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花水木の季節

庭の花水木がほぼ満開になった。例年より10日ぐらい早いような気がする。
この後に記すのは数年前の手記です。いつかこの街を去らねばならぬとき・・・と書いてあるが、住む場所は変わっていない。変わったのは世界の方だった。
Covid がすべてを変えてしまった。
ほんの数年前の自分の手記ですら、すごく懐かしい思いがする。
愛犬もいなくなった。

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ハナミズキの美しい季節になった。
白や薄紅色や薄緑色、いろんな花水木があちこちの庭や街路に、意外にたくさん植えられているのに改めて気づく。

きのうからの暖かさで湿気が少し増し、そういうときの神戸の街には、風の吹く方向によって潮の香りか山の木々の香りがする。今日はフィトンチットを含んだ山の針葉樹の香りとともに、何の花なのかはわからないが北野異人館の巷には花の香りが漂っている。

犬を連れて歩けば、この界隈にも観光客がずいぶんと増えてきたのを感じる。しかし異人館も閉館して観光客相手の店もそろそろ店じまいをする時間帯からは、北野界隈はその国籍不明な表情をのぞかせ始める。

下半身が太り気味でちょっと辛そうな表情で坂道を登ってくるのは華僑のおばさんたちだ。右を向いては広東語で、左を向いては神戸弁で挨拶している。そうかと思えば賑やかな北京語の団体にもすれ違う。台湾の観光客だ。少なくとも3人はローズ色のブルゾンを着ていて、少なくとも半数はめがねをかけている。

春風に透き通るような金髪をなびかせて、カモシカのような脚で坂道を下っていくのはスラブ系の女性たち。最近、神戸にも増えてきた。みんなスリムで顔が小さい。鳥がさえずるように早口のロシア語を交わしながら、黒いシルクハットと立派な髭で無表情を隠したユダヤ人の横をすり抜けていく。

自転車に乗りながら年齢には似つかわしくないドスの効いた大声で会話を交わしているのはアラブ人の少年たち。パレスティナの言葉にも聞こえるし、スーダンの言葉にも聞こえる。そのころ神戸モスク横の駐車場では、パキスタンやアフガニスタンの男たちがたむろして大声で笑いながらおしゃべりに興じ始める。それを当て込んでトルコ人がケバブの屋台自動車で店を出す。
そして額に朱色の印を付けたふくよかなインド女性たちはタッパー片手に「デリー」へ夕食の買出しにやって来る。

コンビニ前に座り込んだバリの男の子たちは片手をあげ流暢な日本語で挨拶をしてくるし、これからプールへ向かうというネパール人には「最近、ジムに来てないですねぇ」と言われる。へへ、もうとっくの昔にやめたんだよ…。

卯月の空高く茜色の雲がたなびき何本もの飛行機雲がそれに交差する。アッラーフ・アクバル・・・・回教寺院からアザーンが流れ出した。日没の祈り、サラートゥル・アスルの時間だ。

いつかこの街を去らねばならぬときが仮にあるとしたら、懐かしむのは、このハナミズキに満ちた実に平凡な夕方の光景であるのかもしれない。

(神戸モスクと桜。この桜の木は、駐車場を作るために、去年残念ながら切り倒されてしまった。これもやはり帰らぬ思い出となった。)

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