邪念の塊による海外大学院選び
どうも、マリです。いえ、ジャネンノ・カタ・マリです。😏
すみません、このダジャレが言いたくてこの記事を書き始めました。
Noteの記事、コンスタントに書きたいと思ってはいるものの、案外エネルギーがかかるので放置しがちです。そんな私が何故急にまたNoteを書き出したのか。溜まりに溜まったタスクからの現実逃避です。明後日はラボミーティングで発表です。いいんです。
つい最近冷房の使用をやめたと思ったら、靴下を履いても足先が冷えてしまうような季節になりましたね。去年の秋冬は、本当に大変な時期だったので、寒くなると色々思い出します。思い出したくないようなこともありますが、蓋をしようとする記憶は何故だか元気に飛び出てきますね。
大学4年生の一年間は大学院受験、特に海外大学院受験に奮闘した期間でした。受験校の選定、GRE、奨学金の応募、SoP等の執筆、指導教員への推薦状依頼、メール、面接、卒研との両立……。とりあえず必死にこなしましたが、自信、劣等感、希望、絶望、執着、諦め等々なかなか精神的にもすり減る一年でありました。今日は受験校の選定について私が留意した点を紹介します。
受験校の選定は5、6月頃に行ったと記憶しております。どこを受験するかを決めるのは大事なプロセスです。多く受けることによって受かる確率は上がると思いますが、残念ながら、時間的、経済的に難しい側面もあります。自分で納得する受験校に絞らなければいけません。第一に、自分の興味のある分野にちゃんとしたプログラムがあるか、面白い研究をしている先生はいるか、が大事な要素です。この辺の真面目な話は真面目な人に聞いたら沢山教えてくれます。私は一応真面目ですが、同時に邪念の塊(ジャネンノ・カタ・マリ)です。学部時代に少し研究をかじった人間にとっては、どの大学のどのプログラムが良くて、どの先生が良くて、どういう派閥があって、みたいなものはあまりよく分かりませんでした。よって、自分の邪心に忠実に受験先を決めました。以下がそのリストです。参考にしなくていいと思います。
1. お金が出ること
大学院生というのは学生なので、学費を払い、学問に邁進します。自分は勉強がしたくて大学院に進むので、社会的、経済的な立場が多少弱くても仕方ないとは思います。ただ、同級生の多くが就職し、親にプレゼントを贈ったり、旅行に出かけたりするのを横目に見ながら、いつまでも学生の身分であることにいずれ劣等感を抱くのではないだろうか、と思いました(今は全くそう思いません、ヒエラルキーの頂点がニートだと信じてます)。勿論、学生なので高収入を得ることはなくても、自分の生活をしっかり賄い、誕生日にはスライスケーキでなくホールケーキが食べたい、そう思うのです。
また、給料を貰うということは一人の研究員として見られていることになり、これに付随して自分のモチベーションや主体性が高く保たれると思います。これは、周りの学生にも言えることなので、より意識が高い人と切磋琢磨できるのではないかと思いました。
2. ラボローテーションがあること
所属する研究室の決定は一種の博打だと思います。自分の興味に基づいて所属研究室を決めたものの、教授やポスドクと合わなくて苦労する話はよく聞きます。日本でさえそういう事が散見されるのに、異国の地でツテもコネも情報もほとんどない私が、そう簡単に自分とマッチする研究室を見つけられるとは思いませんでした。博士課程の数年、毎日顔を合わせる人とうまく仕事できないのであれば、今好きな分野も研究も嫌気が差すだろうという事は容易に想像できます。
そこで、海外大学院のプログラムで見られるラボローテーションというシステムはとても有意義だと思いました(ラボローテーションというのは、一年目に3つほどの研究室を各3ヶ月ほど転々とし、最終的に所属する研究室を決めるという制度です)。自分が解き明かしたい科学的問いを再確認できるのみならず、各研究室の環境や人、仕事スタイルを覗く事ができます。これは、ミスマッチというリスクを軽減し、様々な側面から自分の納得する研究室を選べることになるので、研究を始めるのが遅れるため一見遠回りに見えるものの、長期的に見れば大きくプラスに作用すると思いました。
3. 世界ランキングで出身大学と同等以上
世界ランキングを当てにして生きるのは何とも哀れだと思います(世に出回る某ランキングというのは一体何を測っているのか、誰がその指標を打ち出したのか、裏には大人の事情があるとも思っています)。ましてや大学院というレベルになれば何を研究してどういう成果を出すかが勝負なので、大学のランキングで優劣を競っている場合じゃないと思います。いつまでも大学のネームバリューを振り回すのは、その肩書を奪ったときに何も残らないからなのではないのでしょうか(自戒の念を込めて)。
しかし、世の中そういうランキングを当てにして色々回っているのも事実です。レベルが高いとされる大学にお金、人、機会が集まり、それがさらにその大学のレベルを上げ、そして社会からそう認知されるので、「世界ランキングの高い大学」出身者はその大学に在籍したという事実によって色々な恩恵を受ける側面があると思います。
ということで、長いものに簡単に巻かれてしまう邪念の塊である私は、将来の可能性をなるべく広げるという意味で、世界ランキングを意識しました。そして、最近は惜しげもなく世界ランキングの順位が陥落しているが、しかし全体で見ればそれなりに健闘している鴨川デルタ大学出身である以上、その大学を離れるのなら、それ以上のランキングの大学に行きたいと思いました。
3. 研究所ではなく大学であること
これは以前とある教授に「研究所はもちろん研究の環境が整っているとは思うが、学生という身分で行くならつまらないかも知れない。」と言われたことに基づきます。理工系大学院生であれば研究一筋である事が望まれると思いますし、そうであれば研究所であれ大学であれ関係ないはずです。しかし、私は楽しい事面白い事が大好きなので、刺激が多い環境を好む性格です。となると、なるほど、研究所よりかは大学の方が色々な活動があってより充実した生活を送れるのではないか、と思うようになりました。
また、総合大学であれば、自分とは異なる分野の学問に邁進する人に出会えるはずです。そういう人とコミュニケーションをとることによって、自身の知識の幅を広げられるのではないかと期待しています。また、大学は、就活支援センター、ライティングセンター、ヘルスセンター、ジム等様々なリソースが整っており、これらへアクセスできるという点も大きいと思いました。
4. アート系の学部があること
私は別に芸術に造詣が深いわけではありません。幼少期にピアノを習ったものの熱中できず、小指が痛いと主張して辞めました。絵を書くのは好きですが、類稀なる才能は(未だ)開花していません。また、親がオペラ好きで家でよく流れていましたが、特に好きな曲目がある訳でもないです。美術館とかも好んで行きますが、傑作と言われる絵画を見ても「ほー、綺麗」くらいの人並みな感想しか言えません。
しかし、好きであることは事実です。音楽を聞いたり絵画を見たりして、「ほー、美しい」と思う瞬間があるのは事実です。私はこの凡庸な気持ちをそれでも大事にしたいと思います。よって、アート系の学部が主宰する美術展やコンサートを見に行きたいという邪念を抱いています。安く行けるので。
5. 街がお洒落であること、文化的に趣があること
私は、お散歩をするのが好きです。綺麗な葉っぱを見つければ家に持って帰って玄関に飾り、親に白い目で見られます。可憐に咲くお花を道端で見つければ引っこ抜いて(引っこ抜いて良いやつであれば、ですよ)自分の部屋に飾ったり押し花にしたりします。面白い作りの建物があればお気に入りスポットになりますし、遠くに見える山の端を目でなぞるのが好きです。そしてその瞬間を心やiPhoneに記録し、思い出したり人と共有したりするのが楽しいと思います。
きっと博士課程は生温いものではなく、険しい険しい道のりになると思います。しかし、そんな日々の中でも、生活の片隅に潜む趣を享受しながら生きて行きたいですし、そのような環境が整っている所に行きたいと思いました。
ただ、遊びすぎないように気をつけないといけないとは思っています。
以上が、私が大学院を選ぶ際に気にした点です。もちろん、真面目なこともしっかり考えています。しかしまあ、自分はこんなことも考えていましたテヘペロ、みたいなことを記録したいなと思ったのです。
所詮大学4年生の私が良かれと思っていたことなので、吉と出るか凶と出るかは分かりません。とりあえず、あまり邪心に突き動かされすぎず、これからものらりくらりズンズンと生きて行きたいと思います。
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