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[クラブ史]1998年のジェフユナイテッド市原を振り返る

【本記事は10年前に書いたブログ記事の復元です】

ジェフの歴史を振り返る企画の第6回目。
新シーズンへの期待高まるこの時期に、過去を振り返ってみるのはいかがでしょう。

そんなわけで、今回は1998年のジェフを振り返ります。

第1回:1993年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第2回:994年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第3回:1995年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第4回:1996年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第5回:1997年のジェフユナイテッド市原を振り返る

※多くの監督、選手が登場するため文中敬称略と致します。
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■1998年のジェフ

コンサドーレ札幌が加わったJリーグは18クラブによる2ステージ制で開催。この年よりジェフと馴染み深い存在となる「降格制度」が導入。

松原良香が退団し、またもエース不在となったジェフは金度勲の獲得を狙ったがヴィッセル神戸との争奪戦に破れ、代役として現役韓国代表の金大儀を韓一銀行(現・ウリィ銀行)から獲得。

また、長らくJリーグの顔の一人であった武田修宏を京都パープルサンガから獲得(前年後半加入で16試合9得点)。

新人では大阪商大から横山博敏、阪南大から金晃正らを獲得。ジェフユースからは西脇良平、細田穣、村井慎二、酒井友之と昨年と同じく4選手が昇格。ジェフユースはチームの大きな柱となっていた。

そして、この年からクラブは本社全機能を市原市に移転した。

1998年開幕戦のメンバー
GK:下川健一(27)
DF:武藤真一(24)、山口智(19)、中西永輔(24)、横山博敏(22)
MF:スコルテン(35)、野々村芳和(25)、江尻篤彦(30)、酒井友之(18)
FW:武田修宏(30)、廣山望(20)

1stステージ開幕戦、駒場での浦和レッズ戦で小野伸二がプロデビュー。前半1分にネイハイスに決められると24分にまたもネイハウスがゴール。

ここからジェフも反撃。28分に野々村芳和、そして34分には新加入の武田修宏が得点し同点に追いつく。

しかし、後半11分に大柴健二に決められ再度ビハインドになると、ジェフは江尻篤彦に代えてこちらも新加入の金大儀を投入するも不発。フェルシュライエン体制の初戦は黒星スタート。

この試合、開幕戦にも関わらずジェフサポーターは「1部死守」の横断幕を出した。選手、サポーターが目の前の相手だけではなく、J2降格という未知の恐怖と戦う日々が始まった。

第4節、前年王者かつ98年の1stステージを制覇することになるジュビロ磐田相手に武田修宏、廣山望、マスロバルのゴールで勝利(スコアは3-1 磐田のゴールは名波浩)。この試合が98年唯一の連勝となる。

第5節、等々力でのヴェルディ川崎戦で武田修宏が2試合連続となるゴールを決めるも、エウレルと三浦知良のゴールでチームは敗戦。

後に「さすらいのストライカー」と呼ばれる武田修宏はこの年95年以来となる二桁ゴール。「ごっつあんゴーラー」としてだけではなく、チームのエースとして活躍(ジェフでの通算記録は57試合19得点、Jリーグ通算は237試合94得点)。

第6節、前回の対戦(97年2ndステージ)でハットトリックを決められている永島昭浩に今度は2得点を決められ敗戦(1-2 ゴールはマスロバル)。安藤優子さん、はもういいな。

第8節、三ツ沢で行われた横浜フリューゲルス戦でレディアコフにJリーグ通算4500得点目となるメモリアルゴールを達成される。

第9節、セレッソ大阪に廣山望のツーゴール、武田修宏と江尻篤彦のアベックゴールで4-1で快勝(セレッソのゴールはジェフキラーの西澤明訓)。

武田修宏と江尻篤彦は同じ年で同じ静岡県出身。高校最後の冬は武田が清水東高校のキャプテンとして県予選ベスト4、江尻は清水商業高校のキャプテンとして全国制覇。

※蛇足。武田修宏は引退後に将来の夢として「江尻がコーチで清水エスパルスの監督になること」と語り、笑い話のように扱われていたが、2人ともJリーグでの実績があり、清水で育った人間としては至極真っ当な夢のように感じる。

当時の静岡には藤枝東に中山雅史、静岡学園に三浦知良がおり、彼ら1967年生まれはまさに黄金世代。

そんな選手が集まった(早生まれのカズを除く)静岡選抜は国体で高木琢也の長崎選抜に決勝で勝利し全国制覇。また、同大会の滋賀選抜のFWは井原正巳であった。

第12節、コンサドーレ札幌のパナマの怪人・バルデスにハットトリック(3点目はVゴール)を許す。ジェフは武田修宏の2得点で2-3の黒星。

FIFAワールドカップフランス大会開催のため、2か月半の中断期間に入る。

ジェフユナイテッド市原からは92年から主力として活躍してきた中西永輔が本大会に出場し、初戦のアルゼンチン戦で1点ビハインドの終盤に2人抜きを見せ、日本人のサイドバックが世界に通用することを証明した。

第15節、3連敗で迎えた臨海での千葉ダービー。マスロバルの2ゴールとレイソルの自殺点でジェフが快勝。

第16節、万博でのガンバ大阪戦でジェフユース所属の阿部勇樹が、若干16歳11か月でJリーグ戦初出場。Jリーグ最年少出場記録を更新する(当時)。試合は武田修宏とこの年加入の金晃正のゴールもガンバの小島宏美、稲本潤一、播戸竜二のVゴールで敗戦。

第17節、ホーム最終戦をスコルテン、武田修宏のゴールで勝利。サリナスのゴールによる1点にとどまった横浜マリノスはアスカルゴルタ監督を解任。

1stステージは7勝10敗の11位。

この順位をキープ出来れば、15位までが出場するJ1参入決定戦は回避出来る。

オフにナビスコカップ準優勝を獲得した賞金を費やし、ヴィッセル神戸からオーストラリア代表のマシュー・ビングリーを獲得するも・・・すでに構想外だった金大儀と同様、外国人選手は周囲の手本となれる即戦力をリクエストしていたフェルシュライエンの期待に応えることはなかった。

また、2ndステージのシーズン中には中田一三と鈴木隆行を獲得した。

2ndステージ第4節、横浜マリノス戦でマスロバル、江尻がゴールを決めるもまたも城彰二に2得点で追いつかれ、安永聡太郎の決勝点で敗戦。開幕から勝利なし。

第7節、開幕6連敗で迎えた臨海でのベルマーレ平塚戦、呂比須ワグナーに2ゴールを許すも武藤真一の2ゴールと江尻篤彦、武田修宏のアベックゴールで連敗ストップ。

第8節、磐田でのジュビロ磐田戦、廣山望が2得点も高原直泰と奥大介の2選手にハットトリックを許し、2-6の大敗。

第10節、観客わずか2091人の神戸ユニバーでのヴィッセル神戸戦、観客数に反して試合は白熱し、5-5のPK負け(得点者はスコルテン、マスロバル、西脇良平、鈴木和裕、中西永輔。神戸は金度勲2、トーマス1、海本慶治2)

第14節、またも6連敗で迎えたサンフレッチェ広島戦でスコアレスのPK戦勝利。この年ジェフユースからトップ昇格を果した村井慎二がJリーグ初出場を果す。

第15節、2試合連続出場の村井慎二が博多でのアビスパ福岡戦でプロ入り初ゴール。J1参入決定戦でアビスパ福岡と対戦する可能性もあるジェフだったが、上野優作のゴールとフェルナンドの決勝点で1-2で敗れる。

第17節、2ndステージ最終戦で清水エスパルスのアレックスにハットトリックを喫する(スコアは1-4 ジェフの得点は自殺点、清水のもう1点は市川大祐)。

2ndステージ2勝15敗で最下位の18位。

年間15位のジェフはJ1残留をかけて、J1参入決定戦に参戦。

J1参入決定予備戦で、「神を見た夜」に行われた川崎フロンターレとの試合、通称「博多の森の悲劇」を勝ち上がってきたアビスパ福岡とのホーム&アウェイ方式のプレーオフ。

第1戦はアウェイゲーム(博多球)。

緊迫する戦いが続く中、65分のCKからマスロバルの左足でファーに上げたボールを大外の武田修宏が頭で合わせて均衡を破る。

さらに76分、最前線中央でスローインを受けた武田修宏がゴールに背を向き相手DFを背負いながらキープ。

ここにセンターハーフのスコルテンがエリア内に侵入すると、武田は「ここしかない」というタイミングでスルーパス、ゴールを演出した。

それは武田がジェフの顔、「残留の顔」になった瞬間だった。

第2戦は臨海でのホームゲーム。

49分、シーズン途中に加入した鈴木隆行は味方選手のヘディングでのクリアを後ろ向きに受けると、トラップと同時に反転してハーフェーラインとペナルティエリアの中間からドリブルを開始。

スピードとフィジカルで2人を抜き去ってエリア内に侵入すると、シュートブロックにきた相手センターバックを右足のキックフェイントでいなした上で左足を豪快に振り抜いた。

ゴールネットが揺れ、シーズン7試合無得点だった途中補強の若武者が、ジェフの救世主となった。

トドメは60分、ユース出身酒井友之の豪快なミドルシュートでリードを2点差にすると、福岡の猛攻を最少失点で耐え凌ぎ、J1残留を決めた。

しかし、この「残留劇」は始まりでしかなく、ここからさらなるがけっぷちの戦いがジェフを待っていた。

この年のオフ、監督のフェルシュライエンをはじめ、5年に渡ってジェフの主力を担ったマスロバル、ワールドクラスの能力を見せたスコルテン、そうでもなかったビングリーや金大儀と外国人が全て退団。

シーズン30試合出場の初代ミスタージェフ、江尻篤彦が現役引退(背番号11は廣山望が、キャプテンマークは中西永輔が継承)。

■1998年の記録

Jリーグ:1st 11位/2nd 18位
ナビスコカップ:準優勝
天皇杯:3回戦敗退(初戦敗退)
サッカーマガジン選定MVP:江尻篤彦

1998年のベストメンバー
GK:下川健一
DF:武藤真一、茶野隆行、山口智、中西永輔
MF:スコルテン、野々村芳和、江尻篤彦、マスロバル
FW:廣山望、武田修宏

チーム得点ランキング(リーグ)
1.武田修宏 13得点
2.マスロバル 8得点
3.廣山望 7得点

横浜フリューゲルスの消滅が報じられる中、ジェフの親会社であるJR東日本の松山社長が来年のチーム存続を疑問視させかねない発言をするなど、ここからのジェフの戦いは単なる娯楽ではなく「J2降格=チームの消滅」を懸けた戦いへと変わっていきます。

観客動員数はリーグ最低で、Jリーグバブルの崩壊で経営面や金銭面でも苦戦が予想される。長年クラブを支えてきた人材は次々とチームを去り、Jリーグ開幕を知るのは下川健一、中西永輔、武藤真一しかいない。

そんな生き残りをかけた戦いの最中にあって、栗原克志、井上公平、山口智、西脇良平、酒井友之、村井慎二がすでにトップでプレーしており、ユースの新3年生には阿部勇樹、佐藤寿人、佐藤勇人の黄金世代がいる。

将来への希望のためのサバイバル。

次回はそんな残留争い真っ只中の1999年以降のジェフを振り返っていきたいと思います。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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