よしながふみ「環と周」ネタバレ感想
よしながふみの漫画「環と周」を紙の本で読みました
最後まで読んで、また最初から読みたくなる作品
以下がっつりネタバレ感想です
主に第一話について語っています
第一話の最後のコマ、
僕はきっと
この腕の中にいる女性(ひと)と
死ぬまで一緒に
生きていくんだ
という周のセリフ
普通に読んだら愛情や覚悟なのかもしれないけど、最初に読んだ時の私には、諦念みたいなものが感じられてすごく切なくなった
あえて「女性」と書いてるとことか、ヘテロの家族という形に囚われてるようにも見えるじゃない
このお話し、読みようによっては、同性愛を思春期のゆらぎとして否定しているようにも読まれてしまうから、すごく難しいし物議を醸すとも思う
だけどこのセリフ、この1冊を最後まで読むとプリズムみたいにいろんな意味があるんだなあって気づく
こういうダブルミーニングみたいな、読む人によって解釈が異なるようなひとこまを作るのが本当に上手いよねよしながふみ
「愛すべき娘たち」のおばあちゃんの
………
だからわたし
それから
麻里の事は
わざと顔を誉めない
ようにしてきたのよ
というコマみたいに、一見娘のためを思ったようなセリフだけど、実は娘の容姿に嫉妬した自分から目を逸らすためのセリフにも読めるような、行間を含んだコマがすごく上手い
閑話休題、この1冊を最後まで読んでもう一度、「周」のこのセリフについて考えたとき、同性を好きだった中学生の自分を、環が受け入れてくれたように感じた部分もあるのかなと思った
第一話で描かれる環と周の家庭はリベラルなようだけど、はじめの環は自分の娘が同性に恋をしたことが受け入れられなくて、娘を傷つけてしまう
恋なんてしなければ良かった、成長しなければよかったと苦しむ娘
そして環のセリフ
子供なんて
毎日元気で
笑っててくれたら
それでいいじゃない
ううん違う
生きててさえ
くれればいいの
あたしこれからは
そう思ってあの子を
見守ることにする
「生きててさえくれればいいの」
このセリフが最終話の環の
「生まれてこなければ良かったなどとはもう二度と言わせぬ‼︎」
というセリフに重なってるんだよね
この重奏がすごいよ本当
環が娘にかけた言葉に周は「うれしい」と言うのは、どこかその言葉が自分にも向けられているように感じられたからなのかなあとか
明治時代の第二話、70年代の第三話、戦後の第四話(第四話が一番好き)と、環は周を救って、周の前から居なくなってしまう
愛は重力だし呪いでもあるけど、環の愛情表現って「手を離す」という愛なんだよね
四話が顕著だけど、相手へのコントロール願望を捨てて、相手が幸せになったらふと居なくなってすれ違ってしまう
相手を想うからこその見守る愛ではあるんだけど、そういう「手を離す」愛を選べる環のことを、やはり周は愛してるんだろうし、だからこそ腕の中の環への「死ぬまで一緒に生きていくんだ」が呼応していくんだと思う
刹那が永遠になるような愛もあるけど、年月を重ねて一緒に生きていく、諦念も覚悟も愛も一緒くたになったような日常を、ようやく環と周は手に入れたのかもしれない
それがヘテロで、子供がいて、という現代の豊かなマジョリティ家庭でようやく掴めたものだ、というところは確かにモヤるポイントではあるけど
このあたりのインタビューも踏まえてもう一度読んで考えてみたいと思う
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