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ちゃんと生きなきゃという呪縛
「いい学校出たいから、ちゃんと勉強しなきゃ!」
「買ったからには、ちゃんと使いこなせるようにならなきゃ!」
「課金したからには、ちゃんとやらなきゃ!」
「いい子に見られたいから、ちゃんとしなきゃ!」
「流行に乗り遅れないように、ちゃんとチェックしなきゃ!」
「界隈の人として、ちゃんと振る舞わなきゃ!」
世の中は、社会のレールから外れないように、「ちゃんと」生きなきゃ、「淘汰」される。
だから社会の常識、その界隈の常識、学校の常識、SNSの常識などあらゆるルールに従って生きなきゃならない。
それは、仕事だけではなく、趣味の世界でも「ちゃんと」生きなくてはならない。
なんか息苦しく感じるのは私だけだろうか。
難しく言うと、「義務感」である。
「ちゃんと」生きることは、他人に「合わせて」、空気を「読んで」生きることだと考える。
「ちゃんと」生きた先にあったのは「一時的な安心感」。
ここでの安心感は、他人に合わせて生きているという安心感だ。
そして他人からズレていること、つまりレールから外れていることに気づいた瞬間に「不安」に変わる。
もし「ちゃんと」生きなきゃに囚われているのであれば、「ちゃんと」から降りてみるとよい。
例えば「ちゃんと」やらなきゃと思ったことをあえてやらない。それを数週間くらい続けてみる。
すると、物事に対して、「ちゃんと」やらなきゃだけで無理やりやらされていたか分かるから。
それに気づいたら、今度は「ちゃんと」から解放された世界の味を噛みしめよう。
案外生きていけることに気づけるし、むしろ「自分らしく」、「自由」に生きていることに気づくだろう。そう、
自分らしく生きるのに、「ちゃんと」はいらない。
かく言う私もずっとずっーと「ちゃんと」生きることに囚われていた身だ。
「テストで良い点をちゃんと取らなきゃ。」だから「勉強しなきゃ!」
趣味でも
「○○(他の人のHN)のランクやタイムを超えなきゃ。」、「速くクリアしなきゃ」だから「ゲームをちゃんとやらなきゃ!」
ブログだってそう、
「記事構成をちゃんと考えなきゃ書けない」
本当にそうですか?この記事、見出しZEROですよ?
ここまで読んで、「ちゃんと」生きなきゃ!という呪縛で生きてきたことを認めているなら、自分らしく生きることができると思う。
YouTubeの動画を見て、そのままの勢いで書いた記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!(´▽`)