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知られざる歴史の足跡… マレーシアの地に眠る日本人たち
クアラルンプールの日本人墓地で知った、驚きの歴史
午前中、午後便で帰る仲間と一緒に、日本人墓地を訪れました。
実は、マレーシアには日本人墓地がたくさんあります。その数、なんと 29か所 !
この数を知った瞬間、全身の毛穴から何かがあふれ出すような感覚に……(≧∀≦)ゞ
明治32年に造られた日本人墓地
この墓地を訪れる前は、80年前の大東亜戦争で亡くなった英霊の方々のお墓だと思っていました。
しかし、実際には 明治32年(1899年) に造られたもの。つまり、今から 120年以上も前 にこの地に渡ってきた日本人のためのお墓だったのです。
明治初期に海を渡った日本人女性たち
明治維新後、武士の時代が終わり、平民の時代になったばかりの日本。
そんな時代に、飛行機もないのに船でクアラルンプールまで渡ってきた人々がいました。その多くが からゆきさん──貧しい家庭に生まれ、生活のために海外へ出た日本人女性たちです。
幼い頃に仲介業者に売られ、召使として働き、やがて売春宿へ……。稼いだお金の一部を宿主に渡し、残りを日本の家族に仕送りしていたのです。
そんな彼女たちのために作られたのが、この日本人墓地の始まりでした。
日本人女性の海外進出は戦国時代から始まっていた
実は、日本人女性が海外に渡る歴史は明治時代よりもさらに遡ります。
豊臣秀吉が バテレン追放令 を出した理由のひとつに、日本人女性がスペイン・ポルトガル人に 奴隷として売られていた ことがあるのです。
その流れを断ち切るため、江戸幕府を開いた徳川家康は 鎖国 し、日本人の奴隷化を避けました。
しかし、出島ではオランダ人の相手をする女性が必要とされ、長崎の遊郭・丸山から選ばれた女性たちが接待をしていました。この女性たちこそ、後に からゆきさん と呼ばれるようになったのです。
墓地に眠る人々への想い
このクアラルンプールの墓地には、からゆきさんだけでなく 戦争で亡くなった英霊も150名 ほど埋葬されています。
戦時中に亡くなった方だけでなく、戦後の栄養失調や疫病で命を落とした方々も含まれています。
墓地の慰霊碑の前で、友人の福田りえさんがピアニカで『赤とんぼ』と『ふるさと』を演奏し、皆で涙をこらえながら歌いました。
きっとこの歌声は、 戦争で亡くなった英霊たちだけでなく、120年以上前にこの地で生きた日本人女性たちにも届いた ことでしょう。
記帳ノートに残された歴代首相の名前
墓地の記帳ノートには、
安倍元首相
岸田前首相
山口前公明党党首
防衛大臣・外務大臣 など、
多くの日本の要人たちの名前が記されていました。
パフォーマンスかもしれませんが、国を背負うリーダーたちが わざわざ手を合わせに訪れている ことに、強い意味を感じました。
おそらくマレーシアだけでなく、 世界中の日本人墓地を、歴代の首相や要人が訪れている のでしょう。
もしかすると、これは「訪問先の国に自国の先人たちの墓地がある場合、必ず手を合わせる」という 国際的なルール なのかもしれません。
これからの旅の指針
この経験を通して、今後どこへ行くにしても 日本人墓地があるかを調べ、可能であれば必ず参拝しよう と決めました。
現地で眠る先人たちは、きっと喜んでくれることでしょう。
さて……『ふるさと』の二番と三番の歌詞を覚えなきゃ(笑)。
さいごに
観光も楽しいですが、その土地にどんな 日本人の歴史 があるのかを知るのも、旅の大きな醍醐味です。
異国の地で亡くなった先人たちに、ぜひ関心を持っていただけたら嬉しいです!
【クアラルンプール日本人墓地】現地の日本人も知らない先人たちが眠る場所
https://youtu.be/RMtyRD1lBiE