日報 2月7日
記入者:タラバミント
今日は、“ヒュッゲ”を体験した。
ヒュッゲとは、「満ち足りる」とか、
「居心地の良い雰囲気」を伝える北欧の言葉だそうだ。
僕は日本というお国に、ときどき、
「控えめにしているのが美徳」みたいな空気を感じる。
例えば「休みたい」としよう。
堂々と休んだらいい。
そのかわり誰かが「休みたい」ときは、
「堂々と休めよ」という態度を示してあげればいい。
そんな風に、win-winでおもんぱかれたら素敵だ。
おもんぱかれる気質はいいもんだけど、
選択権を周囲に委ねるっていうのはちょっと違うよ。
空気を読むってなんだ?
何ページ読めばいいんだ?
必要なときに必要な行動をすればいいよ。
僕も不安に襲われるってことはあったけど、
ガタガタ心配したって、何も防げなかった。
とある野球監督はこんなことを言った。
「瞬発力を養うには、柔らかい筋肉をつけろ!」
僕はそれに同感である。
自分という物体が、
とある事象に対して的確な反応をするには、
心も身体も柔らかく構えているのがいいんだ。
心配事はつきない。
なら、その心配や不安を解決するために、
行動できる身体と知恵を養っておいたほうが、
少しは献身的だと思う。
今日体感したヒュッゲは、
まさに“柔らかい筋肉”のような感じだった。
お菓子を食べて、コーヒーと紅茶を飲んで、
吹雪く外の景色を眺め、
ポロポロとおしゃべりをする。
心静かに、そこにあるたしかな幸福を味わいながら、
どこか身体の奥底で、小鍋がくつくつ煮えるような情熱の存在も感じる。
はたから見たら、ぼぅっとするの極み。
しかし、「静」の中にある「動」は、なんて力強いんだろう。
大きな声で騒ぐ人はいなくて、
威張る必要も、謙遜する必要もない。
存在アピールの必要すらない。
「ここに存在している」ということを、
一番味わえているのが、きっと自分自信だからだ。
今僕が生きてるのは誰かの軌跡で、
それって本物の奇跡だと思うんだ。
くすぶっていられないね。