日報 3月11日 “思い”を“見つける”
記入者:かくなみ みほ
社内の模様替えと席替えをしました。
会社の1階にあったデスクたちを2階にあげ、
それぞれのデスク周りに陽の光が差し込むようにしました。
四方にパソコンの光が逃げるので、
とても快適に仕事ができるようになりました。
窓から外の風景が見えるようになったので、
道ゆく人やスズメの小群なんかが目の端に入ってきます。
今日は風の強い日でした。
「春一番」というより、
「冬最後の一発」といった感じです。
冬は、去りたくないんでしょうか。
毎年去って行く冬。一体どんな気持ちで去って行くのでしょう。
そもそも「去る」という感覚ではないのかな。
仮に、四季が一つの人格だとして、
体温や体調が変わるように季節が移ろって見えるとしたら、
冬は「去る」んじゃなくて、「衣替え」みたいな感覚かしら。
カウチン(冬)を脱いだら、
その下に来ていた麻のシャツ(春)が見えた。
そんな感じかしら。
春にする思いつきは愉快で良いですね。
非現実のようで、どこかの次元では現実のことだったりするのかな。
思いつきって突拍子もなくやってくるように見えるけど、
その人の中にもともとアイデアやきっかけとなる事柄があって、
そのアイデアの集まりの中から、“思い”を“見つける”んだと思います。
わたしはたくさんのアイデアと共に暮らしています。
アイデアがそのまま現実になったのは、ほんの一粒ほど。
その他のアイデアたちは、
五目ごはんの具のような役割を果たしてくれています。
具が一種類じゃ味気ない。
けれど何種類か集まったら、これまた絶妙な塩梅になる。
口の中で唾液と混じると、さらに奥深い味わいになる。
頭の中のアイデアたちは、
そんな風にいつも側にいます。
実現することを焦るんじゃなくて、
忘れないで側にいることが大切なんだと思いますよ。
「なんだか、とっても良いことを思いつけそう」
春先はそんな気分にさせます。
だから、まんべんなく、広い視野でいたいもんです。
小さな物にも、
大きくゆるやかな変化にも。
自分の中にはないアイデアが、ふら〜っと遊びに来てくれるように。