歩けなくなったあの日
人生を変える出来事ってあるとは思ってた
キセキ って
宝くじが当たった
落とした財布がそのまま警察に届いてた
結婚した人が実はお互い同じ学校だった
小さくても大きくても・・・
私は大きな大きな人生を変える出来事が起きた
ニュースでしか見たことなかった
自分には関係ないと思ってた
自分には起きるわけないと思ってた
事故 殆ど記憶にない
何かの仕事に向かって歩いてた
外傷は何もなく脊髄だけおもいっきり砕けてボロボロだったと聞いた
搬送されてすぐに手術したらショック死してた
手術するためにモルヒネで何日か栄養と共に生かされて
その間に専門医療チーム作って
それから手術した
もちろん記憶にないし
後から知った
その手術が出来る日が来て
始まる前に両親で同意書にサインをしたって
そのときに助からない確率が99パーセントです
助かるのはキセキに近いくらいの事をわかってください最前は尽くします。みたいな内容の同意書
その上でどうされるか決めてください
そのままにされてても亡くなってしまうなら
親なら・・・自分がもし親なら・・・
0ではないなら可能性に全てをかけて願うだろう
手術待合室でママは泣いてたらしい
パパはどうしてたのかママは泣いてたから
覚えてないらしいけど、きっと黙ってた様な気がする
どれくらいの時間をどうやって過ごして
手術が終わるのを待ってたのか想像もつかない
何も出来ないからただただ誰に祈っていいのかもわからないけど
助けてください、真里を助けてください
それだけを何度繰り返してくれたのだろう
もちろん意識がない私は痛くも痒くもなく
ドラマででしか見たことない様なオペ室に居る事も知らず
そして
私は命は助かったけど
術後暫くは油断出来なかった
背中がいたかったのかな
点滴を勝手に抜いたり暴れたりしていたらしく
両腕をベッドに縛られてたらしい
その頃私は意識は全くないけど
幻覚を見てたのは覚えてる
狭くて暗い病室にうめき声が聞こえるところに閉じ込められて、逃げようともがいても動けなくて
一生懸命逃げようとしてた幻覚
気づいた時両手首は真紫になってた
3日が無事に経ち、私は生きていた。
99パーセント助からないかもしれないと言われたのに1パーセントのキセキが起きた
そのとき両親はどれだけ泣いただろう
どれだけ頼むから助けてと願って叶った事に
感謝しただろう
私が親なら
自分が亡くなってもこの子だけはと思うだろう
今度は何度助かった事に感謝して
医療チームに感謝しただろう
ほっとしただろう
そしてまた感謝しただろう
術後の私に会えたとき
どれだけ声をかけただろう
真里ちゃん真里ちゃん聞こえる?
真里ちゃん・・・
誰からも聞いてないけどそんな気がする
真里ちゃんって何回呼んでくれたのだろう
私は事故の翌日に目を覚ましたとおもってたけど
何日も経ってた。
それから数日、おなかがすいたってずっと言ってたらしい。自分では覚えてない。
目は閉じたまま口に流動食を運ぶと口を開けて入れてくれてた。そして、少し食べたら、眠ってたらしい
それでも、ご飯を食べたり、おなかがすいたと小さな声で言う私を見て両親はどれだけ安心しただろう。
それ以外は、ずっと痛い、痛い、背中が痛いって
50センチ近く切っての背中の跡痛かったと思う
目をあけて周りが見れたら
ママが起きた?って涙を流した。
大変だったんだよ
よかったよかったって泣いてた
パパは気丈に振舞ってたと思う
なんか食べたいか?飲みたいか?
ドクターに聞いて買ってきてくれた
そして食べさせてくれた
親にごはん食べさせてもらって・・・
そんなの赤ちゃんの頃以来だろう
まさかこんなことになるなんて
誰もが他人事で自分に、自分の子に起きるとは思ってなかっただろう
本人がいちばんそう思ってた。
記憶がない
次の日と思ってたのが
起きたらもう何日もたっていて
HCUにいた
着てた服は手術で切られた
病院でよく着る浴衣をきていた
指輪もネックレスも時計もなにもなくなっていた
手術のときに外されてた
まだ絶対安静で起きれない
でも、その時は
時間がたてば
また起きて歩けると
ずっと思ってた
面会の時間を過ぎても
一人になるのが怖かった
時間を過ぎても帰らないで
子供の様に甘えてもうちょっともうちょっとって
両親は何も言わずにそばに居てくれた
私は両親が疲れてあるであろう事も考えれる状態ではなく、自分が一人になるのが怖いからって
もうちょっといて、明日は何時に来る?
それが暫く毎日の会話だった。
まだ病室の外に緊急ランプ、酸素や脈、血圧、心電かなんかのモニターが部屋にも外にもついてた。
私が検査で病室を出ることはあったけど
ある日ちょっといいですか?
ドクターが入ってきた
パパだけ行こうとしたら、お母様も
2人がドクターについていった。
私は、病室でただ寂しいな早く帰ってこないかな
って思っていた。
結構時間がたってもなかなか帰ってこなかった
しばらくしてパパが帰ってきた
私の見えない窓側に行った
ねぇ何はなしてたの?長かったね
パパは検査結果とかって答えた
もういっぱい採血されてるから針さすとこないよーまたするのかな?やだな・・・
じゃあもっと採血するように先生に言っとこ
パパの笑わせようとするギャグ?だった
あれ?ママは?
ああ、トイレによってから来るってって
そっか
なかなか帰ってこなかった
遅いね?
パパはなんか買ってんのかな?って返事だった
何も考えてなかったから
そっかーって思ってた
ここって売店とかなんかあるの?
ホテルみたいだよー
カフェもあるよー
色々教えてくれた
そんなたわいもない話をしてたら
ママが帰ってきた
なんか鼻声で目が赤かった
なんか鼻声だね大丈夫?
なんか急にくしゃみでたから笑笑
大丈夫?
うん、大丈夫大丈夫!
明るく答えたママだった
このとき私は何も知らず何も気づかず
その日もいつもの様に言っていた
両親はこの日、先にもう一生歩けないことを医師から聞かされてた日だった
そして、いつもの様に
もうちょっといて
まだ帰らないでって言ってた
毎日来てもらってごはんも食べさせてもらって
いつになったら傷なおるかな?
どれくらいで退院できるんだろ?
普通に聞いてた
今は安静にしときなさい
沢山食べて寝てなさい
そんな会話の繰り返しの中
そろそろ帰るね又明日来るから
もうちょっといてあとちょっと
そんな会話をしてるときだった
だんだん気分が悪くなり
呼吸が苦しい吐きそう
かろうじてさっきまで元気に話してたのに
様子がおかしいのがわかってくれた
振り絞る声で吐きそう息が出来ない
なに?耳を近づけてくれて
聞き取れたみたい
吐きそう
息が出来ない
誰か呼んで
急いでドクターを呼んでくれた
息が苦しい吐きそう
それだけは伝わった
色々な検査をされたけど
原因は血栓の注射か何かだったと思う
それでヘモグロビンが6以下に低下して
酸素の運びかなんか体内でおかしくなって
呼吸困難の様なことになった
苦しい
首を絞められてる様な
吸っても吸っても呼吸が出来ない
自分の周りだけ酸素が無くなった様な
とにかく苦しくて、呼吸が浅くて、息が出来ない
そう小声で言うとまた呼吸がくるしくて
はあはあ言って涙が出てきた
苦しい
ドクターはすぐに輸血をしますって
でもすぐに輸血できるわけでもなく採血してちゃんと結果出て・・・それまでの時間がとても長く感じた
呼吸困難みたいなのが
ずっと続いてただ待っていた
どれくらい待ったのか
私には凄く長く感じた
その日はさすがに両親はそばに居てくれた。
輸血が始まって少ししてまだまだ時間はかかるのでと看護師さんがあとは落ち着くと思うのでこちらでみてますのでと言って帰って行った。
いつもみたいに明日何時にくる?
この日だけは聞けなかった。
輸血を始めて落ち着いたのか少し眠ってた。初めて呼吸が苦しくなった時だった。
そんな事も繰り返して落ち着いた頃だった
私へのドクターからの宣告だった
今でも覚えてる
お昼過ぎだった
その日は両親が銀行に行ったりするから
ちょっと夕方になるよ
嫌だー!朝から来て!
子供じゃないんだから〜もう!って。
でもパパとママの子供だも~ん
とかそんな事を笑いながら前の日に話してた。
ドクターが
こんにちはー!調子はどうですか?
ちょこちょこ覗いて様子を見てくれる
いつものドクターとは別の人だった
今日はちょっとお話があります。
退院できる日決まったんだ!!
私は少し喜んだ。
するとちゃんと聞いてね。
ドクターとも看護師さんとも仲良かった私は真里さんと呼ばれ私はドクターにあだ名をつけたりして呼んでた。
いつもより真面目に話すから
何~???
これから話すことはちゃんと聞いてね!
いい?
真里さんはこれからリハビリをしても
歩くことはできません。
車椅子での生活になると思います。
そんな話以外なにをしたのかあとは覚えてない
では、失礼します。
すぐに立ち去った様な記憶がある
歩けない?車椅子?
嘘だ・・・
何か冷たい言い方に聞こえ
すぐに去ってしまったドクターが
冷酷な人に思えてしまった。
病室で一人で居た私は
泣き叫ぶ気力もなく
ただ静かに涙が出てきて
その涙を拭く気力もなく
布団の上にポタポタと流れる涙が布団を濡らしていくだけだった
どれくらい
涙も拭けずに
泣いてボーっとしていたかわからない
他のドクターが見回りに来た
聞いたんだね?
でもリハビリ頑張って車椅子に・・・
言わせないかの様にコトバを被せた。
何でたすけたんだよ
いいよ助けなくて
今すぐ殺してよ
早く息とめてよ
ダメならここから出して
大声で叫んだ
看護師さんや他のドクターが
抑えに来た
落ち着いて
ね・・・!!
頑張ったら車椅子に乗れるんだから
寝たきりじゃないんだから
必死に看護師さんが言う
声がかれるほど大騒ぎして
泣いて過去吸になった
頭が真っ白になり
安定剤をいれられたのか
気がついたら点滴をされて眠ってた
目が覚めたら、両親がいた
真里ちゃん起きた?よく寝てたよ~。
目が覚めて現実に戻り
両目からスーッと涙が落ちてきた
まだ両親は知らないと思ってた
真里・・・
真里ね・・・
その先がなかなか言えない
言葉が出ない
真里・・・
あ・・・
涙と大泣きしてしまって先が言えない
ママは泣き出した
いい!いいよ!!言わなくていいから。
泣いてた。
いつも気丈に振舞ってたパパが涙を拭ってた。
しばらく
どれくらいか覚えてない
凄く長い時間泣いた
人って
こんなに涙でるんだね
こんなに泣き続けられるんだね
しばらくして落ち着いて
言えなかった事を話さないとって
両親はまだ知らないと思ってたから
すると
先にね。聞いてたから知ってるんだよ。
でもね
先生方は手術前に助からないかもって
でも手術をするなら最善をつくしますって
それで命が助かったんだから
またママと私は泣き崩れた
でも・・・でも・・・
またコトバが出てこない
言うより先に涙が邪魔をする
パパが起きるまでここにいるから
まだちょっと寝ときなさいって
二人が泣き崩れてるのを
中断させるかの様に言った
これが私の
一生歩けないと知った日だった。