絶望からの今

前回の記事の続き


あなたは一生歩けません
はい。了解しました

そんな簡単に受け入れられる訳がない

暫く、ぼーっとしてた
元気もなかった
明るくもなかった

ごはんをしっかり食べて歩ける様になるわけではない、それならもういいや

明るくして歩ける様になるわけではない
ならもういや

気丈に振舞ってれば歩ける様になるわけではない、ならもういいや

そんな風に全てにおいて何かをしても頑張っても
歩ける様になるわけではない
なら、もういい

生きる気力、活力、全てを失っていた

そんな頃、仲のいい人がお見舞いに来てくれた

私の大好きなイチゴ
霧の箱に入ってた

何も食べる気力がなかったけど、その甘い香りがしてきて大きな粒のイチゴが嬉しかった、覚えてくれてることも嬉しかった

食べる。あまりまだ声が出せなかったけど、小声で言ったら、急いでママが洗ってくるね!嬉しそうに言った

一粒がとても大きくて3つ食べた
泣きながら食べた
イチゴがすきなの覚えてくれたこと
その人との思い出毎日のんでたこと
そして、もう歩けないことも

言わないとって思ってたけど、言えなかった。
一緒に来てたもう一人は、私にこう言った

まりちゃんつらいと思う。簡単に僕が言っても本人じゃないから何がわかると思われると思う。
さんまさんが言ってたよ命があったらかすりきずって。あのね、事故で真里ちゃんなんかより軽いことで亡くなる人も居るの、でも、真里ちゃんは、大変な事故でも助かったの、それはね、今すぐにはわからないと思うけど生きる意味があって
乗り越えられるって選ばれたんだからだよ
と言う言葉を私にくれた。

その時の私にはまだ意味は全くわからなかった

夜は自分の足を殴ってた
力のない力で思いっきり手を拳にして
殴れるだけ殴った

痛くもない私の足が気持ち悪くて
泣きながら痛くないなら痛いのがわかるまでなぐってやるって

なんで・・・
なんで・・・って

泣きながら両親が帰ったら毎日の様に殴ってた

もう

絶望だった
病院から逃げてやろう
何度も思った

逃げようとしても・・・
歩けなかった

余計に悔しくて
悔しさが増すだけだった
何もできない自分が悔しかった

希望より失われるひとつひとつを実感する変な毎日がくる予兆だった

仲良かったその友達は時間さえあれば少しでも病院に来てくれてた

きっとママから歩けないことは聞いてると思うが
私の前ではいつもと変わりなかった
ちゃんと食べて早くごはん行こう

お前くらいだっこしてやれるから外出OKならすぐこっちは行けるぞ!

だっこ・・・
歩けないことはわかってたんだろうな

痛いとこはないか?とかそんなことは聞かずに
いつもと変わりない話しかしなかった

もう一人の友達も
おぅー!まりちゃーん!元気かー?

二人とも知ってたんだろうけど
普通にいつも通りに接してくれた

ゆっくり休める時間なんだからそうしなさいって事だよ!元気にならないとどこにも行けないから、ごはんはしっかり食べてね!
真里ちゃん細いんだから太れるチャンスだぞ!

このいつもの友達が来ると嬉しかった

その聞いてる瞬間だけはうん、うん、ってわかりやすく言ってくれて理解ができた。
この二人の居てくれた空間だけは少しホッと出来た唯一の時間だった

でも、面会も両親も居なくなる夜が凄く怖かった
涙が毎日とまらなかった

涙ってこんなに毎日出るんだね
どうやったら無くなるんだろう
でも泣いても涙が止まらなくても
足が動かなくて殴っても
どうせ歩けるわけじゃないんだから
生きたい!生きよう!
そんな気力なんか全くなくなっていた

どうせ・・・
どうせ・・・

心の中の口癖だった

どうせ~しても歩ける様になれるわけじゃないから
どうせ~食べても歩ける様になれるわけじゃないから

でも周りにはあまり暗い自分をみせたくなかった
自分に携わる人には面白いねまりちゃん!
まりちゃんの担当になりたかったな・・・

なんか笑わせたくてふざけたことばかり言って毎日毎日笑わせてた

足を固定するのに箱を置いたりしててそれにドクターや看護師さんが色々書いてくれた

えーこれ書いた看護師誰?下手なんだけど〜うけるよねーそれ〇〇先生が書いたんだよ、えっ!言わないでよ、そんな話をしていつも笑ったりしてた

でも夜1人になると無理に明るくしてた疲れが来るし、考え事をしてしまう
これからどうやって生きて行こうか
これからどうやったら生きていけるんだろう

終わってる。もう自分は終わった。

生きてても歩けないなら迷惑なだけだ・・・
そう思ってました

もう一晩中一人だと考えて、泣いて
夜中泣きながら疲れてしまっていつの間にか寝て

歩けて退院ができると思ってた・・・
なのに・・・

この頃、私はあるタレントさんに連絡した。『ねぇ、〇〇がもし明日から歩けないって言われたらどうする?』

うーん・・・。返事に困ってた
想像がつかないから何も答えることが出来ない。でも僕だったら苦手なスポーツはサッカーです。
(足が動かないからそりゃ当たり前だ笑笑)
そんな連絡が来て笑わせてくれた、嬉しかった。

その辺から長いリリハビリが続いた

どんだけ頑張っても歩けないリハビリ
やる気力もなく
寝たきりで過ごした日が長いから
少し起きてるだけで息が、肺が苦しかった

楽しくもなく
頑張っても
歩けない
なら特に頑張る必要もない

やる気は全くなかった
頑張った先になにがあるのか
頑張ることに意味があるのか
頑張って歩けるなら
また、歩けるなら
それだけが頭の中でぐるぐる周り

車椅子に一人で移るには力がいる
足の代わりになるから
その分の腕の力がいる
そういわれた
そりゃそうだろね
そう思いながらも

脱力感
気が抜け
活力もなく

だから何?もういいよ、構わないでくれとすら

それが心の中の口癖になっていた

ある日本当に体調が悪くて
リハビリをキャンセルするって言った

ママに初めて叩かれた
平手で
痛かった
叩いてるママも泣いてた
真里も泣いた
本当に体調悪いんだっていってんじゃん!

いつもやる気ないから
サボりたいだけと思われた
仕方ない
でももうなんでもいいやと思った
でも初めて叩いたママも泣いてた
しっかりして欲しかったんだろうなって今振り返ると思う

でもその時はそんな事考えることも出来ず
泣きながら来てくれたばかりなのに病室を後にするママを見て、人の気持ちもわからずにって

追いかけることも出来ずただ悔しく
ベッド柵を外し投げその辺にあるものを投げながら大泣きした
看護師が抑えに来た

何も出来ないでママを追いかけることも出来ない
自分が無力で哀れにも感じた
辛かった

それから感情は抑えることにした

なるべく
明るく
楽しそうに
看護師も
ドクターも
真里のトコ来たらたのしいなって
思ってもらえる様に
とにかく明るくしてた
両親にも普通に
とにかく普通に
ありがとう
ニコニコしてた

せっかく車椅子に乗れる様になったのに
朝になると
歩けないことを忘れて
歩けるかもしれないと言う希望を持って
普通にベッドから歩いて降りようとして

何回も落ちた・・・

歩けない自分は
歩くということを忘れてしまいそうで
怖かった

そして、歩けてた時間が長いから
当たり前に毎日寝て起きてベッドから歩いてどっか行ってたことが不思議な特別なことに思えた

夢の中でも歩いてる走ってる立ってる
朝起きて現実が突きつけられる

また落ち込む
嘘だ
歩けるはずだ
そんなわけない

その頃にはもう暴れず自分の中に溜め込んでた
吐き出すとこもなく話しても気持ちがわかってくれるひとは誰もいない、同じ辛さがわかる人はきっとその時誰もいなかった、もしかしたら沢山居たのかもいれない、両親も含め、それすら気づけなかった。余裕も全くなかった

泣きながらベッドから床に落ちて
立ち上がろうとしたり
でも歩けない、立てない
泣いて、自分の行動で余計に
現実を突きつけられて
そしてただ落ち込む

現実は歩けない
夢の中では歩いてる
夢と現実、大きな大きな差があった

そんなことを何回も何回も繰り返して、やっと今の私がいます。何度も何度も色んなことを考えて、悩んで、また歩けるかもって信じたり諦めたりしながら・・・

生きてれば悩み事があるのはみんな同じだと思う
それが、たまたま歩けなくなると言う事だったのかもしれない

そして、何年も何年も経った今、どこかの記事に書いたけど、歩けてたこと、走ってたことを知ってること、海に行けたこと、色んなところに、その日まで、この足で行けたこと、それを知ってることすら、有難いことだという事を実感した

助けてくれたドクターも、直接関わってくれた方も家族も友達も、病院のスタッフさんも、車椅子になってから知り合った方も、あまりお話してなくても車椅子になってから携わらせていただけたイベントやテレビ、ラジオ、ショーのスタッフさんも、歩けてる時からずっと知ってくれてるファンの方も、このブログで知ってくれた方も、コメント頂ける事も、会ったことあっても、なくても、今このブログを読んでくれてる方も、たまたま通りがかって助けてくれた方も、配信で仲良くしてくれてる方も、名前だけ知ってくれてる方も、事務所にいた時から知ってる先輩やマネージャーさんも、見えてても見えてなくても、私が見て感動した写真やたまたま見て笑った芸人さんの動画も涙が出てきた曲も・・・なにもかも

ご飯を自分で食べれることも、涙が出てくることも、自分の指でブログをかけることも、車椅子が漕げることも、息が出来てることも、なにもかもが有難く、なにより感謝しています。

私が何年も何年もずっと下書きにしてたあの頃考えてたことや思ったこと、行動した事・・・わざわざ公開することにした理由・・・哀れんで欲しくない、大変だったねとか、凄いねとかも求めてはいない傷の舐め合いがしたい訳でもない。

ただ・・・

もしかしたら、今こうしてる時に、同じ、または似てる経験をしてる方がいるかもしれない、そのご家族がいるかもしれない、私が経験した道の真っ最中の方がいるかもしれない、それだけがずっと心の中にありました。

その中に今居たとしても、その道が終わる先にまだ続きの道がある事が少しでも伝わって、何かの役に立てたなら、希望になればと思いました。

そして4月に突然亡くなってしまった私のことを一番心配してたお父さんにもう、大丈夫だよって安心してもらいたい気持ちも強くあります。

私は公開しようと思っただけで、健常者、障がいがあるとかないとか全く関係なく、それぞれ言ってないだけで、みんな辛いことや経験、そして乗り越えて来てる方が沢山居ることは忘れないでください。私が特別なわけでも強い人間でもなんでもありません。

ただ、あの時絶望に居て、何も見えてなかったこの私が、何年も何年も下書きにしていた事を当時思ったまま言葉をなるべく変えずに載せて、今私は幸せで居ることが少しでも伝わってくれたらと思いました。

あの時の絶望の時間が、必ず時間が経てば過去になり、時間は早くても遅く感じても必ず進むこと。みんな平等に・・・

絶望してる道にいても、必ずその先の道が続いています。私が今こうして居れるのもその道があったから、たくさんの人に支えられたからです。
本当に本当に全ての人へありがとうございます。

こんな未熟な私ですがこれからもどうかご指導の程よろしくお願い致します。

最後まで読んで下さりありがとうございます。
前回の記事の続きでした。


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