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劇場版レヴュースタァライト ワイルドスクリーンバロック ネタバレ感想 トマトは何を意味したか

劇場版レヴュースタァライト ワイルドスクリーンバロックがついに公開されましたね。
僕は公開された3日後に1度見て、その後に特別映像①付きの上演を見に行きました。
劇場版スタァライトはまず間違いなく、最低限2回は見にいかなければならない映画だと思いましたね。やっぱすげぇわ。僕は多分、この後も3回ぐらいは見に行くと思います。

いやまあ、こんな話はどうでもいいです。
大事なのは映画の感想です。正直、今回のスタァライトはストーリーの考察はあまりする部分が無いかなと思ってます。
劇中のレヴューでそれぞれの舞台少女が全て語ってくれてますからね。しかし、やはりスタァライト。気になる点や印象的な演出が非常に多いです。
なので、今回は僕が感じた部分をつらつらと書いていこうと思います。タイトルにも書いてますが、バリバリのネタバレがあります。
映画見てないよって方は、是非劇場に足を運んでからこれを読んでください。




トマトは何を意味するか


劇場版スタァライトは最初にトマトが弾けるシーンから始まります。その後も幾度となくトマトが登場するのですが、いや、何でトマト...??と最初に思いました。多分、映画を見た人の殆どが疑問に思った部分だと思います。その後も大事なシーンで何回も出てきますからね。

ここで注目したいのが、前作『ロンド・ロンド・ロンド』の主題歌である『再生讃美曲』。
この曲の一節に


幸せよ、君はいずこに
それが何かわからなくても
例えばそれがエデンの果実でも


とあります。
ここにある、エデンの果実。禁断の果実として名高く、一般的には林檎のイメージが強いですが、ヘブライ語圏では林檎ではなく、トマトであるという地域があります。そもそもトマトは新世界からの伝来時、毒があるとされていたので、ガチの「禁じられた果実」だったのです。詳しくはwikipediaで。

聖書に於いて、悪魔に唆されて禁断の果実を口にしたアダムとイヴは楽園を追放され、苦役と死の定めを与えられます。これ、まんま今回のスタァライトですよね。
オーディションを終え、第100回星翔祭のスタァライトを演じ切ってしまった、香子の言う『トップスタァになれない自分』に納得し、今の自分達に満足してしまう、ぬるま湯のような楽園。
そして待ち受ける『舞台少女の死』という構図。楽園を追放された九十九期生に齎された苦役こそが今回の映画の内容そのものだと言えるでしょう。


トマトの花言葉


ここで言っておきたいことは、トマトは禁断の果実のメタファーであり、舞台少女を楽園から追放する舞台装置ですが、それはあくまで舞台装置としての役割であり、それが全てではありません。
じゃあトマトの意味って何だよ!となりますよね。
突然ですけれど、トマトの花言葉を知ってますか?僕は知りませんでした。
1回目の映画を見終わった後に調べたんですけれど、トマトの花言葉は「完成美」らしいです。それを知った瞬間に全身が粟立ちました。

留意して頂きたいのは、「少女☆歌劇レヴュースタァライト」というテクストにおいて「完成美」とは、決して褒め言葉ではない、ということです。
そもそも映画の始まりからして、「完成美」などクソ喰らえ、と言わんばかりにトマトが破裂しています。

ここでいう「完成美」とは即ち、オーディションを終え、第100回星翔祭のスタァライトを演じ切ってしまった後の舞台少女たち。
ななが「再演の果てに見た舞台少女たちの死」とは停滞した楽園に囚われ、次の舞台に立てない彼女たちに訪れるものなのでしょう。
舞台少女たちにとって停滞とは「死」そのもの。
何故なら、舞台少女は日々進化中。進化せず、停滞し続ける者は最早舞台少女ではないのです。
幾度となく同じ舞台を繰り返したななだからこそ、見ることができた光景だと言えます。

中盤で、真矢、クロディーヌ、双葉、香子、まひるが何かを決意してトマトを齧るシーンがあります。(純那も齧ってたっけ?もっかい見てきます)
あのシーンこそ「完成美」を齧り、傷を付けることで「未完成」とし、更なる「完成美」を追い求める。
楽園に囚われた「現状」を脱却し、「次の舞台」へ上がる覚悟を決めた、『ワイルドスクリーンバロック』の根幹を担う非常に重要なシーンであるわけです。

上記を考えると、やはり『ワイルドスクリーンバロック』において何故トマトが登場したかが分かる気がしますね。舞台少女たちにとっての禁断の果実であり、舞台少女たちに死を齎す舞台装置として、トマトが登場したわけです。


未完成の舞台少女


さんざっぱら『少女☆歌劇レヴュースタァライト』にとって「完成美」って良い事じゃないんだよって書き続けてきましたが、映画でも露骨に「未完成」を突きつけるシーンがありました。
101回星翔祭の決起集会、スタァライトの第一稿が未完成のままA組とB組に渡されていましたよね?
このときの雨宮さんと眞井さんめっちゃ可愛くなかった?可愛かったよね。
そして、このシーン前半では『約束タワー』が流れています。


たった一つの場所 頂上見上げて走る
二度と来ないときを 一緒に積み上げていこう
ふと振り返れば あどけなさ 懐かしいよね
一つ夢叶えて また私たち 次の場所を目指すよ


いや、歌詞良すぎ。最強か?
ここで叶えた夢はきっと第100回のスタァライト。
前回の公演を越えられるかはわからないし怖いけど、それでも私たちは舞台に生きる、舞台少女だから。
だからこそ、次の場所、第101回のスタァライトを目指すわけです。マジで泣ける。

シーン後半では『約束タワー』に代わり『舞台少女心得』が流れます。


私たちは舞台少女 未完成の舞台少女
どんなときも胸を張るの 凛々しくなれるから


スタァライトしか勝たん。
舞台少女の心得は、常に「未完成」であること。
どれだけ恐くたって、胸を張ること。
このシーンで雨宮さんがシレッと完成原稿を渡してきたとしたら、その後のシーンには繋がらなかったでしょう。
九十九期生からはみんなで作り上げた原稿を。『約束タワー』からは目指すべき場所を。『舞台少女心得』からは自分たちのあるべき姿を。それら全てを受け取ったからこそ、舞台少女たちは囚われていた楽園から脱却し、次の舞台へ上がることができたのです。

楽園を自らの足で去った舞台少女たち。その先に待つ死の定めは、停滞による「舞台少女の死」ではなく、「今までの自分の死」。

そう、私たちは......この檻を開くと決めたのだ。
囚われ、変わらないものはやがて朽ち果て、死んで行く。
だから生まれ変われ。古い肉体を壊し、
新しい血を吹き込んで。
今いる場所を、明日には超えて。
たどり着いた頂きに背を向けて。
これが......導きの果てにあった真実。
今こそ塔を降りるとき。



舞台少女の根幹


トマトはどういう意味があったか、という話から結構脱線してしまいました。ここまで読んでくれた人にはどれだけトマトが重要な役割を果たしているかが分かってくれたと思います。
その中に『少女☆歌劇レヴュースタァライト』の根底にあるものが薄らと見えた気がします。それは、何度も書き続けてきた「未完成」というワード。
『舞台少女心得』の中にも出てきますが、この曲って1st公演に先駆けてリリースされたんですよね。

TVアニメでも双葉が『華恋が言ってただろ、舞台少女は日々進化していくって。だから、天堂やクロは主役を張ってるのに努力を辞めないんだ』というセリフがあるように、本当に初期の初期から、「未完成」だからこそ舞台少女足り得る、というスタンスが一貫しているんです。
舞台少女は日々進化中。列車は必ず次の駅へ。舞台少女は次の舞台へ。
愛城華恋という存在が、『少女☆歌劇レヴュースタァライト』そのものなんだな、と改めて実感する映画でした。もう、完全にスタァライトされた。

『ワイルドスクリーンバロック』は、はっきり言ってそこまで壮大なストーリーがあるわけではありません。パンフレットでも監督が仰っていましたが、「彼女たち、卒業します!」たったこれだけです。
もちろん、進路面談や各レヴューを通してのキャラクターの成長、心情は丁寧に描かれています。しかし、『少女歌劇☆レヴュースタァライト』という文脈において、その根底にあるものは『未完成の美しさ』だと僕は思うのです。これは作中でも散々説明されてきましたし。


天堂真矢の素晴らしさ



映画の考察というか、感想については上記事柄で全て終わりです。後は天堂真矢の素晴らしさについて書きます。
もともと僕は天堂真矢が一番の推しなのですが、『ワイルドスクリーンバロック』を見て、九九組皆もそうですが、より一層天堂真矢が好きになりました。何が素晴らしいって、始終強者のポジションに立ち続けている事。
皆殺しのレヴューでもそうですが、あの場面にいた中で唯一、天堂真矢だけが上掛けを落とされていません。(落とされてなかったよね?)それは勿論、彼女だけはもう舞台の上に立っていたからです。クロちゃんも言ってましたね。「なんでアイツだけが」って。

何より天堂真矢の素晴らしさが描かれていたのはやっぱりレヴューシーンですよね。何気にクロディーヌの単体初レヴューでもありました。
劇中、彼女は自身を空っぽの神の器と称します。何者の魂でも取り込み、何者であろうと演じ切ることができる神の器であると。非常に天堂真矢らしい自信に満ち溢れた言葉を、クロディーヌは「驕り」と切り捨てます。

天堂真矢はクロディーヌの言う通り、イキってたわけです。TVアニメシリーズ第3話の『誇りと驕り』も、最初は天堂真矢の誇りと、愛城華恋の驕りの対立という図式だと思ってたんですけど、誇りも驕りも天堂真矢なんですよね。華恋なんて歯牙にもかけず、徹頭徹尾、天堂真矢の1人舞台。めちゃくちゃシビれる。

あと口上。天堂真矢とクロがバチバチにやり合う口上もめちゃくちゃすこ。

輝くチャンスは不平等
千切って喰らえ共演者
愛も自由も敗者の戯言
天上天下 唯我独煌
99期生 天堂真矢
奈落で見上げろ 私がスタァだ

かっけぇ〜〜www
真矢クロがそれぞれの口上交換してるのもマジでシビれる。
このシーンだけでも2,000円払う価値は十二分にあるね。

あと、これは全然余談なんですけど、エンドロール見てるときに、あれ、純那、早稲田大学に行ってねぇじゃんと思いました。でも、よくよく考えてみると狩りのレヴューで進むべき次の舞台を見つけてますし、序盤で華恋と演じていた劇中劇でイスパニア(スペイン)を見捨てるというセリフがありました。役名もサルヴァトーレとアレハンドロで、確実に大航海時代を背景とした演劇だと思います。「征かねばならないんだ、あの大海原へ」とある通り、純那は航海に出たわけですね。ご存知の通り、大航海時代に発見された新世界とはアメリカ大陸のことです。純那のニューヨーク留学はこの時点ですでに示唆されていたんだと思います。やっぱスタァライトはすごいよ。


最後に


と、ここまで『ワイルドスクリーンバロック』の感想をつらつら書いてきましたが、ほとんどこれは僕の妄想です。解釈なんかは当然、見る人すべてに委ねられるものであります。でも、どうしても語りたかった。というかみんなで語り合いたい。あのシーンよかったよね、とか。あのセリフってこういう意味なんじゃない!?とか。Twitterでもnoteのコメント欄でも、私はこう思いますとか送ってほしいですね、マジで。

この感想を読んで、もう一度劇場に足を運ぼうかなと思ってもらえたり、『ワイルドスクリーンバロック』を見てるときに、そういえばこのシーン、あいつがなんか言ってたな、とか思って貰えたらめちゃくちゃ嬉しいです。
繋がれ、スタァライトの輪。

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みんな、急ぐんだ!!!

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