ハンミョウのいた坂道
たった十人ほどの客を乗せたバスも、ひとりふたりと降りていき、終点に着いたときに下車したのは僕だけだった。
二つの橋を渡る。川と川とが合流する地点で、そこから緩やかな坂道が続く。右手は川、左手は雑木の山が続き、土手には葛などの雑草が繁茂していた。
小学校の六年生まで毎年のように、夏休みになると僕はその坂道を上って、祖母のもとに行った。母と一緒のことが多かったが、父に連れられて行ったことが一度だけあった。
「あと15分ぐらいだから」と父が歩みを止めて言った。
「暑いな。ハンカチ持っているか?」
阪神タイガースの帽子をかぶった僕の額から吹き出る汗を見ていたのだろう。僕が慌てて拳で拭うと、笑ってポケットからハンカチを出して渡してくれた。そして僕の歩調に合わせるようにゆっくりと歩きはじめた。
小学校に上がる前はよく遊んでくれた父だった。
しかし、仕事が忙しいのか、朝早く夜は遅い毎日で、顔を合わせない日が何日も続くことがあった。だから、その日は少し照れくさいような嬉しいような気がしていたし、何でもいいから話したいと思っていた。
「ねえ、お父さん。僕ってさ、お父さんとあんまり似てないのかな?」と、いつも思っていることを口にした。普段からお母さん似ねなどと言われてばかりだったのだ。
父は立ち止まりゆっくりと膝を負った。
「確かに顔はお母さんに似ている。でも隆はお父さんとココロネが似ていると思うよ」
ココロネ。意味の分からない言葉だった。
「うん、性質って言った方が分かるかな?優しいとことか、泣き虫のとことかな?」
「お父さんも泣き虫なの?」
「隆くらいの時はそうだった。今は泣かない。隆もそうなるさ」
父はそういうと、笑いながらゆっくりと立ち上がった。
その時、目の前を何かが走った。一瞬、光を放ったように見えたものが、数メートル先の砂利道に降り立った。緑がかった黒の地に赤い帯のある昆虫だ。
僕が近づくと、またふわっと離れたところに飛んでいく。
「斑猫だ」と父が言った。「斑の猫って書く。道教えともいうらしいぞ」
確かにハンミョウは僕が近づくのを待つかのように見せながら、近づくとまたふわりと先へ行く。それはまるで道を教えているようだ。
だが、4、5回繰り返すと、僕が近付いたせいなのか、それとも道教えに飽きたのか、突然姿を消してしまった。
斑猫のいた坂道。いまではアスファルト道路に姿を変えている。斑猫は幼虫の時、道路などの穴に隠れ、通り掛かるアリや小虫を食べるんだと、あのとき父が言っていたことを思い出す。今のようにアスファルトでふさがれては、卵を見つけることもできないに違いない。
あの父との夏が終わると、両親が離婚した。僕のあずかり知らぬところで、2人は別れを決めたようだった。何日も姿を見せない父のことを僕は母に尋ねたかったが、何かそれまで以上に明るく振舞おうとしている母には聞かないほうがいいと思えた。父も母もかわいそうだと子供心に思ったのだ。
今にして思えば、母の細かい性格が災いしたのではないかという気もしないではない。本当のところは分からない。
あれから父は自分の生まれたこの村に帰ってきた。そして20年が過ぎた今、僕は父に会おうとしている。父は半年前に交通事故をおこした。居眠りからの自損事故だった。
その検査の過程で肺がんであることがわかる。80歳になる僕の祖母は、事故をすぐに連絡しようと思ったが、やはり縁が切れた母には連絡するのがためらわれたのだ。
だが、意識がないまま病状は悪化し、あとどれくらい持つか分からない状態になって、ついに意を決したというわけだ。連絡を受けた母は父に逢うことを拒んだが、それでも僕には選択権を与えてくれた。
もうすぐ父の家に着く。そこには口も利けない父が、ただ横になっているだけかもしれない。これ以上病院にいても回復の見込みがないのであればと、祖母は家に連れ帰りたいと願ったのだそうだ。
父は東京の家をでてから一度だけ短い手紙をくれた。父親としての無念さと、お詫びの言葉があった。
僕は父を憎んでなどいない。父との最後の夏、この坂道での短いやり取りを時には思い出しながら今日まで来たのだ。ココロネが似ている親子。
そしてきっとココロネは変わることはない。
そんなことを語りかけてみようか?
斑猫の話もしてみようか?
あの角を曲がれば、父の家はもうすぐそこだ。