老人と蝉
看護師として働いていると、色んな人と出会います。もちろん、どの職業でも人と出会いますが、病院という場所は、人には見せたくない自分を暴かれるような場でもあります。
そんな不思議な場所で出会った人々は、たくさんいます。でも、どうしても忘れられない人はほんの一握りです。
その中の一人がの彼です。名前も顔も、覚えていません。ただ覚えているの、仏壇に手を合わす彼の後ろ姿だけです。
今日は、彼のことを詠んでみました。
空蝉や仏の顔で手を合わす
(うつせみや ほとけのかおで てをあわす)
季語は「空蝉」です。
蝉は長い年月を地中で過ごします。そして、地上に這い出てからの寿命は僅か一、二週間です。
その寿命の短さや、空っぽになった殻の様子から、哀れさや儚さと結びつけられます。
癌となり、家族の希望に添うように治療してきた高齢の彼は、突然、元主治医からできる治療がないので緩和ケアへ移るように言われました。
一般病棟では、外出も許可がされなかった彼ですが、緩和ケア病棟のある病院に転院したその日に、「家に帰って、仏壇に手を合わせたい」と希望しました。
すぐに主治医の許可をとり、彼の息子さんの協力を得て、酸素ボンベや吸引器等、必要な物品を用意して同行しました。
一人では歩けない彼ですが、折れそうなほど背筋を伸ばし、三十分近くも、一人で仏壇の前に座っていました。
秋の蝉病も医師も見放せり
(あきのせみ やまいもいしも みはなせり)
季語は「秋の蝉」です。
夏の間に鳴き続けていた蝉が、数を減らしながらも、秋になっても鳴き続ける様子です。
細く、細く、鳴いてきた蝉は、とうとう夏を乗り越え、秋を迎えました。
その姿が、外出も許可されなかった彼が一般病棟を生き抜き、緩和ケア病棟にやってきたことで、我が家に帰ることが叶いました。
見放されることで、解放される。そうやって手にするものがある。
落蝉の喉の奥から痰を引き
(おちせみの のどのおくから たんをひき)
季語は「蝉」です。落蝉という言葉はありますが、歳時記にはありませんでした。
疲れて横になっていた彼は、痰を詰まらせてゼロゼロいい始めました。
急いで吸引し、落ち着きました。彼は一時間ほど、自宅の、自分の布団で眠りました。
寒蝉や亡き妻思ひて散髪す
妻のあと追ふ寒蝉や散髪す
(かんせみや なきつまおもいて さんぱつす) (つまのあと おうかんせみや さんぱつす)
季語は「寒蝉鳴く」です。
仏壇に手を合わせ、自分の布団で休んだ彼の最期の願いは、近所の馴染みの散髪屋で髪を切ることでした。
髪を切ってもらう間、彼は大きな鏡のなかの自分を静かに見つめていました。
絵は、蝉とは無関係な工事現場です。お山の工房に行く途中、工事をしている場所があります。
本当は、後ろの方にプレハブの倉庫がありますが、力尽きました。
パッと見ると「?」な絵ですが、工事車両が2台、重なっているのが分かるかな。