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雪 / Dear, 27歳の僕 #2

こんばんは。元気にしているだろうか。

最近、夢公園という近所の公園に行く習慣をつけつつある。散歩をすることにしたんだ。きっかけはあってないようなもので、前に晴れた日に部屋にこもって鬱屈した気分で過ごしていた時に、このままだと気が狂うのではないかと不安になって、それで行ってみたんだ。行ってみて、この公園の光景がカネでは換算できない値打ちのあるものだということに気がついた。それで、歩くことは健康にもいいのでこれから生活に取り入れたいと思った。

最近、自分自身のこれまでの人生について考えている。それは、ずっと自分が「アクの強い子」として育てられたことに由来している。僕自身から言わせれば、周囲の方がよっぽどわけがわからなかった。言っていることとやっていることが一致していなかったり、昨日と今日でまるで別のことを言っているように思われたり、笑いながら怒っているような妙な感情表現をしてきたり、というようなことがあったのだ。

僕は、多分人よりはそれなりに本を読んで過ごしてきた人間なのではないかと思う。でも、これは別に誇るべきことだとも思わない。僕にとって書物はずっと「生活必需品」だったのだ。それがないと、もちろん飢えて死ぬということはないけれど、気が狂いそうになるというようなそんなドラッグだ。そして、そんなドラッグがなくても生きていけるならばそっちの方が明らかに尊い。「あなたは覚醒剤がなくても生きていける。素晴らしい人だ」っていう褒め言葉が一般的に見て全然褒めているように感じられないのと同じだ。

だが、僕にとって本とは人間よりも信頼できる存在だったのだ。なにせ、本に書いてあることは一貫している。昨日共産主義について書かれていた本が、今日読み返すと字面もロジックもまるで変化して資本主義について書かれた本であることに早変わりしている、なんてことはまずありえないからだ(もちろん読み手のコンディションに応じて受け取り方が変わってくる本があるが、僕が言いたいのはそういうことではない)。

そして、本はこちらが不純な動機で手に取ろうとそれを怒ったりしない。笑ったりもしない。僕は実を言うと助平心で谷崎潤一郎の『痴人の愛』やウラジミール・ナボコフ『ロリータ』を手にとったことがあるのだけれど、どちらも僕を叱ったりすることはなかった。本は、人間よりも寛大だ。だから、僕はずっと少年時代を本だけを頼りに生き抜いてきたようなものと言えるのかもしれない。

そこに書いてあることが興味を惹くことだった、というのも大きいだろう。僕の父は僕が子どもの頃、僕に合わせた話題でこちらを楽しませるということがなかった。これは別に父を責めたいわけではない。父はゴルフと将棋が好みで勉強熱心なサラリーマン。かたや僕は、村上春樹や金井美恵子の小説を夢中になって貪り読む高校生。話が合うはずがないのだ。そんな父と話すよりも、本を選ぶ方が悪いなどと誰に言えるだろう。

そんなわけで、高校を出て大学に入って、大学を出て……ことによると今でも、僕と本との蜜月は続いている。だが、本を沢山読んだからといって社会をうまく生きられるわけではない(もし読書家が世渡り上手になれるのなら、ウンベルト・エーコはビル・ゲイツよりも金持ちでなければおかしい)。世の中を生き抜けるのは人間を知りぬいた人だ。そして、読書は人間を知る上での手がかりは与えてくれるけれど、人を知るには人に揉まれて成長するしかないってことにやっと気づいたのだ。

そして、僕は人と触れ合い人を学ぶ経験を始めた。英会話の勉強の延長でチャットを始めたのだ。もちろんチャットはヴァーチャルなコミュニケーションだ。だが、英語での会話は新鮮に感じられる。イエス・ノーがはっきりしているからこちらにもわかりやすいし、「a」や「the」といった冠詞の使い方ひとつからロジカルに組み立てなければならない/組み立てられる言葉なので、うまく文章を書けたらこの上ない喜びを感じることができる。

色々な人に会って、色々なことを学んだ。英会話で身につけたこととして、僕は堂々とした喋り方を学んだような気がするのだ。堂々と……英会話では(気のせいかもしれないが)間違っていても、堂々としていたら許されるように思う。もちろん謝るべき時に謝らなければならないのはどこでも同じだが、堂々と謝れば少々の粗相は多目に見てもらえるようなそんな感覚を掴んだのだ。これは今の僕の仕事や文章でも随分役に立っている。

そして、僕は段々人間というものが可愛いと感じるようになった。人間……それは不完全な生き物。完璧超人なんていやしない。みんなみんな、不完全。でも、完全な生き物なんてどこに居る? 100メートルを3秒で走れる人が居たとしたら、彼は完璧だろうか? 速く走ることが完璧なのか? だとしたらどうして? 人は、考えようによってはどこかで抜きん出ていてどこかで劣っている。それだけのこと。その歪さ、雪の結晶のようにひとつとして同じもののない不揃いさに、世界の神秘を見るように感じられるようになったんだ。その中に、きっと僕が居て君も居る――。

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