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今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学浪人編〜

大学受験に落ちた私は、浪人という道を選択しました。

とりあえずあと一年だけは挑戦してみようと。もしこれでダメならすっぱり諦める決意を固めていました。



高校を卒業してからは、時間だけはたっぷりあったので、とりあえずアルバイトを始めました。

朝10時から14時頃までは高校の時お世話になっていた弁当屋で働きました。

その後は18時頃まではフリータイム。図書館で勉強したり、ジョギングしたりしていました。

そして19時から深夜1時までは近所のスーパーで品出しのアルバイトをしていました。

アルバイトが終わってからも高校の友人と遊んだりしていました。

その友人は車の免許を取り車も持っていたので、よくドライブに行きました。

高校の時は主にバイクで遊んでいたので、友人と数人で乗れ、雨も気にしなくて良い車でのドライブは楽しく感じられました。


当時私たちの周りで流行ったのがドリフトでした。

そうです、車の後輪を滑らせながら走行するアレです。

車に乗るとああいった事をやってみたくなるんですよね。


夜になるとある海沿いの道路にドリフト車が集まるスポットがありました。

友達の車は軽自動車だったので参加こそしませんでしたが、よく見学に行っては刺激を受けたものです。


彼女ともちょこちょこ遊んではいました。

彼女は専門学校に進学し、夕方からパン屋でアルバイトをしていたので、基本土日に会っていました。

ショッピングに行ったり、少し背伸びをして居酒屋に行ったりしていました。


4月から7月まではこんな毎日を送っていましたが、8月からは受験に本腰を入れようと思い、アルバイトは全部辞めて、よりレベルの高い予備校に通わせてもらいました。

そこでは朝9時から夜22時頃までみっちり勉強していました。

半分以上の時間は自習でしたが、授業の質が高くわかりやすいものでした。

毎回E判定だった模試でも、10月頃にはC判定にまで上がっていました。

勉強すればした分だけ成績が伸びている事が実感できたので、この時期は勉強する事が楽しいとさえ感じていました。


この浪人中の秋頃、一緒に住んでいた祖母が亡くなりました。

訃報の知らせが来たのは私が予備校にいた時でした。

以前から体調が悪く入院していたのですが、こんなに早く逝ってしまうとは思っていなかったので、すぐには心の整理ができませんでした。

通夜や告別式を終えてもまだ実感がなく、ただただ心にポッカリと穴が空いた様な感覚でした。


もっと祖母から色んな話を聞いておけば良かった、もっと優しくしておけば良かったという事だけが心残りでした。


私が家に友達を連れてきた時も、笑顔で迎え入れてくれた祖母。

私が好きなお刺身を、足が悪い身体でよく買ってきてくれた祖母。

これからは空の上から私たちを見守っていてくれていることでしょう。



ありがとうございました!次回は大学入試とその後の話をnoteしたいと思います!



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