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自分が記事を書く意味

初めまして。この記事を書くにあたって、Noteを始めるにあたって、改めて自分をどう表現するか、悩みに悩みました。
私は現在18歳日本人医学生です。和歌山生まれで神奈川育ち。幼少期5歳くらいの頃一時ベルギーに住んでいたことはありますが、ほとんど記憶はなく、いわゆる純ジャパです。
中学受験で上京し、それからは東京と神奈川を行き来するような生活を送っています。
大学はイタリアのローマ。2024年10月から留学しています。

「記事を書く意味」というとたい逸れてしまうので、
明確にひとつ言うならばシンプルに「私が書きたいから」「自分が10代の頃感じていた、思っていた」ことの記録を少しずつ残していきたい為です。


自分がこれから残していくことが、誰かの目に留まって役に立てれば幸いだし、そうでなくても、

3年後、5年後、10年後、これを読んだ自分が「ああこんなこともあったな」と笑ってくれていれば、と強く願っています。もしかしたら、
「あの頃はまだ記事を書く余裕があるくらい楽だった、今の方が地獄だよ」って振り返るかもしれないし、
この世にすらいないかもしれない。

将来のことは誰にもわからないから。



イタリアの医学部に留学する、一見すると強く元気でやる気に満ち溢れている学生に与えられるべき機会であり、そういう学生が輝けるものなのではないか、と私自身も思います。

ただ、私は私で自分が本当に弱い人間であると自覚しています(現在絶賛、急性期闘病中の為です)


自分自身は中学に入った頃から様々な事象が重なって、基本的に医療と繋がっている/通院していることが多いため、経験した病や治療、感じていた思い、細々思い出しながら記していきたいと思います。(私自身、診断名や病名をGoogleやブログで端から端まで調べて、似たオペの論文まで調べて不安を和らげていた経験があるからです笑)



医学生として、医師を目指す人間として、私がいつも感じていることは医療に
「基本的に病気に重い/軽い 他の病状や患者さんや友人と比較する」そういったことは不要で一番患者さんに失礼に値するのではないか、

と感じています。勿論、トリアージというシステムがあり、重症、中等症、軽症と振ることは医療の一環ですがそれ以上に、

一人一人の苦しみと向き合うことが一番大切なのではないか、と。



苦しい、辛い、痛い、(痒い)そういう訴えがあってくるのが病院で、何ひとつ、軽視していいものなんてない、と強く思います。実際に患者さんの苦しさは言葉や数値以上に重たいものなのではないかと思っているので。
実際これは綺麗事なのかもしれませんがね。

文才があるわけではないので、

留学記と合わせて、何か形になるものができたらラッキーくらいの気持ちで始めてみます。



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