無題

寿司ワンダーって名前が最高だね、と褒めて貰える機会が有難いことに多い。私も寿司ワンダーという名前に愛着を持っているから謙遜もせず褒められた言葉に同意しにこやかに相手と肩を組む。余談であるが、そのあとそのまま寿司ワンダーの本名も伝えると相手とは2度肩を組むことになる。

「名前は世界一短い祈り(呪い)だ」趣旨の話をTwitterかなんかで時々目にする。本名はさておき、寿司ワンダーの名前の由来はふわっとした感覚と直感で決められたもので、由縁を尋ねられてもまごついてしまうことが多かった。『漢字とカナカナ、軽やかでおめでたい名前でなんか楽しいっぽいのがいいな』のアイデアベースから頭の中にある言葉をピックアップし継ぎ接ぎした。インターネット上で会話したり街で待ち合わせして一緒に美味しいものを食べたりと、これもまた有難いことに友達ができて寿司ワンダーは少し思い入れのある名前になった。

インターネットとは長い付き合いをしてる。当時ちこちことやっていたモバスペもmixiも同じく、そのときどきに身を置くコミュニティで露わに出来なかった自分の多角的な一面をおろしていて、手持ちではいちばん安心して着地出来ていたインターネット空間だった。インターネットコミュニティは、自分の好きな情報だけ集められて自分で作っていけるからいい。ただこれはある種のクローズで、「好きなものだけ辿れる心地よさ」だけを得るに至るには、まだまだ自分は若すぎるかもしれない。オープンスペースを好み閉塞感と強固な帰属意識を忌むがゆえ、求めた心地良ささえときには息苦しくなってしまう。スピッツは大好きだがふたりだけの国は勘弁と思う、やらされている事はひとつもないのに不満を抱く野暮な自分に時折辟易するも、今更仕方ない事ではある。


4月。この未曾有の事態コロナ禍で、自分はおやすみの日は常々外に出て人と会い誰かと時間を過ごしていたのだと実感する。ベッドに横たわり好きな音楽を流しSNSを眺め映画を3本くらい観るのもそれなりに楽しく、ひとり遊びもいいもんだなと今更気づく。

ひとりの時間を過ごすと自分との対話が多くなり、''言葉''の浮き沈みが止まらなくなる。この浮き沈みは悪いものではなく、Twitterのように140字の短いセンテンスから、ブログや論文のような長い文章まで、''書く''ときに使っている頭の中にあるプールの中で起こる現象である。

殊に何かを書くときには、全ては感情が先行するものの、様々な言葉が漂うプールから浮かんだ言葉を取り出して当てはめてみてしっくりくるようなら進める、を繰り返している。

大森靖子さんの日記(TOKYO BLACK HOLEの限定特典で付いていたもの)だか何かにも確か書かれていた『感情をあとから論理で刺す』スタイルに共感を覚えている。自分のプールでは言葉が目立ち、そのまま言葉として外に出力しているが、音楽家や映像作家の持つプールには何が多く漂っているのだろうか、言葉ではなく色や形なのだろうか。

文章を書くことを好み、時間を置いて自分の書いた文章を読むことが好きで、寿司ワンダーは魂の美容アカウントで、自分との対話をしていて、頭の中とは別の場所にとっておいてあとで眺めて心地が良い、自分が納得する整理空間をここで作れればいいと思う。

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