眠れぬ夜についての一考察
昨日の夜は眠れなかった。ラジオを聴いて何とか眠りに落ちたのに、夜中に目覚めた。次から次へと頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消えする悩ましい出来事に、感情が揺さぶられ、目は冴えて、夜の闇が私を包む。手足は冷え切り、寝返りをうち、ため息をつき、意味のない思考は停止しようと自分に言い聞かせても、眠れなかった。
これまでも眠れぬ夜はあった。幼い頃は、死後の世界を想像して眠れなかった。私は死んだらどこに行くのか、私と言う意識はどうなるのか、痛いのか辛いのか。いつまでもこの世にいて家族の温もりの中で過ごしたかった。今思うと、幸せな夜の闇だ。朝が来れば、死の恐怖は消え去り、温もりに包まれ楽しい時間を過ごすのだ。眠りを妨げるのは漠然とした「恐怖」だった。
昨晩の眠りを妨げたのは「悩み」だが、これは朝が来ても消えずに私の心に居座り続ける。「悩み」は解決を待っている。「恐怖」は薄まるが「悩み」は深まる。そのふたつは異質なものなのだろうか。
昨日夜の闇の中で考えたことは、悩み事に対する対処法でなく、起こるかもしれない最悪の事態を想像しただけではなかったか。「悩み」でなく「恐怖」ではなかったか。幼い私も、大人になった私も、眠れぬ原因は「恐怖」なのかもしれない。たくさんの「恐怖」を知ってしまった大人は、「悩み」を「恐怖」に変えて眠れぬ夜を過ごすのか。それでも朝は来て子供の時とは違う家族の中に、私はいる。深まる「悩み」を抱えながら、今日も一日生きるだろう。これまで生きてきた知恵と厚かましさで、それは本当に「恐怖」か?と問いながら、「悩み」はそのままにして生きるだろう。本当は唯一の恐怖である「死」が温もりとなるその日まで、ただぐっすり眠るために今日も生きるのだ。