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はじめて見つけた、お気に入りの街

トルコ、イスタンブール。この街に着いたとき、心がときめく音がした。
海が見える。木がゆさゆさ揺れている。カラッと晴れ、風がひゅんと背中を押す。その一瞬で、胸が高鳴った。

朝7時。これから、そのときめきを確かめに行く。
家の重い扉を開けて、階段を降りる。サンダルの音がパタパタと嬉しそう。
見上げると、澄んだ空が飛び込んでくる。まだ夜が明けたばかりで、青く染まりきっていない空。早起きした私だけがこの色を知っているような優越感を味わえるから、とても好きだ。

サンダルの音が響く。私以外には、猫しかいない。
思い返すと、旅を始めて1ヶ月。心がときめく音を聴いたのは初めてである。

東南アジア、インドと巡って来たけれど、どこもエネルギーが高い。うるさいし、視界のいろんな場所でいろんなことが起こる。
客引きが延々と話しかけてくる、人にじろじろ見られる、車やバイクに轢かれそう、牛が道を歩いている。
面白い光景だけど、「面白い」と「ときめく」はまったく別物だ。

こんな環境にいると、自分の意識が勝手にいろいろなところに散らばってしまうし、心が自分の意思に反して勝手に消費されていく感じがする。そうすると、何かを感じとる余裕もなく疲れてしまう。何も感じとれない日が続くと、心が干からびてしまって調子が出ない。

にゃあ、と音がして現実世界に引き戻される。
おはよう、猫ちゃん。まだ眠いかな?

もうすぐ私の好きな景色が見える。自然と、周りの景色が進むスピードも速くなった。

角を曲がると。

下り坂の向こう、建物に切り取られた海が姿を現す。

ここ、この街では、何にも私の心を削られたりしない。素敵だと思う景色を、ただ素敵だと思うままに楽しめる。
いいよね、この景色。私って本当に海が好きだなあ。自分の心と会話できる、この余裕がある感じがいい。
そもそも余裕があるからこそ、心がときめく音に気づくことができたのかもしれない。

もう少しで海に会えると思うと、ちょっと小走りになっちゃったり。坂をゆるやかに転がるように、海のほうへ進んでいく。

ここは、自由だ。
鳩にパンをあげる若い男性、座ってパン屋の店番をするおじいさん。
今日は日曜日だっけ?いや、違う。月曜日。

トルコの人は、こっちがトルコ語なんてまったく分からなくても、平気でトルコ語で話しかけてくる。日本にいて、外国人に日本語で話しかけることなんてない。なんでためらわないんだろう?と、不思議にも、ちょっと羨ましくも思える。

足元の袋を指差して満面の笑みで何かを言われた。見ると魚が2匹入っている。自慢する子どもみたい、と思わず笑顔になってしまう。
言葉なんて分からなくても、十分なのかもしれない。

ベンチで寝ている男性を見つけて、思わず遠目からカメラのシャッターを切る。月曜日の朝から、いいなあ。
思い返すと、インドで外に寝ている人がいれば、ホームレスか?物乞いか?と身構えていたものだ。ましてや写真なんて撮るわけがない。
環境が変われば、心の余裕が変われば、感じ方はこんなにも変わるんだな。

ほかの人たちがそうしているように、大きな海をただ見つめる。向こう側に街が浮かびあがる。
そろそろ帰ろう。

さっきとは違う坂道。カラフルな壁がかわいくて、カメラを向ける。ぼーっとするおじさんもいいアクセント。

空が白飛びしている。スマホをどけると、眩しい大きな青空が広がっていた。みんなが知っている空の青色。
思わずすーっと深く息を吸い込むと、おいしそうなパンの香りが入ってくる。幸せだ。
帰って朝ご飯にしよう。パタパタとサンダルを鳴らして、坂を上った。

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