日報 3月1日 「同じ」だけど、「違う」もの
記入者:明明
同じ地球の上に、
違う生き物が暮らしている。
違う生き物の中に、
同じ生命の構造がある。
同じ生命の構造の中に、
違う遺伝子の暗号が入っている。
違う遺伝子の暗号が生まれたのは、
同じ地球の上で。
「違う」と「同じ」は、
いつも同居しているのかもしれない。
「あなた」と「私」はどうだろう?
“生き物”というくくりだと、同じ。
“笑いのツボ”は、同じかな。
“今日の気分”は、きっと違うね。
“お腹すいた”って気持ちは同じでも、
“いつ何を食べたいか”は、違うかもね。
今日のミンミンは、そんなことを思っていました。
人間はだいたい同じような感覚を持っているけれど、
解釈の仕方は、各々全く違うもんだ。
わかっているつもりでも、時々、
「相手も自分と同じ感覚で生きている」
という思い込みを前提に、モノコトが進んじゃう時がある。
その状態はときに、
“不意に相手を傷つける”ことを引き起こしちゃう。
「勘違いだよ!そういう意味で言ったんじゃないよ!」
と言っても、相手にとっては傷つくのに十分な感覚だったりするんです。
相手を傷つけてしまったら、
そんな自分が恥ずかしく、責めたくなります。
自分の感覚と、相手の感覚を素直に受け取って、
お互いが気持ちよくなる行動をすればいいのにね。
ミンミンは、まだまだ尻の青い小娘です……。
相手がモノコトをどう解釈するかは、わかりません。
だからいつでもリラックスして、
柔らかい心でいるのがいいだろうと思いました。
私は私のまま、100%存在しているのがいい。
あなたもあなたのまま、100%存在しているのがいい。
きっと、世界はそれでパーフェクトだ。
「同じ」部分があるからこそわかりあえて、
「違う」要素があるからこそ刺激しあえる。
わかりあえて、刺激しあえたその先には、
生き物の魅力でいっぱいの世界があるんじゃないかな。