
日報 2月15日 他人のことはわからない。
記入者:かくなみ みほ
「ねぇ、ポケモンやったことあるんでしょ?」
と、ある少年に尋ねられました。
「緑と金だけね」
と答えると、その少年はニンマリと笑いました。
その少年から、
「バドミントンをしよう」
と誘われました。
「うん、いいよ」
と答えると、
「打ち返すたんびに、ポケモンの技の名前を言い合おう!」
と、彼は提案してきました。
「オウマイ!それは完全に君の方が有利じゃないか!」
という叫びは心の中にしまい、
わたしたちは打ち合いをはじめました。
「かえんほうしゃ!」「たいあたり!」
「はっぱカッター!」「みずでっぽう!」
「ソーラービーム!」「はかいこうせん!」
「なきごえ!」「はねる!」
馴染み深い技の名前が飛び交いました。
わたしは早々に技名が枯渇し、
適当なことを言って打ち返しました。
少年は、それでもかまわない様子でした。
その後もう一人少年が加わり、
3人で打ち合いをしていました。
突然、加わった少年が笑い出しました。
「何がそんなに面白いのさ?」
と言って、彼をよく見ると、
指で鼻をつまんだまま思いきり鼻から空気を吸い込み、
指を離しても鼻の両穴が塞がった状態で、
それを維持しながら打ち返してくるのです。
「な、なんて器用なことを!!」
わたしも真似てみました。
とてもじゃありませんが、維持なんてできませんでした。
少年たちは、笑いながら打ち合いを楽しんでいました。
人生の軸から見たら、とても些細な一瞬。
朗らかな少年たちと一緒にバドミントンをして、
わたしの心も朗らかになった気がします。
他人と心を通わせるのは、稀有なことですね。
だからたった一瞬でも心が重なったら、
それは奇跡だと思うことにしています。
すれ違いとか勘違いとか、
意見のぶつかり合いとか、
そういうものを超えていく道すがらに、
何度か心通うポイントがあるような気がします。
だから何度でもすれ違い、ぶつかり合う方がいい。
それで他人というものが、
自分の価値観や経験では推し量ることができなくて、
“本当の他人”だということがわかってくる。
自分の中にはなかった物事の見方や、
どこにどんな風に心が動くのかということを知って、
それで初めて、寄り添い合えるものだと思います。
自分以外の人のことはわからないから、
寄り添い合う時間を大切にしたいね。