なんにもないけど、なんでもある。
こんにちは。たやおさ(@tayaosa)です。
ときどき、考える、豊かさについて、なにか書きたいなと思いました。
モロッコでも日本でもいつも考えるんですよね。
”豊かさ”とか”豊かな”ってなんだろな。これって。
先に一個補足しとくと、別に自分は、モロッコが豊かな国とかモロッコの人が豊かだとか、そういうありがちなことが言いたいわけではなく...ただ、モロッコのアスニ村で生活してたときに、あーこの人は豊かだなとかこの人の生活は豊かだなって、自分なりに腑に落ちた経験が強く原体験的にあるのも事実なんです。
思うと、結構、自分の人生は、この"豊かさを考える"って軸で進んでる気がします。
大学院でも”豊かな教育プログラム”ってなんなんだろう?って疑問になって、カンボジアでスタディーツアーやってるって高校のプログラムを1年間密着させてもらって、ずっと考えてたし(それで修論書いたし)、
その後、テレビ番組作ってたときも、バラエティーのフロアでカンペ出したり、ドキュメンタリー番組の編集とか手伝いながら、”豊かなコンテンツ”ってなんなんだろうって、ずっと考えながら働いてました。
モロッコでも、動き回りながら考えてたのは、”豊かな生き方”ってなんなんだろうな?ってこと。学校で授業したりとか、友達の家でタジン食ってたりとか、サデカをあげたりとか、バスでいなや思いしたときとか、同期とだべったりしてるときとか、豊かだなとかこの人は豊かじゃないな(=貧しい)とかって、やっぱりずっと考えてました。
いろーーーんな良いことも嫌なこともあったモロッコ生活だけど、一番強く印象に残ってるのってほんと素朴なところ。
アスニ村で生活してて、滞在直後のハネムーン期ありーの、暗黒のモロッコいやいや期を過ぎてーのあたりで、ハッサンっておじさんがお茶誘ってくれたりとかしたときに、
ハッサン、なんでそんな豊かなん?
(ハッサンって学校警備のおじさん)
(...金もそんな持ってないのに)
ハッサンっておっさんは本当に豊かな人でした。
豊かさ、うーん。なんなんだろ・・・。
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豊かな生き方。豊かな人。豊かな生活。豊かな…
自分は、豊か、なんだろうか?
逆に、自分は今豊かじゃないなって感覚はわかる気がする。
テレビとか雑誌で、成功者だってもてはやされて特集してる人とかの人となり見てて、時々悲しくなるぐらい、あーこの人、ほんと豊かじゃないな=(貧しいな)って思う時ある。
お金持ってる持ってない、モノ持ってる持ってない、知識がある知識がない、身体が自由不自由、耳が聞こえる聞こえない、友達がいっぱいいるいっぱいいない…
豊かさを語るときって、やっぱりそういう軸で話すときあるけど、本質はそこじゃないんだろうな。もっと違う軸(というか考え方?)なのかな。自分が考えてる"豊かさ"ってのは。
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考える手がかりは、いくつかある。
ハイデガーっていう哲学者は、豊かさとは、"過剰"だ。溢れ出てくるもの。って言ってた気がする。とにかく所有から離れたbeingなところで"ある"ことが豊かなんだって、確かそう言ってたような。
じゃあロハス的なオーガニックなプチ田舎生活みたいなのが豊かなのかというと、なんかそれにも少し違和感あるんですよね。というか、そういうタイプの人で、あーこの人豊かだなーって心から思える人にあったことがないってのが大きい。むしろ逆に、この人貧しいな(残念すぎるな)って人はいるけど。
モロッコで出会ったハッサンの方が、よっぽど豊かだと思った。
モロッコで、って話をすると、こんなこともあった。
モロッコで生活し始めて3ヶ月ぐらい経った、帰国隊員の中間発表会に参加してたときに、ラシディアだったかエルフードだったかの先輩が言ってたんですよね。
なんにもないけど、なんでもある。
それが私がモロッコで出会った感覚でした。
この言葉。すごい深いし、なにかすごいことを言い得てる気がしました。
(なんか自分もその感覚がわかるんですよね。実際モロッコで生活してた1人として)
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豊かさ。
なかなか何が豊かで、あーだこーだ言葉にするのは難しい。いろんな捉え方あるだろうし。なので、自分は、自分が考える”豊かさ”をとことん追求して体現できる存在でありたいな、と思ってます。
いろんな人の力や知恵を借りながら、豊かだなとって思う、人や、生き方、生活、考え方にだけ触れたい。学びたい。そこからなにか生み出したい。
なんにもないけど、なんでもある。
(モロッコで、この言葉に出会えてほんとよかったなー)