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幸せってなんだっけ / Dear, 27歳の僕 #1

拝啓、二十七歳の僕へ。

僕は今日、グループホームで洗濯をした。職場ではそろそろ梅雨入りが始まるから気をつけておくようにと言われていたのだけれど、今日はそんな気配は感じられないピーカンの晴れ模様だったので、洗濯が捗った。そして、洗濯を済ませると僕は近所の公園に行ったんだ。緊急事態宣言が終息したといっても、不要不急の外出は控えるようにという空気は変わらない。でも、もちろんマスクは忘れずに公園に行って、青山拓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』という本を読み始めたんだ。

そんな本を読んでいるから、というわけでもないのかもしれないけれどふとひとつの疑問が頭をよぎった(この、「頭をよぎる」という言い回しも面白い。人の頭の中を日々どれだけの思考が「頭をよぎる」だろうか。そこから僕が意識してキャッチして言葉にして、こうやって特別な――人からすると凡庸な――アイデアとして提示するのはごくわずかなのだ)。それは、「僕は幸せだろうか」ということだった。

僕は幸せだろうか?

僕は幸せだと思っている。今の自分のことを。そりゃ、僕ならできたこともあるかもしれない。早稲田まで出たのだから、もう少し東京で頑張ってベンチャー企業に潜り込むなり起業するなりして、贅沢な暮らしをしてみてもよかったのではないか、と。やろうと思えばできたはずだ。なんなら、今からでもできる。でも、僕はそこまでして今の生活を変えたいとも思わない。今の生活で充分だと思っているんだ。

これは幸せだろうか?

例えば、この星の僕のような人間の暮らしをとある異星の住人が眺めているとしよう。その星では、「どこでもドア」のようなテクノロジーが発達している。「どこでもドア」を使えば瞬時に行きたいところへ人は行けるのだ。もちろん僕たちはそんなテクノロジーの恩恵に預かっていない。だから、その異星人(なんなら未来人でもいい)からすれば僕たちは不幸かもしれない。

もう少し別の角度から言えば、例えば僕らにとって江戸時代の人たちは不幸だっただろうか? 電気もなく、平均寿命も短く、エンターテイメントもさほど発達していたと言えない(これに関しては異論があるかもしれないけれど)彼らを? あるいは同じような理由から、今でも北朝鮮で閉ざされた国境の中で慎ましく暮らしている人々は、果たして不幸だろうか?

こうやって書いていくと、キリがなくなるので止めようか。どうやらこうやって「幸/不幸」と診断できる基準のひとつに、生活の中に選択肢が「もうひとつ」あればということが含まれてくるようだ。旅行の選択肢が「沖縄・ソウル・香港」の人と「沖縄・ソウル・香港・上海」の人。後者が選択肢がひとつ多いから幸せである、というようにね。

その意味では僕の人生にも「ありえたかもしれない選択肢」があったかもしれない、ということになる。「東京に居て、早稲田に居た。だったら……」「英文学を勉強していた。だったら……」「男だった。二十代だった。だったら……」と。それらを全てかなぐり捨てるようにして僕は田舎に戻り、貧乏生活を呑んだくれて過ごしたというわけだ。

でも、それらは本当に「ありえたかもしれない選択肢」だろうか? と考える。例えば、旅行の選択肢の話をしよう。「沖縄・ソウル・香港・上海」の人と、「沖縄・ソウル・サハラ砂漠・南極・火星」という人が居たとする。この場合、後者の人の方が選択肢がひとつ多い。だからといって、「うわあ、よりどりみどりだね!」とは言わないだろう。誰だって、特殊な関心がない限りサハラ砂漠にも南極にも行きたいと思わないからだ。

つまり「ありえたかもしれない選択肢」が多いだけでは不完全なのだ。「ありえたかもしれない選択肢」は、その「選択肢」を選びたいというこちらの「欲求/欲望」とマッチするかどうかが問題になってくる。別の例を出せば、今の僕はお酒は呑まない。だから、「タダでいいからなんでも呑んでって下さい!」と言われてもお酒の呑み放題が有難くないのと同じだ。「選択肢」は、「それを選びたいか否か」とセットになって初めて意味を持つ。

その意味では、僕は「選択肢」はなるほど多かったかもしれないが、不思議なことにその「選択肢」とマッチするだけの「それを選びたいか否か」という「欲求/欲望」が乏しかった。中にはそういう人間も居るのだ。だから、僕の中には「他人を蹴落としてでも人生の勝者になりたい」という気持ちもなかったし、「学問を極めて教授と呼ばれる立場に立ちたい」という向上心もなかった。そんな変な子どもだったのだ。

このあたりで議論をクールダウンさせることにする。肝腎なことが課題として残ったようだ。それは、「欲求/欲望」とはなにか、ということ。これは一般人/多数派が持つ「家族を築いて、マイホームを立てて」という画餅のような価値観と、必ずしも一致しないかもしれないのが厄介だ。だから僕は最近アリストテレス『ニコマコス倫理学』のような本を読んで、自分なりの幸せを探したいと思っているんだ。

それでは。身体に気をつけて。

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