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あのこは河童

独立して事業を立ち上げた父と、それを手伝う母。忙しくて子供達に構うことが出来ないと、夏休みのあいだ徳島の祖母のもとに私と弟を預けることにした。私が小4、弟は小3だったと思う。

あの頃は普通のおばあちゃんがいいのに、とずっと思ってた。徳島に引き上げるまでは大阪にいたけれど、祖父とは私の記憶の最初からずっと別々に暮らしていた。

色黒で大柄、エキゾチックな顔立ちで遠くにいてもすぐ見つけられるぐらい目立つ。酒で潰れた声、昼間から近所の飲み屋でコップ酒を煽っている。etc etc etc。祖母のことを話すとシリーズで何年か書けるぐらいエピソードの塊なので、今回はこのへんにしておく。

まぁそんな祖母が全てを捨てて出て行った山里の一軒家で、私と弟は約一か月過ごすことになったのだった。

私が育ったのはいわゆる新興住宅地で、都会ではなかったが近所にはスーパーもあったし、電車やバスに乗ればどこにでも出かけられた。欲しいものはお店にいつも当たり前に並んでいたし、公園に行けば滑り台やブランコなど好きな遊具を選べた。晩ご飯だって贅沢ではないにしても食べたいと言えば、母がだいたいのメニューを作るか惣菜を買ってきてくれた。

でも、その夏は違った。

徳島の山奥の集落には点々と家があったが、隣の家までは数百メートルも離れていた。一軒だけある商店に並んだ品物は、どれもセピアに色褪せていた。賞味期限なんて関係なさそうだ。食べられそうなお菓子も、ジュースも、アイスだって何キロも離れた下の集落まで行かないと売ってない。自動販売機さえも見当たらない。

祖母は料理や家事が嫌いだったから、毎食出てくるのは畑の野菜にマヨネーズをかけたものとお味噌汁。たまに、家の前の川で泳いでいた魚を塩焼きしたもの(近所人が焼いて持ってきてくれる)。ずっとこのルーティンだった。

お風呂も五右衛門風呂でうす暗い。大きな蛙や虫がうじゃうじゃ。怖いと泣いても、誰も助けてはくれなかった。懐かない私と祖母との間にはなんとなく距離があったし、メソメソし続ける私に祖母はイラついていたと思う。

帰りたかった。家に電話もできず、テレビも映らない。悲しみのどん底にいるようだった。

大人になってみるとあんな贅沢な場所や経験はなかなか出来ないと思うのだが、当時の私はそんな風には到底思えなかった。どうやって時間をつぶしたらいいのか。毎日、あと何日で家に帰れると指折り数えていた。

「外で遊んでこい」祖母に追い出されるたびに途方に暮れた。

誰も歩いていない道を、ひとり登って行く。本当に誰もいない。蝉の声と水の流れる音しか聞こえない。川岸に降りて行くと、そこには深い深い翡翠色の川と細く対岸まで伸びた吊橋。

あああーっ

声を出すと、自分の声にビクっとする。私の声があたりに響いて広がる。本当にひとりきりだ。

恐ろしい動物がいたら?本で見たような妖怪とかお化けがいたら?それがもし襲ってきたら?

不意に恐怖でフワっと体が浮くような感覚に襲われ、私は首をすくめながら周りを見渡すと…

いた

川の向こう側に。弟が走る。

虫取り網を持ち、虫かごを肩から下げて川辺の岩から岩へと進んで行く。彼の体よりずっと大きな岩の間を、ヒョイッヒョイッと。素早い動きは遠くからでも楽しそうだった。

弟はこの生活を楽しんでいた。祖母の作る味噌汁にご飯をぶち込んだだけの夕食も嬉しそうに毎回おかわりして、虫が好きなだけあってお風呂場も暗がりも平気そうだった。時々、祖母の知り合いが連れて行ってくれる釣りにも夢中になっていたし、祖母のこともこの場所も好きだとも言っていた。

私はボンヤリと、弟の坊主頭を見ながら図書館で借りた本に載っていた河童のことを思い出していた。

怖さはいつの間にか消えた。

深い深い青。弟の坊主頭と虫取り網。誰も知らない夏。帰れない夏休み。




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