美しい人②
「妹、絶対に怒ってるよね」
久しぶりの二連休。でも、状態が悪くなってきていた彼女が気になって、気持ちが落ち着きません。休みが終わるのを待ちかねていたあたしは、早々に出勤しました。
休みに入る前より意識がもうろうとしてきていた彼女、喋らなくなり、寝る時間が増えていました。もしかして、、、。
ユニフォームに着替え、急いで彼女の部屋へ行きました。夜勤看護師は朝ごはんの配膳に忙しく、パタパタしている時間です。
部屋に行くと、彼女のほっそりとした、白い腕は点滴のルートに繋がれていました。横にお姉さんが座っています。
「辛島さん。昨夜から、とうとう点滴をすることになっちゃったよ~。約束が違う!って絶対に妹、怒ってるよね」
「そうかあ。点滴、始めたんですね」
元々、食欲もなく、ほとんど口にしなかった彼女でした。でも、姉妹が買ってきた惣菜やスィーツ、お茶は少しずつ、少しずつ、口にしていました。
彼女が入院してきた夜勤の晩、彼女と彼女の姉妹も加わって、これから起こりうること、これからどうしたいかを話し合いました。
彼女の一番の希望は、「点滴はしたくない」でした。彼女の柔らかくて、真っ白なお腹の真ん中には、縦に大きな手術痕があります。
「パンツに隠れるくらい下で、小さな傷なら良かったけどねぇ。ただ、もう、これ以上、傷は作りたくない。もしも、ご飯が食べられなくなっても点滴はしたくないし、あたしの意識が無くなって、勝手に点滴を始めたら、絶対に許さんきね!」
そう笑いながら、でも、真剣な瞳で訴えていました。その瞳に誘導されるように、姉妹も頷いていました。
「分かりました。あなたの意思はスタッフで共有しますね。ただ、気持ちは変わることもあるし、あたしでもいいし、他に話しやすい看護師がいたらその人にでもいいので、自分一人で気持ちを抱え込まないでね」
彼女には両親はいませんでした。すでに他界しており、お勤めをしているお姉さんが身元保証人で一家の大黒柱、妹さんはまだ大学生でした。
仕事や学業の合間に面会に来ては、雑魚寝をして談笑し、夜もまめに泊まっていました。
明るい、場違いにも聞こえる笑い声、でも、他の患者さんやご家族は、その声に癒されると言ってくれました。
ほとんどの人はここに亡くなるためにやって来ます。確実に、終焉へと向かう病棟にいる彼ら。緩和ケア病棟という場所は、もうすぐ自分は死ぬ、という現実を突き付けます。
そんな場所に四六時中いたら、誰でも救いを求めたくなるもんです。
ただ、そんな笑い声も日に日に少なくなっていきました。以前は姉妹がいない時は、本を眺めたり、スマホを弄ったりしていました。でも、痛みは少ないけれど、体が怠そうで、寝る時間が増えていきました。
昼間に寝ると、夜、目が覚めてしまいます。独りで暗い部屋にいると不安になり、孤独に押し潰されそうになるようでした。
「いつ夜勤?ねぇ、お話ししようよ」
夜勤の夜、日勤が終わってから、時間を作っては彼女のそばに行きました。
「扉は閉めておいてね」
泣き声が廊下に漏れるのを気にする彼女は、扉は閉めさせ、それから静かに泣きました。泣いて、愚痴って、泣いて、愚痴ってを繰り返す彼女。ただ背中をさすって、抱き締めることしか出来ませんでした。
そして最後には、「約束、覚えてる?」って悪戯っこみたいな顔をして、念を押してきました。
「向こうであったら、嘘つきー!って、妹にどやされるやろうねぇ」
「お姉ちゃん、キレるとマジ怖いもんね!」
「点滴はしないと約束していたのに、約束を破ったから、あたしも覚悟してあの世に行きます」
「辛島さん。最後に四人で写真を撮ろう!」
亡くなった美しい人を真ん中に、これからも生きていくあたしたち三人は笑顔で「はい、チ~~ズ」。ピースサインで写真を撮って、お別れしました。
おわり