【鹿児島県姶良市】イオンタウン姶良の変遷を追ってみた。
みなさんのおうちの周りや実家の近くに
総合スーパーの「イオン」はありますか?
イオンと言っても、たくさんのブランド名で店舗を出しているけど
代表的なのものが「イオンモール」や「イオンタウン」
あとは「イオンショッピングセンター」といったものではないでしょうか。
運営会社の変更や吸収合併等で店舗ブランド名が変わるのはよくあるお話。
特に「イオンショッピングセンター」は過去にジャスコ(JUSCO)だったりサティ(SATY)だったり、はたまたダイエーだったりしたのでは?
いまだに旧ブランド名の「ジャスコいこう」とか言ってたりして。
うんうん、分かります。
そんな店舗は全国にたくさんあると思いますが、
今回は「ニチイ系の店舗」→「サティ」→「イオンショッピングセンター」→「イオンタウン」と見事な4段活用で進化を遂げた店舗をご紹介したいと思います。
それは、鹿児島県姶良(あいら)市にある「イオンタウン姶良」です。
■ニチイ系「サンシティ・リブレ」時代(1988年~2000年)
もともと隣町の加治木町にあった地場ショッピングデパートの「エビスヤ」が九州ニチイ(マイカル)と共同で開発した
ショッピングセンター「サンシティ・リブレ」を起源としています。
バブル真っ只中の1988年11月。
鹿児島県姶良郡姶良町にショッピングセンター「サンシティ・リブレ」
開業。
当時、鹿児島において郊外型のショッピングセンターは大変珍しく
大いに賑わっていました。
「サンシティ・リブレ」という名称でしたが、ロゴマークはニチイと同じ「鳥が四葉のクローバーをくわえている赤いマーク」
を採用していました。
1997年、運営会社がエビスヤからマイカル南九州へと変わります。
その後2000年にマイカル南九州がマイカル九州に統合されたタイミングで
12年営業していた「サンシティ・リブレ」は役目を終えます。
■「姶良SATY」時代(2000年~2011年)
2000年、マイカル九州運営の「姶良サティ」として生まれ変わります。
(この時、2階のイベントスペースを売り場スペースとして増床)
2001年、親会社のマイカルが経営破綻しイオングループの傘下となったことをきっかけに2007年にはイオン九州の運営となります。
2011年、イオンリテールによるブランド名統一により11年の歴史に幕を閉じ「姶良SATY」の商号は消滅、「イオン姶良ショッピングセンター」と
名称変更されます。
SATYの後半時代は、だいぶ冬の時代でした。
というのも、市内外同じようなショッピングセンターができ始めていましたし、価値観の多様化などで客数・売上は全盛期よりだいぶ減っていたと推測されます。
■「イオン姶良ショッピングセンター」時代(2011年~2016年)
イオン姶良ショッピングセンターに変わってからも全盛期を超える賑わいは見られず、建物も老朽化が進んでいました。
しかしながら「イオン姶良ショッピングセンター」の西側にある
広大な土地をイオンタウン株式会社が購入したことから
一大プロジェクトが動き出します。
■「イオンタウン姶良」時代(2016年~現在)
イオンタウン株式会社は「イオン姶良ショッピングセンター」の西側の土地に新たに「イオンタウン」を建設し、
現「イオン姶良ショッピングセンター」と一体化した店舗運営をする、
と発表したのです。片方は古い店舗、もう片方は新店舗。
道路を挟んで通路でつなぐ、という計画も明らかに。
この時は、いったいどうなることやらと見守っていましたが、
結果としてイオン姶良ショッピングセンターの西側の土地に
「イオンタウン姶良(西街区)」を建設、
オープン後「イオン姶良ショッピングセンター」を取り壊し、
その土地にイオンタウン姶良(東街区)を建設するという計画
に落ち着きます。
結果、イオンタウン姶良は「日本最大級のイオンタウン」として、
現在も営業を続けています。
■当初の運営会社「エビスヤ」の現在
ちなみに、元々の運営会社「エビスヤ」は
2023年現在において、姶良市加治木町で酒屋さん・制服販売の
お店として営業しています。
■まとめ
いかがでしたでしょうか。
ニチイ系店舗→SATY→イオンショッピングセンター→イオンタウン
という見事な4段活用じゃないですか?
店舗や街が生まれ変わっていくことはワクワク楽しいものである一方、
少し寂しい思いもありますね。
みなさんの街の「イオンの歴史」も辿ってみると面白いかもしれません。
(一部画像は「都市総合研究所」さまよりお借りしました)
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