1:母のお引っ越し騒動記
前回の記事です。
満を辞して母に切り出した、お引っ越しのお話。
本編が始まります。
(って言っても、今現在お引っ越しはまだです。)
その時の状態によって、普通の引っ越しになるのか、ホームなのか、サービス付き住宅になるのか。ホームも完全介護から、ちょっとした介護付きまで色々段階もあるし。
我が家の犬が何匹かセラピードッグだったので、私の住む地域のそういう施設に何箇所か何度もお邪魔したことがあったので、それくらいの知識はあった。そして、幸いなことに詳しい友人も多い。親を入れてた人、入れてる人、施設で働く人。様々な友人がいる。色々聞けてほんとラッキー!
その上で、今の母の状態にいいんじゃないかと思うところがあった。私が最寄りの大きな駅に出る私鉄沿線にあるので、そこを通る度に気になっていた。外にご自由にどうぞ、とばかりに出してあるパンフレット入れはいつも空っぽ。それだけ関心がある人が多いんだろうなぁ。
私の住む地域は海も山もあり、のんびりとした風光明媚な所なので、ご老人用の施設が実は煮るほどあるのだ。町内のスピーカーでは、いつも行方不明者のおじいちゃんおばあちゃんの放送がある。
次々と見つかった問題の治療の中に、投薬中は絶対に転んだらダメ!という状態になるものがあった。トイレに行くときもナースさんの付き添い。そして、2年ほど前からちょくちょく気になってた呼吸の問題も、あるドクターが気がついて下さり、酸素吸入をした結果、改善されたらしい。(事情があり、通院に私が付いていけてない。夫が送迎+付き添いをしてくれてた。感謝しかない。)
それを聞いた私は「もう避けられる話じゃないなぁ」と思い、ある日の朝、母に切り出したのだ。
意外にも母はすんなりと私の提案を受け入れてくれた。母とLINEでやりとりした結果、母も入院してから自分の体が思ったより悪くなってることを自覚したらしい。
私たちは(私と夫。海外にいる年の離れたsiblingsには悪いけど口を挟んでもらう気は無し)こう考えてた。
①父と最後に暮らした家であり
②地元ではないが長年住んでいるので、交友関係ができあがってる。
このことから、今住んでいる家を離れたくないだろうから無理のない間は母の意思を尊重しよう。と。
一方、母は「末娘の側に行ったら、結婚しているし、迷惑になるだろう」と思っていたらしい。賢者の贈り物か。それはさておき、通院が自分でできてた時はほぼ問題はなかった。入院になる時はもちろん送迎や付き添いもしたが、それ以外は全部自力で対処していた。
問題はパンデミックになってからだ。高齢の母を公共交通機関に乗せたくない。そこで、三ヶ月に一回の通院の送迎と付き添いを夫に頼むことになった。夫も快く引き受けてくれた。
通院が一ヶ月に一回に増えた。思い返せば、その頃から数値がガクッと悪くなったらしい。先日のドクターチームとのzoomミーティングで話が繋がった。その頃はまだそうとは知らず、せっせと毎月夫に通院をお願いしてた。まだ世の中はパンデミックの大きな波の最中のことだった。
そうこうするうちに、なぜかパンデミックが収まり(不思議ですよね。収まり方が不気味なくらいです…)母の入院が決まった。
母が入院し検査に次ぐ検査をこなしていたそんな最中、夫の会社の社員が病に倒れた。人が足りない。
あ。その前に以前書いた通り私が骨折しまして、夫は家族の世話に奔走していた。その最中である。車も壊れたし、ほんとお祓いとかにいったほうがいいんじゃないかと、本気で思ったくらい次々と起こった。(書いている今さっき、不注意から小さい冷凍庫のコンセントが抜けてたらしくて、中身は全て廃棄!冷凍庫の中も洗って…すごい匂いだった!いつから抜けてたんだろう。ふー。)
入院の話が出る前ですら、毎月の送迎を夫に頼むのは大変だからちょっとどうしたらいいかな…と迷っていた。母の一人暮らしもすぐに駆け付けられない不安も出てきたし、我が家もこんな状態なので毎月の通院はちょっと無理になってくる可能性が出てきた。私の側に来ると迷惑なんじゃなくて、側にいないともっと大変なのだよ!ということもオブラートに32枚くらい包んで話した。
近所にいてくれたら通院するのに自宅を4時半に出て実家に迎えに行き、都心の病院まで連れて行って、数時間付き添い、また実家まで送り届け(一人では買えないお買い物も。重いものとか)、会社にそのまま行って(1時間半は掛かる)夜中に自宅に帰ってくる、そんな時間を掛けなくて済むんだよ。と。
車が必要なこと以外だったら、私が全部できるよ。お互い私鉄の駅から数分のところだからdoor to doorで15分くらいになるし、お出掛けも一緒にいっぱいできるよ。大好きなカフェも近くにあるよ。他にも良いこといっぱいよ!と、さらに伝えた。言いながら、そうか、これは私へのプレゼントだな、これから母と過ごせる時間は宝物なんだなと思った。今まで年の離れた海外在住のsiblingsの代わりに頑張ってきたご褒美。私にご褒美を下さい、と母に言うと母は電話の向こうで泣いていた。私はグッとこらえた。今泣いたら号泣しそうだったから。
そしてその日の午後、私は電話を掛けた。
気になってたサービス付きのマンションのフリーダイヤルに。