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【読書】町田のアイデンティティ~『横浜大戦争 川崎・町田編』(蜂須賀敬明)~

横浜市の各区を司る土地神様たちが、今巻では川崎市や町田市の土地神様たちと戦うことになります。

↑kindle版


『横浜大戦争』、『横浜大戦争 明治編』に続く3冊目ですが、前の2巻を読んでいなくても、巻末の「神々名鑑」さえ先に目を通しておけば、何とかなるかと思います。私自身、前の話をほぼ忘れた状態で読みましたが、大丈夫でしたので。

とはいえ、横浜や川崎周辺の土地勘がない方には、ちょっとハードルが高いかもしれません。川崎市川崎区を司る川崎の神と、川崎市全体を司る川崎の大神、川崎市多摩区を司る多摩の神と、東京都多摩市を司る多摩の大神が、それぞれ別にいるなど、分かりにくい部分もあるので。なお、ほぼ出てこないとはいえ、「神々名鑑」に横浜の大神が出てこないのは、いかがなものかと……。

以下、備忘録代わりに印象に残った部分をまとめておきます。


「私が芝居に打ち込めるのは、世が平和であればこそ。世が乱れていれば、人は文化に触れることなく、せわしない日々に追われ、人生は単調になるばかり。たとえ世の中が苦しくなろうとも、文化から人とのつながりを見出そうとすることを忘れてはいけません。心の余裕がなくなったとき、人は本当に貧しくなるのです」

p.20~21

女優をしている麻生の神(川崎市麻生区を司る)の言葉です。含蓄のあるお言葉です。


「土地神は、民を見守るのが役目だ。私たちは、民のために存在している。上位の神に命令されたところで、それが民のためにならないのならば、首を縦に振らないこともある」

p.46

「キャリアの長い土地神は、常に正しい姿勢が求められる。後輩の模範となるべく振る舞わなければならないし、そのプレッシャーが大きいのも理解できる。(中略)後輩からすれば、何でも完璧にこなしてしまう先輩より、ピンチをどう立て直すか苦心する先輩の方が親しみやすくて頼りになるのさ」

p.46~47

上は横浜市西区を司る西の神、下は横浜市港北区を司る港北の神の言葉です。神様というより、企業や役所で働く者に当てはまる言葉ですね。


「聞き分けの良さは、時に個性を殺す。お前はもう一人前の土地神で、自分の考えがあるのなら、それを貫く権利がある。自分の気持ちに素直になることはとても大事だ。しかも、それが、誰かを思ってのことならば、大切にした方がいい」

p.84

「できないことに思い悩むより、できることを探すのが正しい時間の使い方だ。一つずつ対処していけばいい」

p.85

「長く生きていれば、寝食を忘れて読書に没頭する時期があるもんだ。(中略)行き詰まった時は、誰かが残してくれた言葉に目を向けて、自分のちっぽけさを忘れさせてもらえばいい。読書は、自分にまとわりついた影を引き剥がしてくれるからな」

p.119

3つとも、横浜市保土ケ谷区を司る保土ケ谷の神の言葉。投げやりなキャラクターに設定されている保土ケ谷の神ですが、良いことを言う時もあります。


「谷戸というのは、丘陵が侵食されてできた谷のことで、治水技術が発達していない時代は、天然の農地として稲作に利用されてきました。町田や横浜、川崎は多摩丘陵に属していますので谷戸が至る所にあり、古くからそこに村や集落が作られて、民が生活をしていました。(後略)」
「地形的には、町田も横浜も川崎も同じ生活圏だったんだね」
青葉の神は感心したようにつぶやいた。
「所詮、市や区なんてのは人間が勝手に決めた縄張りに過ぎないからな。行政区域が分かれると別の街のように感じるが、河川流域や地形で意外なつながりがある場所は多いんだ」

p.120

確かにそういう観点でつながりを見ると、面白そうです。


ちなみに序章の「扇島事変」に始まり、各章の題名はその章の舞台を表しているわけですが、唯一第四章の「町田電撃戦」だけは町田が舞台ではないことが気になります。「町田電撃戦」という言葉だけは、出てくるんですけどね。


町田は横浜に食い込んでいる関係上、東京なのに都心の文化圏から離れていることと、神奈川の文化圏なのに神奈川ではないというアイデンティティの分裂に苦しむようになっていった。

p.178

「廃藩置県の後、オレサマの先輩、南多摩の大神は神奈川県に配属された。八王子から絹の道を通じて横浜港に至る中継基地として栄えた町田は、東京より神奈川に縁が深い歴史を過ごしてきた。一方で、北多摩や西多摩の地は東京に生活用水を送る玉川上水の水源確保や管理のため東京府に移管し、三多摩の一つである南多摩の地も東京に属すべきだという議論が浮かび上がった。それだけなら、まだ納得はできる。だが、当時の神奈川は、自由民権運動の根拠地であった町田を疎ましく思っていた。そこで、神奈川は活動家を弱体化させるため、町田を東京に丸投げして、裏切ったんだ!(中略)神奈川から東京に編入させられた南多摩の大神は、ひどい屈辱を味わった。神奈川からはつまはじきにされ、東京からはよそ者扱いされて仲間外れ」

p.285

この町田が抱える鬱屈が、今巻の肝です。このあたりの問題は、「ブラタモリ」でも扱われましたね。


町田市は三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』の「まほろ市」のモデルでもあります。


「アートっていうのはね、静と動が大切なの。過激な作品が、叫びながら作られていると思ったら大間違いよ? どんなに激しく見える作品でも、地味なやり直しを何度もやって、本当に美しいのかどうか眠る度に悩んで、時折やってくるすべてが退屈に見える心の弱さと向き合いながら、芸術は表出されるわけ! そのためには、静けさがないとダメなのよ!」

p.200

フラワーアーティストをやっている、川崎市多摩区を司る多摩の神の言葉ですが、これ、作者の蜂須賀さんの叫びでもあるのでしょうか。一見、ふざけたような作品に思える「横浜大戦争」シリーズですが、結構下調べが大変であろうことは想像がつくし、地味なやり直しならぬ書き直しは、相当していると思うので。


「横浜市歌」が重要な役割を果たす設定には、笑いました。ちなみに私ももちろん歌えますが、何か?


見出し画像は、環境創造局「かばのだいちゃん」のマンホール蓋です。今作に登場するランドマークタワーも描かれています。


↑単行本



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margrete@高校世界史教員
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