沿ドニエストル共和国について
*この記事は、公開済みの「この戦争は8年前に始まっていた~ウクライナ情勢について考えてみる~」の一部です。有料記事である同記事があまりにも長すぎ、我ながら読みにくいなと反省したため、無料公開だった部分を中心に再構成した上で、別記事として数記事に分け、公開することにいたしました。
1.沿ドニエストル共和国の位置
沿ドニエストル共和国は、ウクライナの南に位置するモルドヴァ共和国(以下、モルドヴァ)の国内にありますが、国際的には一部を除き承認されていません。いわゆる「未承認国家」です。
*この地図は、「旅行のとも、ZenTech」さんの地図をもとに作成しました。
なお「未承認国家」については、以下の記事内の記述を参照してください。
2.モルドヴァについて
モルドヴァはウクライナの西に位置する国です。かつてはモルダヴィアといい、第2次世界大戦中にソ連がルーマニアから奪ったベッサラヴィアと北ブゴヴィナが、ソ連のウクライナ領に編入されて誕生しました。戦後、ウクライナと分かれ、モルダヴィア自治ソヴィエト共和国となります。
今でもモルドヴァ国民の大多数はルーマニア系で、モルダヴィア語はルーマニア語の一方言と見なされます。
3.沿ドニエストル共和国について
沿ドニエストル共和国の位置をもう少し正確に言うと、ウクライナ南部のオデッサ州と国境を挟んだモルドヴァ側にあります。
*この地図は「旅行のとも、ZenTech」さんの地図をもとに作成しました。
沿ドニエストル(トランスニストリア)の部分は、モルドヴァの他の地域とは異なる性格を持ちます。18世紀にロシア人やウクライナ人が、当時のロシア帝国の西の国境を防衛するために入植した地だからです。
そのためソ連時代末期の1990年、モルドヴァ政府が言語や文化のルーマニア化を進める動きを見せたこともあり、ロシア系住民が沿ドニエストル共和国としての分離独立を宣言しました。結果、それを阻止しようとするモルドヴァ政府軍との間で紛争が起きました。
1991年8月、モルダヴィアがモルドヴァ共和国と国名を変更した上でソ連から正式に独立すると、改めて沿ドニエストル共和国の独立を宣言します。
4.トランスニストリア紛争
翌1992年、モルドヴァと沿ドニエストルとの間で武力衝突が発生し、1,000人以上が犠牲になりました(トランスニストリア紛争)。休戦後、ロシア、モルドヴァ、沿ドニエストルの合同の平和維持軍による停戦監視が行われるようになり、今に至ります。
2020年、それまでの親ロシア派のドドン氏に代わり、親欧米派のサンドゥ氏が大統領となると、ロシア軍に対し全面撤退を要求します。しかしロシアはそれに応じず、結局今でも沿ドニエストルにはモルドヴァ政府の実効支配は及んでいません。
モルドヴァは2022年2月のウクライナへのロシア軍の侵攻以来、国外に脱出したウクライナの人々を真摯に助けている国の1つです。モルドヴァとしては、もしロシアがウクライナ全体を支配下に置くようなことがあれば、次に狙われるのは沿ドニエストルではないかと恐れているわけで、現在のウクライナの問題は、まったくもって他人事ではないわけです。
見出し画像には、モロドヴァがワインで有名なので、「みんなのフォトギャラリー」からワイングラスのイラストをお借りいたしました。
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