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コスモスの海に消えた人

コマ落としの映像のように目まぐるしく時が流れゆく東京の空の下で、まだ二十代の、覇気も色気もなかった自分がどのようにして 5 つほど年上の CA と知り合ったのか今考えても不思議だが、実際、宮益坂あたりのちょっとカビ臭いバーで毎晩のように、ダブルワークでボロボロになってうつらうつらしているうちに気づけばいつも二人きりになっていた。

冷たいわけではないが人懐こいわけでもない奥二重の目に、鋭くまっすぐな鼻をしており、その割にぽってりといした唇の表情からは何を考えているのかを読み取りにくい人だったが、割と心やさしい人で、家が同じ方向だということもあり、お抱え運転手の車でよく送ってくれた。といってもアパートの前まで送ってくれるわけではなく、僕はいつも蛇崩 (じゃくずれ) の交差点で降ろされて、彼女はそのまま柿の木坂のお屋敷に向かうのだった。

僕は蛇崩からわずか数分の緩やかな坂道を登り切れず、気づけば世田谷公園の水銀灯の下で脈絡のないアラビア文字を地面に書いたり、ベンチでまたうつらうつらしたり。早朝ウォーキングの人が現れて初めて正気に戻り慌てて部屋に帰ってシャワーを浴びるという日々を送っていた。

彼女は仕事柄か、時間にはめっぽう厳しく、バー以外で初めて待ち合わせをしたときも、あれは今はなき 109 の上階にあるレストランだったのだが、東京在住 3 年目でも 109 など微塵も縁がなかった僕は、案の定ビルの中で迷い、待ち合わせに 5 分ちょっと遅れた。

まっすぐに背筋を伸ばして先に席についていた彼女は開口一番、
「へえ、案外ルーズなんだね。もう少しきちっとしてるのかと思った。」と言った。
ほとんど酒場でしか顔を合わさないのに、いや、そこを僕に求めるかと一瞬たじろいだが、同時になにか言いようのない・・・彼女と僕の間にある「あわい」に対する寂寥感にふと襲われもした。

シドニー線のシフトから外れたばかりだというその夜、彼女はオーストラリアの不思議な砂絵をスーヴェニアでくれた。薄いガラスの間に色の付いた液体と砂を閉じ込めた物だ。相合傘で初めて部屋まで来た彼女と一緒に、その砂の絵をシェードランプの光にかざして傾けては、雨音だけを BGM に、珍しく流れるような会話が成立していた。だがその裏で、僕は 109 で覚えた寂寥感からどうしても脱することができず、それを窺い知ったのか彼女は強まる雨の中、いつものタクシーを呼んで柿の木坂に帰っていった。

秋が盛りを迎える頃、二人とも昼間からまったく用事のない休日が巡ってきた。
ちょっと遠出をすることになり、昼下がりに西武池袋駅で待ち合わせた。当時の池袋は今とはちがってまだまだ雑多な街並みで、池袋線にそれまで縁もゆかりもなかった僕は、お約束のごとく迷って待ち合わせに遅れた。

乗ろうと思っていた特急はそれで逃してしまったが、運良くすぐ後に続く急行があったので彼女はさほど不機嫌なことは言わなかった。でもそれは最初だけで、途中からは乗り換えがスムーズにいかなくなった。僕らは秩父方面に行こうとしていたのだが、電車は埼玉県の奥地に入ると遅々として進んでくれないのだ。

やっと終点で秩父鉄道に乗り換えようとしたとき、彼女は小走りに案内窓口に駆けていき、すぐに今度はゆっくりと大股で戻ってきて、肩をすぼめながら「もう最終の舟には間に合わないわ。」と言った。

長瀞下りに行こうとしていたのである。

でも僕が池袋で数分遅れたことで、最終の舟に間に合うよう乗り換えができなかった。

数秒、いやな空気が流れたが、そこは時間を扱うエキスパート、彼女はすぐにタクシー乗り場に行って、「コスモスの大迷路まで。」みたいなことを運転手に告げた。

15分もしないうちに、車は秩父の街を抜けて広く開けたコスモス畑に出た。ゆうに背丈を超えるコスモスは満開で、花穂がイソギンチャクの柔毛のように空を泳いでいた。週末なのに人はまったくいなかった。花の香ではない、噎(む)せるような枯草の匂いの中、僕らはコスモスの迷路の中に深く入り込んでいった。

「ねえ、どっちが早いか比べよう。君はそっちから、私はこっちから。出口で待ち合わせましょ。」
二股に分かれる場所で彼女はそう言うと、頬を寄せてきて軽くキスをした。

迷路は思ったよりずっと難題だった。花が背丈を超えて密集しているので空が見えず方向がまったく掴めない。おまけに風が出てきたので茂みが邪魔になって歩きにくい。実際には何分ほどさ迷ったのだろう、目がちかちかとして喉が渇き、心が萎えかけたそのとき、忽然と目の前に出口が現れた。

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そこに彼女はまだいなかった。

少し心配にはなったが、出口の先はちょうど川の土手になっていたので広い河原と秩父の山々を見渡せる場所で待つことにした。

短い秋の日、巨大な要塞のように立ちはだかる武甲山の、砕石でえぐれた山肌を、傾きゆく太陽がオレンジ色に照らし始めた。その上には鳶が大きく円を描いて飛んでいる。のどかな秩父の夕方だ。

ところが、陽が完全に秩父連山の向こう側に隠れても彼女は現れないのだ。僕は出口から逆行して彼女を探そうと戻りかけた。が、数歩あゆんでそれを止めた。彼女はそもそもこちらには来ない、始めからそのつもりだ。コスモスの海を渡って向こう岸に消えたのだ。僕は空と山と川とコスモスの海という異星に取り残されたたった一匹の生物だった。

バスも止める車もなく、夕暮れの道路を辿って僕はひとり秩父駅を目指した。どれほどの時間を歩いたのか、日はとっぷりと暮れ、途中からはあたり一帯に白い霧が立ちのぼり、セメント工場の緑がかった光は、僕を忘れたまま遠ざかっていく宇宙船から漏れる灯のようだった。

秩父夜景00

冷え切った体のまま普通電車に乗り込んだ僕は疲れてすぐに眠り込んだ。途中で電車がスイッチバックする駅で、寝ぼけた僕は終点だと思って電車を飛び降りたのだが、ドアが閉まった直後にそこはまだ飯能 (はんのう) という埼玉の果ての見知らぬ町だということに気付いた。

駅を出るとけっこうな雨だった。とりあえず駅前にあったピッツェリアに飛び込み、道路に面した大きなガラスの窓際に座った。熱いスープを頼みワインを飲んでいるうちに雨はますますひどくなり、ガラス窓の景色の中で街灯や車の光が歪んで流れて崩れた。これはどこかで見た絵だ。しかも最近に見た絵だ。

あのオーストラリアの砂絵だ。液体の中を砂が歪んで流れるあの砂絵だ。あれは暗示だったのだ。あれはすぐ先の未来に抱くであろう得体の知れないうら悲しさを語っていたのだ。
そう思うと目の前の景色はさらに勢いを増して流れて、歪んで、崩れた。

訝(いぶか)し気にこちらを見る店員の視線を感じた僕は、ハンカチで洟(はな)をかんで席を立ち会計を済ませた。

秩父のコスモスの海にできた歪み(ひずみ)から時空を超えたその人は、以来僕の前から姿を消した。

そして翌年、この世からも姿を消していたことを人づてに知ったときも、僕はあまり驚かなかった。



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