見出し画像

夏祭り

「夏祭り」と言ってみたが、実は夏祭りに関して、強く記憶に残っているものがあまり見当たらない。ない訳ではないが、夏祭りにそこまで心浮き立った記憶がないのである。
祭りが嫌いとか冷めているとかいう訳ではなく、どちらかと言えば、お囃子が聴こえてくれば、密かにいてもたってもいられなくなるタイプだ。かと言って、祭りピープルでもないが、父は祭りピープルだ。でもやっぱり、どちらかと言えば、祭りが好きな部類に入る。

6歳までは横浜に住んでいた。そこでは夏祭りをやっていた。行った覚えはあるが、私にとってここの祭りは、次いでの感覚が強い。

小学校に入るのを機に、父方の祖父母が住む横須賀に引っ越した。
そこの地域の祭りは、5〜6月にかけて行われる。水神様を祀る神社の祭りである。どこの水神様も、この時期に祭りをするのか定かではないが、地元では梅雨に入る前の、季節としては、ちょうどいいと気候のころに行われる。

引越して来る前は、家族全員泊まりがけで祭りに行った。父にとっては生まれ育った地元の祭りである。この地に住んでいなかった時期ではあったが、父は町内の法被をきていた気がする。気がするというのは、この年の頃の祭りは、父と回った記憶がほぼないのである。きっと町内のことで出ずっぱりで、それが終われば宴会だったろうから、小さい私と父の時間が交差していなかったのだと思う。

代わりに、祖母や母、叔母や従弟妹たちとの記憶はよく残っている。そして、これが私の祭りの最初の記憶である。

祭りになれば、祖母が孫全員の浴衣を縫う。それを着て、町内の山車を引きに行く。青年会のお兄さんたちから、アイスやお菓子をもらい、一旦家に帰る。昼間に少しだけ縁日を見に行った記憶もあるが、本番はなんと言っても夜だ。

小さな小さな町に所狭しと出店が並び、神社ではお囃子がなる。縁日を楽しみにしていた記憶はあるのだが、情景としての記憶はただただ人が多かったということだけ。でも、人混みを抜けた家までの道のりは、なぜか朧げだが記憶として残っている。その記憶に登場するのは、今度は祖父だ。何か会話をしたとか、手をつないだとか、そういう記憶ではなく、ただ祖父が一緒にいたという記憶が強い。

覚えていない記憶は、母が毎年アルバムに貼っていた写真に残されている。こちらの方が事実としては正しい。じっと金魚すくいの水槽の横に座っていたり、エプロンをした祖母と手をつなぎながら山車の横を歩いていたり、従妹と庭でヨーヨーを持っていたり、幼少のころほど写真が多い。見返すときは、何も覚えていないくせに、かすかどこかに残っていそうな記憶につながる感じがする。

私の記憶の中にある「祭り」は、こういった記憶から始まるのである。そして、それは「夏」ではない。都内の夏祭りに遭遇すると、長年染み付いたこの時期の肌感覚が、何かが違うとつぶやいている感じがする。

祭りはその土地の風土と繋がっている。その風土は、その土地の人の記憶を形成する。

私の体内リズムは、「祭り」はやはり6月なのである。これは私が育った地域が育てた感覚だ。きっとこれは、死ぬまでこの感覚が塗り変えられることはないだろうなと思う。そうすると、「夏祭り」は万人のものであっても、記憶は土地の数だけあるのだろう。いつか人に聞いてみたいものである。


いいなと思ったら応援しよう!