[クラブ史]1999年のジェフユナイテッド市原を振り返る
ジェフの歴史を振り返る企画の第7回目。
新シーズンへの期待高まるこの時期に、過去を振り返ってみるのはいかがでしょう。
今回は1999年のジェフを振り返ります。
第1回:1993年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第2回:1994年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第3回:1995年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第4回:1996年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第5回:1997年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第6回:1998年のジェフユナイテッド市原を振り返る
※多くの監督、選手が登場するため文中敬称略と致します。
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■1999年ファーストステージのジェフ
ジェフの新監督には前年に横浜フリューゲルスを天皇杯制覇へと導いたゲルト・エンゲルス(ドイツ)。コーチにはブラジル人のジョゼが就任。欧州路線のジェフにあってブラジル人コーチの存在がどのような化学変化を起こすのか。
甲府からマルセロ・バロン・ポランクジック(登録名はバロン)をレンタルで獲得。バロンは97年にブラジル全国選手権3部のサンパイオ・コヘイアでリーグ得点王に輝きチームを優勝に導くと、翌年はJFLの甲府で29試合31得点の長身ストライカーで、長年クラブに貢献したマスロバルから10番を継承した。
さらにブラジルのポルトゲーザから左利きのシューター、パウロ・エンリケを獲得。攻撃的な中盤の選手でジェフではFWも務めた。
長年キャプテンを担った「初代ミスタージェフ」江尻篤彦がちばぎんカップで引退。後継者としてキャプテンは中西永輔、11番は廣山望が継承。
前年にユースカップで準優勝したジェフユースから山本英臣と内田剛平が昇格。同じくジェフユースから阿部勇樹と佐藤寿人が2種登録。佐藤勇人は海でサーフィンを満喫中?
高卒ルーキーとして滝川第二で高校選手権ベスト4、得点王の林丈統が加入。城、森崎以来の大物新人として期待される。昨年の国体を制した地元千葉からは、市立船橋のGK鈴木善人と習志野の長身FW菅野拓真を獲得。
この年からJリーグは1部2部の自動入替制を導入。前年にJ1参入決定戦に辛くも勝利したジェフは、その後この制度に苦しめられ続けていくことになる。
また、99年からPK戦方式が廃止され、引き分けの概念が持ち込まれた。
1999年開幕戦のメンバー
GK:下川健一(28)
DF:山口智(20)、中西永輔(25)、井上雄幾(21)
MF:酒井友之(19)、栗原克志(21)、廣山望(21)、寺川能人(24)
FW:武田修宏(31)、パウロ エンリケ(27)、バロン(25)
1stステージ開幕戦、国立(アウェイ)での前年王者鹿島戦。この試合で林丈統がプロデビューを飾る。
鹿島がJリーグ通算150勝、ビスマルクが外国人選手初の200試合出場。ジェフは特に見せ場なく0-4で破れ、今季も敵は「降格」の2文字か。
第2節、ホーム開幕戦は浦和レッズ相手にプレッシングサッカーを見せてスコアレスドロー。この試合がJリーグ史上初の「引き分け試合」となった。観客動員数は8057人で97年のホーム開幕戦からちょうど5000人アップ。新発売の「ジェフだんご」の効果か?
第4節、2試合連続ドロー、3試合勝利+ゴールなしで迎えたホームでは相性の悪いガンバ戦。
中西永輔と阿部勇樹のダブルボランチで挑んだ一戦は後半、廣山のセンタリングにバロンが頭で合わせてようやく今季初ゴール。
一度追いつかれるも武田のPKで突き放し、再び追いつかれて延長戦に突入もガンバ實好礼忠のオウンゴールで初勝利で99年初のでんぐり返し。
第5節、ホーム臨海でアビスパ福岡のマスロバルに2ゴールを許して敗戦。
第6節、アウェイでのヴィッセル神戸戦、阿部、バロン、中西揃い踏みで3得点!試合は3-4で敗れる。
ジェフは3度のリードを守れず、延長終了間際にVゴールを許した。これで3試合で9失点と守備が崩壊(得点者は河錫舟、金度勲2、長田)。
なお、阿部勇樹はこの試合がプロ入り初ゴール。17歳7ヶ月4日は阿部が引退した2022年現在もクラブ最年少記録。
4月、ナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース(U-20)選手権大会で日本代表が準優勝。ジェフからは酒井友之が代表に選出され、7試合に出場。
第9節、4連敗で降格圏内の15位で迎えたホームゲーム。相手は同じく4連敗中の平塚。
試合前、ワールドユース銀メダルの酒井のセレモニーが行われる(酒井はこの試合ベンチ入り、林丈統がプロ入り初スタメン)。
試合後は酒井廣山バロンの投入後にリズムを掴んだジェフが、廣山のクロスからバロンのヘッド2発で連敗ストップとなる今季2勝目。なお、観客動員はこの年最低の2575人。
第10節、西京極での京都戦で中西のゴールとバロンの2ゴールで延長Vゴール勝ち。今季初の連勝を達成。バロンは今季7得点目で得点ランク2位。
第11節、ゴールデンウィーク最終日の千葉ダービー。小学生2000人が無料招待されたはずが、観客動員数は5020人。ちなみにアジアクラブ選手権制覇の磐田は同節の鹿島戦で51575人を集める。
パウロ・エンリケがリーグ初ゴールを決めるも、片野坂のゴールを皮切りにストイチコフのゴールとベンチーニョのハットトリックで惨敗。前半25分までに0-4とされたホームゲームでサポーターからブーイング。
第13節、ホーム清水戦でバロンがツーゴールも、日本代表6人を擁す清水に終始主導権を握られ3失点で敗戦。清水は2位浮上、一方のジェフは3連敗。3試合12失点と守備が完全に崩壊。
現役高校生の阿部、年代別代表での活動もある酒井に疲れが見られ、プレッシングサッカーは完全に機能していなかった。
1stステージ最終節、市原臨海には今季最多となる10041人の観客が(1万人以上導入はリーグでは3年ぶり)。
しかし、お目当てはアジアクラブ選手権に続いて既にファーストステージ優勝を決めている対戦相手のジュビロ磐田と海外挑戦を控える名波浩か。
今季2度目の4連敗中で、負ければ二期連続のステージ最下位の可能性もあるジェフはこの試合で意地を見せる。
前半20分、茶野が自陣ペナルティエリア内で川口信男を倒してPKを献上。キッカーはセリエA挑戦が決まっている名波、だがこれを下川健一が得意のPKストップ。
後半、開始早々に廣山のシュートのこぼれ球をバロンが押し込みジェフが先制。バロンは15節目でシーズン10得点目。
後半15分には決定機を迎えたのは、この試合バロンとツートップを組んだルイス・エンリケ。磐田の田中誠が後ろから倒して退場処分に。数的優位となるも、後半20分に奥のループシュートで同点に追いつかれる。
さらにジェフは7ヶ月ぶりに怪我から復帰の野々村を79分から投入するも、僅か11分で2枚目のイエローカードをもらい退場処分。野々村はこの年でジェフを去ることとなる。
嫌なムードが漂う中で、ジェフを救ったのは18歳168センチのスーパールーキーだった。
後半ロスタイム、FKのチャンスでルイス・エンリケの浮き球に守備ラインの裏へ抜け出したのは後半38分から投入された高卒ルーキー、林丈統。振り向きざまのヘディングシュートでゴールネットを揺らした。
両チーム計36本のシュート、PKのピンチ、野々村の退場、追いつかれての延長戦。1万人を越えるサポーターの前で、ジェフが死闘の末に日本最強のアジア王者を撃破した。
1stステージ最終成績
リーグ15位 勝ち点12
4勝2分9敗 19得点34失点 得失点差-15
最下位(16位)はベルマーレ平塚で、ジェフは自動降格圏内。
ジェフは19得点中10点がバロンだったが、バロンはボックス内での得点力はあるものの、ボールが収まる存在ではなかったため同じくボックス内の「ごっちゃんゴーラー」である武田とは相性が悪く、どちらかが先発落ちすることがしばしば見られた。
また、マスロバル放出で司令塔不足の上、彼の代役として期待された「ジェフの若大将」野々村が怪我で不在、パウロ・エンリケも絶対的な存在になれず、攻撃の形が作れなかった。
1年間トップチームの監督を務めた経験がないエンゲルスも若手を上手く活かすことがなく、前年ファイナリストのナビスコカップ初戦敗退後、就任から半年での解任が決まった。
■1999年セカンドステージのジェフ
ジェフの新監督に、かつて「東欧のマラドーナ」ことゲオルゲ・ハジを育て上げた「バルカンの闘将」ニコラエ・ザムフィール(ルーマニア)が就任。
同じくルーマニアからザムフィールの教え子である若手MFヴァンチャを獲得。パウロ・エンリケを仙台へ放出。さらにパラグアイからDFのブランコとFWロペスを獲得。
また8月にはNACブレダから96~97年にジェフに所属したピーター・ボスを獲得。ボスは元オランダ代表でオランダ、フランス、ドイツのリーグを渡り歩いたベテラン。
すでに引退を決めていたボスは、母国での優雅なスワンソングよりもジェフの残留達成を引退前のラストワークに決めた。
セカンドステージ開幕戦、ザムフィールの初陣はアウェイでの広島戦。
広島の高橋秦に先制を許したジェフだったが、ロスタイムにキャプテン中西のゴールで追いつく。しかし、終了間際に大木勉に決められて黒星スタート。
第2節、後半戦のホーム初陣で選手スタッフがサポーターへ挨拶。
中田、山口、茶野の3バックの前にヴァンチャ、阿部、酒井の3センターハーフ、廣山・横山博敏を両翼に配置し、バロン・武田のツートップ。
キャプテン中西と村井、栗原、林の若手三銃士をベンチに置いてヴェルディ川崎に挑んだ。
前半開始早々、CKから武田のゴールで先制するも20分に阿部のオウンゴールで追いつかれ、前半40分にCKからヴェルディの米山に決められ逆転を許す。
後半、横山に代えて中西を左サイドハーフのポジションに投入。その中西のアシストからバロンのゴールで同点に追いつくと、武田のポストプレーから中西が決めて逆転。
しかし、その後同点に追いつかれると延長Vゴール負け。開幕から嫌な流れで連敗するが、選手たちがファイトする姿が見られるようになった。
第3節、アウェイの平塚戦でバロンのゴール、そしてこの年マリノスから加入した寺川能人の決勝点でセカンドステージ初勝利。「最下位決定戦」と呼ばれたゲームに勝利し、残留を目指す。
なお、寺川能人は後にアルビレックス新潟の強化部長を務めることになる。
第4節、ホームでここまで3連勝中の京都との一戦。
トップ下の人材不足に悩むジェフは前節ゴールの寺川をトップ下起用、中西はベンチスタート。前半、京都の遠藤保仁からパウロ・マギノのゴールで先制を許すも、後半に「廣山・バロン」のホットラインで同点に追いつく。
バロンは3試合連続ゴールで得点ランキングトップ。
延長戦に突入した試合は後半からFWで起用された中西が中田一三のクロスボールに頭で合わせてVゴール。
四中工三羽烏による劇的な決勝点、中西のバック宙、ザムフィールのでんぐり返しに臨海のジェフサポーターが沸いた。
第6節、首位の横浜Fマリノスをホームに迎えた一戦。
怪我人続出のジェフはボスをアンカーに寺川、野々村のセンター、中田、横山の両翼という主力不在の布陣。ツートップはバロンと中西。
横山の突破とクロスからバロンが決めてジェフが先制。しかし前半の間にユ・サンチョルに同点ゴールを決められる。
後半、横山のクロスから中西が決めて再度勝ち越すも、ロスタイムのパワープレーからマリノスの遠藤彰弘にゴールネットを揺らされ、延長戦に突入すると、最後は小村徳男にVゴールを許して敗戦。
ザムフィールがサポーターに向けて頭を下げた一戦だが、やはり気持ちは見せている。
第8節、3連敗中のジェフはホーム市原臨海でセレッソ大阪との一戦。
武田が怪我から復帰でバロンとのツートップが復活。中西はトップ下、ヴァンチャ、鈴木和の両翼。同じく怪我から復帰の酒井とボスのダブルボランチ。センターバックトリオは茶野山口阿部。
試合は前半に酒井のFKから武田が合わせて先制すると、後半にもヴァンチャのクロスを武田がボレーで決める。復帰後いきなり2ゴールと武田が結果を出した。
連敗ストップ。残留を目指す戦いは残り7試合。
第9節。アウェイ磐田戦。
名波が移籍したが、それでも藤田俊哉、福西崇史、服部年宏、奥大介の中盤と高原直泰・中山雅史のツートップで日本代表よりも強いと噂されたジュビロ磐田。
守るは茶野、山口智、阿部勇樹の現役高校生を含む若き3バックと200試合出場達成の頼もしき守護神下川。
ザムフィール就任後、再び機能し始めたプレッシングと粘り強い守備で前半はスコアレス。
後半も一進一退の攻防が続くが、41分、福西の柔らかいクロスから奥がジャンピングヘッドでホームの磐田が先制。
追い込まれたジェフだが、それでもロスタイム。
野々村芳和、魂のバックヘッド。
心臓病を克服したことから「ジェフの三杉淳」とも呼ばれていた若大将、夏には解雇騒動などという不穏な話もあったが、結果的にこのヘディングから生まれたゴールが今季唯一の、そしてジェフでの最後のゴールとなった。
勝負が決まったのは延長後半4分。
「トップ下」の中西が2列目から飛び出して、この日8本目のシュートで勝負あり。24本ものシュートを放った磐田、99年のチャンピオンシップ王者相手に、ジェフはホームでもアウェーでも勝利した。
第13節、前節残留争いのライバルである浦和レッズに0-1で敗れ3連敗中のジェフはホームにヴィッセル神戸を迎える。
前回の対戦でも2ゴールを許している金度勲にまたも決勝点を献上して、ジェフは今季3度目の4連敗。最悪の状態でラスト2節のアウェイ2連戦を迎えることになった。
ジェフに勝利した神戸は3連勝でJ1残留を確定。
平塚は同節に同じく降格危機の浦和に破れたことで、J2降格が決定。
引き分け以上で残留が決まる福岡は清水に敗れ、これで5連敗。残留決定ならず。
ラスト2節、残る降格枠は1つ。
そして、残留を争うクラブは3つ。
勝ち点28のアビスパ福岡。得失点差は-11。
勝ち点25の浦和レッズ。得失点差は-20。
そして、勝ち点22のジェフ。得失点差は-21。
第14節、11月23日。雨の博多の森。1万5千を超える観客。
ジェフは「地元残留」に燃えるアビスパ福岡のホームに乗り込んだ。
ジェフが引き分け以下で浦和が勝利すれば即座にJ2降格が決まるゲーム。
退団が噂される福岡のマスロバルが「アビスパは(総勝ち点が)28。市原は22。もう僕の仕事は終わった」と語るように、ラスト2試合で勝ち点6差、総得失点差10は事実上は残留を確定させたといえる数字である。
キャプテンでトップ下の中西は試合前、遠征に帯同しないメンバーを含めて全員の名前をスネ当てに入れ、その魂を己の足に注入した。
得失点差が10ポイントなら5-0で勝てば良い。
この年、延長戦を含めても最大で3点しか取れていないチームだったが、崖っぷちに立たされてなお背番号2は明るさを忘れず、選手を鼓舞し続けていた。
スタメンはGK下川、DF茶野、山口智、阿部、MF酒井、ボス、中田、広山、トップ下に中西、FW武田、バロン。
試合が始まると、ジェフの選手たちは驚くべき出足を見せた。
「相手の出足と気迫にスタートから負けていたところに、すべての敗因がある」と菊川監督が振り返ったように、ジェフはここまで燻っていた熱を突如全身にまとい、炎のような攻撃を見せた。
前半18分にバロンがPKを決めて先制すると、中西、武田が続いて前半だけで3得点。
後半、さらに中西とバロンのゴールで5-0での勝利。
敵地でのでんぐり返し。
残留を確定させるはずだった福岡は得失点差というアドバンテージを失って、次節は優勝争いの横浜。
一方のジェフは浦和が引き分けたことで残留の可能性を残して、万博での最終節を迎える。
1999年最終節の出場メンバー
GK:下川健一(29)
DF:山口智(21)、阿部勇樹(18)、中田一三(26)
MF:ボス(36)、ロベルト バンチャ(23)、廣山望(22)、武藤真一(26)、鈴木和裕(23)
FW:中西永輔(26)、武田修宏(32)
「やるだけなので」。キャプテンの中西永輔はそう語った。
ジェフ残留の条件はドローなら浦和が敗戦、勝利ならば浦和が延長に突入するか福岡が破れること。
敗戦ならば即座にJ2降格が決まる。
前節大勝の炎が消えないジェフは、前半から激しい出足を見せる。
試合後にガンバの宮本が「やられっ放しでした」と語るように、試合を支配していたのはジェフだった。
しかし、ゴールが生まれない。
この試合のジェフは90分以内に勝利しなければならないが、今季17得点のバロンはベンチにもいない。
スコアレスで前半終了。
このまま試合が終われば、降格するのはジェフ市原。
それでも、ジェフサポーターの残留を目指す「あっこちゃん」は鳴り止まない。
ベンチには「ミラクルジェフ」の千羽鶴。エースがいなくても全員の力で勝つのみ。
ザムフィールは後半10分に俊足FWの西脇、13分には若大将・野々村を投入。負けないためではない、勝つための執念の采配。
すると、後半15分。
守備ラインで阿部勇樹、山口智、阿部勇樹とゆっくり回しながら、阿部勇樹のグラウンダーの縦パスが前線に入る。
これを途中出場の西脇良平が相手DFを背負いながら落とすと、中盤でボールを受けた同じく途中出場の野々村芳和が左足でミドルパス。
このボールをガンバの斎藤大輔が足でブロックも、ボールは軌道を変えながらダンブリーの裏のスペースへ。
ここに走り込んだは、武藤真一。
Jリーグ開幕を知る数少ないチーム生え抜きの一人。
チームトップのテクニックを持ち、マスロバルの後継者に期待された男だが、今季はここまで14試合無得点。
メンタルが弱く、軽率なミスが目立つプレーヤーだった。
そんな武藤が残した伝説。
ペナルティエリアのギリギリ外側、ダイレクトでの、左足ループシュート。
ガンバのGK岡中の頭上を越えて、伝説のループはワンバウンドでゴールネットを揺らした。
中西と抱き合う武藤。ベンチでガッツポーズの武田。
涙して抱き合うジェフサポーター。
ここから、ガンバは怒涛の反撃。
ルイジーニョ、タイルソンを投入してFW4枚の超攻撃的な布陣へ。
それでもジェフは崩れない。気持ちは決して折れない。
ガンバに押し込まれても、肩を痛めながらもセーブを続けるGKの下川を中心にゴールを死守。
なんとガンバのシュート数を3本に押さえ(ジェフは5本。計8本は当時のJリーグ最少記録)、ロスタイムは4分。
他会場の結果が出る。福岡敗戦、浦和延長戦突入。
このまま勝利すれば、自力での残留が決まる。
最後まで戦う選手、祈り続けるサポーター。
後半はワンボランチとしてジェフを支えたボス。
現役のラストをジェフを救うためだけに戦った男が、相手のロングボールを頭で跳ね返した瞬間、ジェフを支えるすべての願いは通じた。
ザムフィールは溢れる涙をこらえきれず、ハンカチでそれを拭った。
伝説を目撃したサポーターは抱き合って、喜び合った。
選手たちはそんなサポーターの前で喜びの報告。多くの紙テープが飛び交った。
キャプテンとして苦しい一年を過ごした中西は、ヒーローインタビューで「サポーターの思いに選手が応えようとした結果」だと語った。
2ndステージは6勝9敗の11位。
阿部勇樹が「高校生」でJ1全試合出場の記録達成。これは間違いなくアンタッチャブルレコードだろう。
なお、同年に佐藤寿人も2種登録されたが、こちらは出場機会なし。これは圧倒的なシュートの上手さを持つ「至宝」である彼に無理をさせたくないというフロントの判断だった。
■1999年の記録
Jリーグ:1st 15位/2nd 11位
ナビスコカップ:2回戦敗退(初戦敗退)
天皇杯:3回戦敗退(初戦敗退)
サッカーマガジン選定MVP:中西永輔
1999年のベストメンバー
GK:下川健一
DF:阿部勇樹、茶野隆行(中田一三)、山口智
MF:ボス、酒井友之、廣山望、栗原克志(横山博敏)、中西永輔
FW:バロン、武田修宏
チーム得点ランキング(リーグ)
1.バロン 17得点
2.中西永輔 9得点
3.武田修宏 6得点
万博での試合後、「しんどかった。もう二度と嫌だ」と下川が語った。降格によるチーム消滅の可能性を考えれば過去最も苦しい一年だった。
当時のジェフには熱があり、選手たちもサポーターも明日なき戦いを繰り広げる気持ちがあった。J2降格後、なかなか見せられていないこの熱を2022年のジェフから感じたい。
チームが纏う熱は、確実に熱量を上げている。だからこそ、ジェフが一つになって、火の玉のように相手の順位と関係なく、立ち向かって欲しい。
もうずっと出来ていない、「完全燃焼」がしたい。
本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
次回はやっぱり残留争い真っ只中な2000年のジェフを振り返っていきたいと思います。