いや、今現在は泣いてんだけど、高校では、ちゃんと恋愛してて、彼氏イケメンだし、幸せそうで……それを見られて、よかった。真野が幸せならOKです!」

 歯を見せて笑う坂巻は、親指を立てて、いいねのポーズをする。
 
「なんてな!」
 あはは、とわざとらしく、正座をしたまま、頭をかく。

 え。なにが。なんで。そんな。それより。

「彼氏……って誰のこと? 私、彼氏いないよ?」

「え、……た、くみ……だろ? だって……」

「違うよ! 付き合ってない。なんで、巧……」

「いや、だって……ごめん。その、見ちゃって……巧が買ってたし……」

「……何を?」

「え、えっと……その」

 もごもごと言いにくそうに、 
「ゴム……」

「ゴム?」

 って、髪の毛の? なんで巧が。

「だから、二人がそういう関係なんだって……思って」

「……そういう関係って? え、ゴムって……まさか、巧。……あ、あの時、コンビニに買い忘れたって戻ったときに……!?」

 コンドームを買ったっていうの?
 それを坂巻がレジしたの?

 坂巻の顔も赤いけど、私も思わず赤面。

 まじか。巧のバカ、アホ。許さん! 

 実は、さっき坂巻の家に来る前に巧に電話して、今日無視したこと謝った。
 また小学校の時の二の舞になると思ったから。
 私が変わらなきゃって思ったから。抱きしめられたあの事実に、触れたくはなかったけど、ちゃんと向き合って、巧が弁解なり謝罪なり今朝、私に話そうとした何かを聞かなきゃって思ったから。
 巧は『冗談のつもりだった』って『でもふざけすぎた』って謝ってくれて(謝ってくれたからって許せることでもないけど)、なんなら私と坂巻が進展するために、あえて当て馬ポジになってあげたとか恩着せがましく言ってたくせに! そんな小細工までしてたなんて聞いてない!
 
「……坂巻はそうだと思ったの? 付き合ってるって」

 うつむいてた坂巻は、握ってた手に力を込めて、
「……たくみのインスタとか見ててそうだろうなとは」

「なに、巧インスタに何あげてんの? 違うよ! 付き合ってない。私、付き合ったことないもん、誰とも……」

「誰とも……」

 坂巻は繰り返すように呟いた。

「うん。そもそも、好きな人だってずっといないし。恋愛対象の男子なんて、いなかった。……小学校の時、好きだった人以上に、好きになれる人なんて、全然いなくて……」

「小学校……」

「うん。六年生の夏、一緒に図書委員だった男子」

「……って俺?」

 私はうなずく。

「両想いだったんだね、私たち」

「……マジか、そっか、あんとき、真野も俺のこと……。ごめん、なのに俺、最低で……ごめん」

 坂巻がくずれるように頭を下げて、土下座したみたいな形になった。

「ちょ、そんな謝らないで……」

 慌てて前に進み出て体を起こすと、予想外に近くに坂巻の顔があった。
 赤いサラサラの髪の間から、熱のせいかとろんとした瞳がのぞいていて、それはすごく薄くて茶色い。はじめて見る距離だからわかる。

「……今は? 私の片思い?」

「……へ? 片思い……?」

 ああ、瞳って本当に揺れるんだ。

「……誰に、片思い、してんの?」

「おなじ男子。六年の時に好きだったのと、同じ」

「って、え、俺!?」

 うん、と私が頷く。
 心臓がどきどきばくばくして、時計の秒針が聞こえてきそうな静けさだったのに、
「やべ、熱上がってきた、かも」
 坂巻の身体が今度はふにゃふにゃと後ろに倒れる。

「え! ちょっと、大丈夫?」

 坂巻は、本当に熱があがったみたいだった。
 ほっぺたがどんどん赤くなってる気がするし、目はもう半分しか開いてないし、焦点も定まってないし、肩で息をしてる。

「……あの、具合悪いのにごめん。もう寝て」

「真野は……帰る……? じゃ、送る」

 そう言って立ち上がろうとしたけど、ふらふらだ。私はすかさず体全体でささえた。
 距離がすごく近くなって、感じる身体の重みに、胸が苦しくなったのも一瞬だった。
 抱きしめられるだろうとばかり思っていた太い腕がだらりと落ちる。

「え、え、さかまきっ? 大丈夫?」

 私は驚いておばさんを呼んだ。
 

「ったく、情けない男だねぇ!」

 車を運転する坂巻のお母さんは、がははと低い声で笑う。
 後ろの座席で私たちは並んで座って、坂巻は私に力の入らない体を預けてきて目を閉じている。車に乗る前も朦朧としてたし、今は寝てるのかもしれない。ベッドから出たままのスウェットの上下がなんかかわいい。
 いつの間にか手が握られてる。やけどするかと思うくらい熱い手で私の手を握ってる。ぎゅっと、全然、力弱くない。

「あの、私を駅に送ってもらう前に、坂巻君を病院に連れていってあげた方が……」

「……俺が……送る」

 うわごとのように坂巻が荒い息で言う。

「まだバカ言ってるよ。心配しなさんな、駅寄っても大して時間変わんないから」

 坂巻の熱を測ったら40度を超えていた。

 帰ろうとした私は、サドルに跨っていない状態でさえお尻が痛くて、というかもう歩き方も変で、どう考えても自転車で帰るなんて無理で、夕方で日も暮れてきたし、電車でA市まで帰ることになった。
 坂巻が元気になり次第、私の自転車に乗ってA市まで運んでくれる予定だ。
 今、車のかすかな振動でもお尻が痛い。
 帰りの電車は座らず立って帰ろうと思ってるくらい。

「……逆に迷惑かけちゃって申し訳ないです」

「ぜーんぜんよ。ま、嶺王は、こんな時にぶっ倒れて無念だろうけどね。もしかしたら今日のことで覚えてないこともあるかも。そうなりゃ、この子マジ泣きだろうね」

「その時は、もう一回言います……」

「いやいや、超ドッキリ仕掛けてやんなよ! 号泣するくらいの」

 お母さん、ドSなんだな……。私は、冗談でもこれ以上坂巻につらい思いさせたくないよ。

「まぁ、こんなやつだけどさ、よかったらしばらくつきあってやってよ」

 坂巻のお母さんは急に優しい声になった。
 どエスだけど、子供のこと愛してるんだなって、こんなガキの私でもわかるくらいの。

「はい」

 だから私も心を込めて頷いた。



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