「生きているだけで偉い」という暴言について
自己肯定感の大切さが叫ばれている昨今で、よく言われるようになった「生きているだけで偉い」という言葉。僕は本当にその言葉が嫌いで仕方がない。
この言葉は優しい響きを持っているように見えるが、結構残酷な意味を持っているように思う。
生きているだけで偉い。では、生きたくても生きられなかった人、今は亡き人は偉くないのか?
もちろん、この言葉に他意は無いだろう。「生きているだけでいいんだ」という優しさゆえに生まれた言葉なのは十分理解できる。何かあればすぐに失ってしまう自己肯定感を高めようとして生まれた「励ましの言葉」であることもわかる。
しかし、そこに「偉い」という言葉を含ませてしまうことにどうも引っかかりをおぼえる。偉くても偉くなくても生きているだけで良い、とはならなかったのか。
そもそも、偉いだの、偉くないだのジャッジしてしまうことは正直グロテスクなことである。偉くなければならないという優生思想的価値観すら感じてしまう。
それでいて、この言葉に含まれた「ゆるふわ」な感じ。この言葉を批判できないような優しさが見えるから、なんとなく言いづらい。真綿で首を絞められるような気持ちになる。
ゆえに、「生きているだけで偉い」というのは暴言だと思う。批判できない暴言だから、余計にタチが悪い。
某芸人がオリンピックに絡めて、「生きているだけで偉くて優勝」と言ったことに対して噛みついた某タレント。言うまでもなくそのタレントの発言は許されない内容であったし、その発言は有り得ないと感じた。しかしその一方で、もう少し「生きているだけで偉い」という言葉について、考えを改めた方がいいとも思っている。この言葉は優しさを持っているように見せかけた自覚なき暴言だ。
生きているだけで偉いということはない。
生きている意味なんてないのだから。
偉くなる必要もない。
本当にセンスのない暴言である。