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日々是祝日:「noteを始めて1周年です!」(2021年4月19日)

月曜の朝は早い。御堂筋線の人混みを抜け出て、改札までは少し早足、電車に乗り込むとブザーが鳴った。動き出した。空き席を見つけてホッとした。

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大学までは京阪電車で向かう。淀屋橋から出町柳までは特急でほぼ1時間で、贅沢な悩みかもしれないが、これがけっこうな暇である。調子の良いときは小説や教科書を読んで色々思い巡らせることもできるのだけど、早朝の脳では大抵睡魔にやられてしまう。音楽もいいけど、最近のSpotifyはすぐに止まるから、画面を操作しないとならなくなり、結局Twitterを触ってしまう。よくないなあ。

この日も例に漏れずそんな感じだった。友人が新設したアカウントの、しょーもないネタツイをぼけーっとに眺めていた。ふと、友人のプロフィール欄の見慣れぬリンクに気が付いた。noteだった。

おお、あいつ、note始めたのか、マジか。

あまり物を書かないタイプだし、読書家でもなかったし、普段から何を考えてるのかよく分からないようなやつだったから、つい興味をそそられた。

とはいえ、なんとなく開くのが躊躇われた。なぜだ。noteだからか?

そう、noteは僕の因縁の相手だった。

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およそ1年前、大学の前期オンラインが決まったとき、空いた時間でなにか物語的なのを書こうと思い立った。Twitterにはいくらでも雑文を書けるから、きっと簡単なんだろう。大枠は完成して、泉ヶ丘まで高野線に乗りながら2000字くらい書いた。これで大体半分くらいか、と思い、続きは翌日に回した。今日の自分より明日の自分の方が優れているから、もしかしたら4000字くらい書いてくれるかもしれない。そう思っていた。しかし、書けなかった。読み返すと、「あれ、こんな痛々しいものを、昨日の自分は面白いと思っていたのか?」と恥ずかしくなってきた。恥ずかしくない文章を書こうと決意したものの、どこを手直ししようとか、こういう書き方ではダメだとか、色々考えることが増えてきて、書けなくなった。それでも無理矢理に書こうとすると、どこかちぐはぐな言葉になってしまい、文字が増えれば増えるほど文章としてのまとまりが損なわれていって、結局消した。次の日も、その次の日もその症状は治らず、むしろ日が進むにつれ酷くなっていって、しまいには、書くのをやめた。5日後くらいのことだった。

その後も、とりあえず書こうとはしたのだ。「親指の爪の死と再生」だとか「あいみょん『マリーゴールド』考」だとか「19歳で独りビッグバンに行ったら寂しい気分になった話」だとか。書きたいことはいくつもあって、実際にいくつかは最初1000字程度までは書けた。ノリノリで書けた。でも翌朝、読み返すと決まって、消えてしまいたくなった。自分の底の浅さをnoteに見せられている気がした。特に、Twitterに入り浸るような、自らに幾ばくかのセンスが備わっていると信じ込んでいる異常者に、これは酷く効いた。自分の浅さに殺されかけた。僕は、自分が消える代わりに、その文章の方を消した。

「書く」というのはもともとは岩などに自分の痕を残すこと、つまり「掻く」ということだとよく言われる。自分がなにかを「書き出す」ときというのは、純粋にどこかのメモリに情報を与えている以上に、自分自身の奥の奥、内臓よりもずっと奥の、魂のやわらくて弱っちい部分を「掻きだし」ているのに他なら無い。自傷行為に他ならない。書き始めの方は興奮しているからなんともないが、その痛みは後から確実に効いてくる。血は流れないし青タンにもならないが、確かな痛みが効いてくる。

もっと言えば、「書く=掻く」ことは、もっとも「行為」らしい行為である。水を飲んだり洟をかんだりする以上に「行為」である。そもそも「行為」とはほとんど「存在」である。よく「発言や行為と人格(存在)はわけて考えろ」と聞くし、実際正しい部分もあるだろう。しかし人は、「行為」により「存在」を確認し、「存在」する以上「行為」をし続けざるを得ないのだから、悲しいことに「行為」と「存在」は不可分である。そして、「書く=掻く」ことは、もっともラディカルに「行為~存在」を喚起する行為である。なぜなら、僕は「書く」ことにより存在を主張し、(たとえばTwitterなどでは)僕が「存在」するとは僕の筆跡や記述が確認される状態にあることに他ならない。そして自己の「存在」とは醜怪なるものの極北である。

僕がなぜ痛み、苦しんだか。それは、僕の「存在」に衝突したからであったのだ。noteの下書きが、僕に僕の「存在」を、その卑小さを、投げつけてきたからであったのだ!

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そういうわけで、僕はnoteを開けないままであった。彼のくだらないジョークにも笑えなくなって、スマホの画面を消した。

アナウンスが聞こえた。足音で騒がしくなった。樟葉だった。人の入れ替えが激しい。高校生も増えてきて、先程より少し賑やかになった。

そこで友人のことを思い出した。

そうか、あいつは、だから今まで物を書かなかったのか。しかし、今、あいつはnoteの記事を書き、しかもリンクを全世界に公開した。つまり、自分の存在に向き合ったのだ!

よし決めた。そうというならば、今年で9年の付き合いだ。僕も彼の勇気に報いてやろうではないか!僕はスマホに視線を戻し、リンクをタップしてその友人のnoteを覗こうとした。

しかし、画面がにわかに暗転した。こんなのは聞いていない、なんだなんだ、と少しのパニックの後、目に白い四角形が飛び込んできた。

noteを始めて1周年です!お祝いしましょう!」

明るい通知だった。明るくて、ポップで、ローソクまで立てた通知。陽気で、無邪気ささえ感じる通知だった。

失望した。

ブザーが鳴り、重い扉が閉まって、鈍い振動が始まった。外の景色は流れ始めた。

ぼんやりと、小学校時代の顔見知りと環状線で鉢合わせしたときのことを思いだした。

友人だぜというテイで迫ってくる、なんかいかにも「感じいい」やつ。すぐ肩叩く、すぐ彼女いるか聞く、渋々答えても「ふーん、つまんね」としょっぱい反応をする、すぐ「それよりさ、LINE交換しね?」と言う、したのはいいけどその後なんの連絡も寄越してこない、そんなやつ。パッと見は「感じいい」割に、ニコニコする目の奥がドライアイスのように冷たくて、こちらの視線も、期待も、喜びも、憎しみも、歴史も、すべてなかったことにして、僕の「痛み」を取るに足らないことだと、無視をして、「はじめまして!」と同じトーンの「久しぶり!」をやってくる、そんなやつ。

そうかそうか、noteはそういうやつだったのか。この1年を、僕がnoteに憧れ、挑み、悩み、怒り、戻り、闘い、怯え、戦き、狂い、破れ、諦めたこの1年を、「痛み」に藻掻いた1年を、いとも容易くなかったことにしてくる、そういうやつだったのか!

失望した。

失望した。失望した。失望した。

失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!失望した!


失望した!

僕はカッとなってリュックサックから真剣を抜き、首へと一閃、スパッと刎ね飛ぶ、開き窓から飛び出して、しばしふわりと宙舞えば、見頃の菜の花畠を転がり、どぶんと木津川に落ちた。

特急は淀をすっ飛ばして遠くへ遠くへ消えていってしまった。

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首だけになって、木津川をぷかぷか浮いていると、南から渡ってきたコアジサシたちが、中州と間違えて僕の頭頂に止まって、互いの愛を確かめあうと、そこで営巣を始めた。そして「noteを始めて1周年です!」「お祝いしましょう!」「お祝いしましょう!」と啼いた。

愛を知るコアジサシたちの啼き声は朗らかで、岸辺の菜の花は眩しく揺れる。しかし春風はほのかに冷たかった。

僕は目許を赤くしながら、叫んだ。「やめてくれ!祝うな!頼むから、放っておいてくれ!」しかし、コアジサシたちのdecsantはなおも続く。永遠の春を謳い続ける。

「お祝いしましょう!」

「お祝いしましょう!」

「お祝いしましょう!」

「お祝いしましょう!」

(写真は桃ヶ池公園で撮影した、本記事とは一切関係のない飛び出しガールです)


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