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Dear, 27歳の僕 事始め

こんばんは。元気にしているだろうか。記憶の中の二十七歳の僕は、気が狂ったように毎日毎日酒を平らげていたことを除けば身体面では健康だったから、特に問題はないだろうと思うのだけれど――。

今日はエリック・ホッファーという思想家の自伝を読んだよ。ホッファーのことは、多分君は柄谷行人が若き日に翻訳に携わった思想家ということくらいしか知らないかもしれない。知っていてカッコいい思想家というわけでもないからだ。どうせ思想家を知るのなら、サイードやデリダのような格が欲しいところ。正規の教育を受けずに独学で『エセー』を読み通し、思想を深めたホッファーはまずお呼びではないかもしれない。

僕も、ホッファーのことは特に関心があるわけではなかった。たまたま図書館で『波止場日記』が目に入って、他に読みたい本もなかったから借りてみようかと思ったのだった。『波止場日記』を読んで、僕もこんなふうに日記を書ければいいなと思った。そして、Facebookで日記を書き始めたところだ。根気よくコツコツと続けるのが難しいのが発達障害の難しいところなのだけれど、ボチボチやっていければと思っているよ。

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さて、今日読んだホッファーの自伝ではこんなことが書かれていた。

多くのことを成し遂げた人物が二十七歳のときに初めて人生の目標を見つけたという、どこかで読んだ話を思い出す。つまり、偉大な人生においては、二十七歳の一年こそが重要なのだ。(『エリック・ホッファー自伝』p.26)

今読み返してみると、根拠のない妄言に過ぎない。でも、この根拠のない妄言が妙に気になった。僕は今四十五歳なのだけれど、今から十八年前の二十七歳だった頃、なにを「人生の目標」として見出していただろうかと考えさせられた。そんなもの、なかったのかもしれないな、とさえ思った。そう思い、改めて情けなくなった。

二十七歳の頃、つまり今の君の頃。僕は自分に将来なんてものがあるとも思わなかった。職場ではベテランの主婦の方からネチネチとイビられて、元来やりたいと思ったこともなかった魚の調理の仕事を無理矢理やらされていた。カネもなかったし、十年後も自分はこの向いてない仕事をやらされて、自分がどれだけ要望や希望を述べたとしても上司は馬耳東風で済ませて、そして使い捨てられる。そんな将来が見えたように思われてならなかった。

僕はスティングのことを考えることがある。もちろんミュージシャンのあのスティングのことだ。彼は体育教師として職にありついた。公務員だ。だが、彼は堅いその仕事をやめてしまった。教壇に立った時に、自分が十年後もこの向いていない教職をやり続けていることを確信したからだ。十年後の自分が見えてしまう……なんと徒労感に満ちた人生だろう。そして、ミュージシャンという先の見えない世界に飛び込んで成功を収めたというわけだ。

僕も、そんなスティングの徒労感を共有してしまった。親はいずれ年老いて死に、自分は経済的自立が成り立つかどうかもわからず、うまくいけば生活保護で暮らすことができるかもしれない。うまくいかなかったら? そんな時は自殺するか、親戚を頼るしかない。そんな「大人になった自分」が見えたように思ったのだ。そう思うと、生きるのが本当に疲れることであると思われた。結局僕は自殺未遂をするのだけれど、今の君にはまだ先の話だ。

そんなところだろうか。僕は今四十五歳。もちろん君よりは年老いている。でも、今は君よりも今の僕の方が若いような気もするのだ。もちろん歳のことは隠しようがない。若い頃に一日中、夜を徹してでもやっていたような読書ができなくなった。複雑なことを考え抜く根気がなくなってしまった。新しいものに対する貪欲な好奇心が失せてしまった――などなど、というのはある。でも、それらを除けば今の自分はフレッシュな気持ちで一日一日を迎えられているように思う。

それは、酒を止めたからというのが大きいだろう。でも、酒を止めただけでこうなったというのではない。発達障害を考える会に参加して貴重な知己に出会って、断酒会で語らう場ができた。そして、僕自身英語で色々なことを表現することを始めたということが揃って、なんでも新しいことにはトライしてみたいという肚の据わり方が整ったのではないかと思う。ホッファーも言っているけれど、人が若さを保ちつつ年老いることができるとしたらそれは学び続けることにあるのかもしれない。ホッファーを知らなかったのは迂闊だったと恥じつつ、今はアフォリズム集を読んでいるところだ。

二十七歳の君にとって、ここで書いたことがどこまでリアリティを以て感じ取れるかわからない。全く別の世界のことのように思われても不思議ではないだろう。なにしろ君にとって自分の人生は四十で、カフカと同じように若くして逝くのが理想と考えていたのだから。でも、今は僕は幸せに思う。これからどんな五十代・六十代が待っているのかわからないけれど、そんな人生を楽しみたいと思っているんだ。

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