大学院入試に関する一言。
対象者:海外大学院を受験しようと考えている人。
主題:日本の大学院を併願すべきか。
結論:はい。(少なくとも私はそう思う。)
無我夢中だったので去年一年のことはあまり覚えていないところもあるのだが、今朝バナナをムシャムシャ食べながら、ふと思い出したことがある。
4回生の春、私は、海外の大学院に行くぞ、と息巻いていたため、どの国のどの大学を受験するかを丹念に調べていた。一方、日本の大学院は受験すべきかどうか決心がつかないでいた。海外大学院について調べれば調べるほど、「あ、ここ行きたい」「あ、この研究面白い」「あ、この食べ物食べたい」とか楽しみになるのだが、海外大学院への憧れが強まるほどに日本の大学院受験に対してやる気がなくなるのだった。
「海外行くし別に良くね」とか思いつつも、一方で海外大学院留学というのは生温い挑戦ではないことは分かっていたので、バックアッププランを持っていた方がいいと心の底で思っていた。しかし、だ。Essential細胞生物学を脳味噌に叩き込む余裕はなく、そしてモチベーションもなかったのである。はた、先輩方はどうしているか、と思い、数少ない(というか唯一の)知り合いである海外進学を控えるR先輩に尋ねたところ、やはり日本の大学院併願をやんわり推奨されたので、されば受験するか、と思い立ったのである。
さて、海外大学院進学を考える方には色んな状況に置かれている方がいると思うが、私は自身の経験(学部卒業し海外大学院(PhD課程)に進学予定)に基づいたことしか語れないので、私の言説を参考にできるのはほんの一部の人だろう。しかしきっとどこかで私と同じように思案する人がいると思うので私は語ることにする。
結論として、私も日本の大学院も併願をやんわり推奨したい。なぜなら、日本に進学先があるというのは精神的な支えとなるからだ。というのも、海外大学院受験はどう進展するかは未知数であり、精神的に追い詰められる挑戦である。受験期が10-11月ごろであり、結果が出るのは大学卒業が目の前にある時期である。1月とかはGradCafeという闇サイトを見て精神的に自分を虐める事になる。周りのみんなは、卒論等でヒーヒー言ってるものの、逆に卒論に没頭してればいいので、卒業後の進路が云々という心配はしていないのである。
そんな中で1人、進路が未定なのはなかなか辛い。本当に一寸先はニートなのである。しかし、ここで、仮の進学先があれば、「大丈夫、どうにかはなる」と思えるのだ(注1)。たったそれだけ?と思うかもしれないが、侮ることなかれ。このおかげで、進路が決まって未来有望な友達と飲みに行っても引目を感じることなく堂々としていられた。
注1: 研究が面白そうだから日本の大学院を受験する、というのが一番の理由であるべきだと思うが、大人というのは複雑である。しかし、滑り止めという意識があったとしても、先方に失礼のないように振る舞うのが大前提であり、大人というものだろう。
まず、現在卒業研究のために所属する研究室に大学院生として所属できるのならば、そして着手している研究に対するモチベーションが持続しているのならば、残るのがいいのではないかと思う。もちろん、海外進学を目指すことを認知している指導教官がどのように思うかは未知数だが、一番単純な選択肢だろう。4回生でやったことの続きを少しできるのなら、何か研究を形あるものに持っていける可能性もあるのだ。(私にはこの選択肢が無かったので心底羨ましい)また、大学院入試に関しては、内部進学者には忖度があるらしいとまことしやかに噂されているので、ハードルも低めなのではなかろうか(推測である)。
他方、現在所属する研究室に継続して所属しない・できない人もいるだろう。私の指導教官は退官が目前に迫っていたので新たな学生をとっていなかった。よって、外部の進学先を探す必要があった。先方とコンタクトをとったり資料請求したりだの、これはなかなか労力のかかることであった。同時に、色々な先生と知り合いになったり、研究を知ったりするので、視野を広げるきっかけになる。そして、こんな面白い研究をしている先生方が近くにいるのに、自分は何故海外を受験するのか、ということをもう一度問い直すきっかけになるだろう。
また、試験の様式も大学によって多種多様である。必ずしもEssential細胞生物学を叩き込まなくても良いのだ。TOEFLの点数と口頭試問だけの場合もある。自分の割ける労力を鑑みて、最適なところを選ぶと良いだろう。結論として、割と(私自身の得意不得意を勘定すると)負担の少ない試験様式をとる外部の二つの大学を受験し、合格した。(2つ受験したのはなかなか良かったと思っていて、「他の大学を受験しますか?両方合格したらどうしますか?」聞かれた際に、やんわりと100%貴大学院に進学するとは限りません、と意思表示できる。)
ここまで書いて気づいたのだが、私の話には、日本の大学院を受験して合格する、という前提がある。そう、日本の大学院に合格することによって初めて、魅惑の精神安定剤が手に入るのだ。別に合格しなくとも、面接等で聞かれる内容は海外大学院の面接で聞かれる内容にも被るので、練習だと思うのもいいだろう。合格できなかった場合は、きっとご縁は別のところにあるのだろう。ものは考えようである。
そして、ニートになることを恐れてはいけない(注2)。ニートというのは、図太い精神が無いと全うできない。ニートになれたあなたは、この点、類稀なる素質があるのだ(と私は言い聞かせている)。注2:ある程度誰かが生活を支援してくれるという前提がある。
さて、私は文章を書くときはなるべく話の流れや表現方法などを気にするのだが、今回は書き殴る様式になってしまったので、申し訳ないし、最後まで読んでいただけた読者の方には感謝したい。他にも細かいことを伝授したい気がしなくも無い。しかしそれは脱線してしまうので、まあコメントなりなんなりで聞きたいことがあれば聞いてほしい。返信は遅くなるが生きている間にはする気はある。
最後に少し自分のことを振り返りたい。昨年は「一寸先はニート」と言って自分の将来を悲観視していたが、結局私は4月からニートになった。別にニートになる以外の選択肢もあったのだが、様々なことを考慮し、ニートを選んだ。本来はバックパッカーとして世界中を旅する予定だったのだが、なんとどこにも行けず、引きこもりニートである。人生よく分からぬものである。
ニートというのは自由であり、不便であり、貧乏であり、豊かであり、楽しくもあり、寂しくもあり、思う存分寝れる一方で、なかなか寝付けない夜もあり、自己を愛すと同時に、自己の存在意義を絶えず問うことになる。この空白とも言える数ヶ月に意味を持たせたいと思うが、都合のいい「意味」はなかなか見つからない。されば、いつか振り返った時に何か意義を見出せるのでは期待し、「今するべきこと」を逆算して実行してみるが、それも虚しい。結局、いたずらに時間が過ぎていくのに身を任せるだけで、そこに意味を要さないのがニートなのだろう。いつか振り返った時、このニート生活がやはり空白で、何も意味付けされなければ、いいな、と思う。目を覚ました時には既に空の高いところに登っている太陽。風に揺られて笑うハルジオン。読むぞ、と息巻いて部屋の床にどんどん積まれる本。よく分からない遊びを外でしている子供たち。浮かれる人間とは対照的に悠然と構える鴨川。大声で「ご飯〜!」と叫ぶ母。ニートでない大好きな人と食べるご飯。意味などない、こんな長閑なことを、ぼんやりと思い出せたらいいな、と思う。
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