日報 2月25日 100%理解するのは不可能だ
記入者:タラバミント
「こわしたら(構造が)わかる」
と、友人の大工さんが言った。
彼は幼い頃から時計を分解したり、
バイクを自分で直していたようだ。
そして友人の中で唯一と言っていいほど、
取り扱い説明書を読破できる頼もしい人だ。
彼のいう「こわす」は、「分解する」という意味だ。
建物の解体なんかだと、
順番通りにやらないと分解できないものもあるから、
メチャクチャにこわすんじゃなくて、構造を見ながらこわすそうだ。
「こわすところを見てるから、つくるときは逆再生すればいい」
と、彼は言う。
僕は感覚人間だから、
とても逆再生はできなさそうだ。
でも、彼の言うことはわかる。
どんな構造か知っているから、
どうやって組み立てればいいのかわかる。
構造を知っているのとそうじゃないのとでは、
物事を判断するときの決断力に雲泥の差が生まれる。
構造を知るっていうのは、
たぶん、生きる基礎なんだろう。
からだの構造も、こころの構造も、
友人の構造も、僕の構造も、みんな同じ。
みんな違う構造だから、
ゆっくり分解するしかない。
そうやってはじめて、
他人や自分のことがわかってくる。
こころもからだも日々変わっていくから、
100%理解するのは不可能だって僕は思う。
だからときどき分解して、構造とにらめっこするしかない。
それぞれの正義の旗のもと、
「生きるのに大切なのはこれだぜ?」
と人は口々に言うけどさ、
そんなものは十人十色なんだよ。
みんながそれぞれ違うものを大切にできるからさ、
世界がまるっと、大切にされるんだよ。
日向も、日陰もね。
僕は一生取り扱い説明書は読めないだろうけど、
定期的に分解したものの説明くらいは、できるようでありたい。