日報 3月31日 “後回し”が教えてくれたこと
「明日から新年度になるので身の回りを整理しよう」
なんて思う時点で、普段身の回りを整理できていない証拠です。
今日のミンミンがそうですよ。これは覚書です。
そんなにモノを持っていないと思っていましたけど、
机の上には“後回しにしてきたもの”がたくさんあったのね。
たとえば、どこかで拾った小さくてかわいい鉄くずとか、
壊れたアイスクリームスクープの部品たちとか、革の切れ端とか。
こういう細かいものたちは、
机の端っこのほうに並べてあるの。
見ているだけでかわいい!癒し!
というものばかりで。
それで、気がつくとそこいらじゅうに飛び火していました。
机の反対側の端、棚の隅っこ、お財布の内ポケット……
身近にあるありとあらゆる端っこに、
細かくて小さくてかわいいものが増えていました。
これ、どこに置いておこう……
まぁ、この辺でいいか……
根拠のない“なんとなく”の繰り返しで、
わたしは途中から考えることをやめていた。
どこに整理・配置するのがベストかを判断しなかった。
おかげで小さく細かなものたちは、
みるみる繁殖していきました。
いつの間にか、整理しなくちゃいけないもの、
“見守るべきもの”が増えていたのです。
同時にね、
「全部を見守ることはできない」と気がつきました。
目が行き届かなかったものは、
ひとりさみしく泣いているように見えた。
悪気があって放っておいたんじゃないよ。
私の意識が行き届かなかっただけなの。
でも結果は、放っておいたのと同じ状態。
どこに何があるかわかっていて、
必要な時にすぐに取り出せるくらいの暮らしがいい。
それって当たり前なことね。
今私の住んでいるところでは、
ちょっと歩いただけで、お金を払っただけで、
生活を豊かにする日用品や食材が手に入ります。
巨大な冷蔵庫や暖房施設がたくさんある。
とても贅沢な暮らしです。
この上、人は何を求めるんでしょう。
家族、恋人、家、土地、会社、約束、など、
人の暮らしの根底には、日々守るものがある。
「守りたいもの」より、「守らなくちゃいけないもの」のほうが多いと、
たんたんと防御することで人生の大半が終わってしまう。
与えられた価値観を鵜呑みにしているだけじゃ、
いつまで経っても、自分の頭で考えた“大切にしたいもの”を守れない。
積極的に日々付き合っている人や感覚、価値観を守っていければ、
休憩時間のたわいもないおしゃべり。
好きな人と美味しいごはんを食べる時間。
たまたま見上げた空には雲ひとつなかった。
それだけで人生はけっこう満ち足りるかもしれないよね。
後回しにされたものたちがミンミンに気づかせてくれたこと、おわり。