羽休めに国会図書館に行った話
足を運ぶに至った経緯
私は関西在住の大学生。2019年は受験勉強のため勉強漬け生活を送っていました。
受験勉強を頑張った自分へのご褒美として、2020年に開催されるPerfumeのライブ『P Cubed』の東京公演に行くことを心の底から楽しみにしていました。
しかし、'20年2月に新型コロナウイルスが流行し始めたことでライブは中止に。とてもショックでしばらく落ち込んでいたことを覚えています。そのまま突入した自粛生活。肺がそこまで強くないため、不必要な外出を避けてきました。
年が明けて2021年。外出はするようになったものの、まだ不安だったため、人が集まるイベントに参加することは極力しませんでした(大好きなPerfumeのライブビューイングですらやむなく辞退しました)。
そして2022年。私自身に怒涛の日々が続き、心が疲弊している状態でした。'19~'21年は私にとって我慢と抑圧の年でしたから、それもあって頭がどうにかなりそうでした。その時でした。
「6月に祝日が無いなら作ればいいじゃない」
心の中のマリー・アントワネットがそう呟いたのです。
すぐに日にちを調整し、宿を手配。
「こりゃ行くしかねえな!!!!!」
国会図書館に到着
6月某日、マジで行きました。国会図書館に。
というか、なぜ国会図書館に行きたかったかと言いますと、私の“推し”である中田ヤスタカと坂本龍一の対談が掲載された雑誌『Sound & Recording Magazine 2012年11月号』を実際にこの目で見てみたかったからです。
国内で発行された出版物は国会図書館に納めなければならない、ということでそこに行けばあるんじゃないかと。
とか言ってる間に、国会図書館に到着しました。永田町にある東京本館です。
受付で借登録を済ませて入場。館内は写真撮影禁止。独特の雰囲気と景色を眺めつつ、まずは館内のパソコンで検索することに。
「……ヒットしない」うそやろ!?
出版した本は国会図書館に所蔵しなければならないようだが、その制度の認知度の低さなどから所蔵されていない書籍があるらしい。残念。
せっかくここまで来たんだし、何か目ぼしいものでも見てから帰ろうと検索を続けた。そこで出会ってしまった――爛然と輝く『YMO/ライヴ・アット・武道館1980』の文字に。
貸出手続き
これは映像資料だった。胸を躍らせながら早速視聴の手続きに向かった。(余談ですが、私はYMOが大好きです)
ここで私にとって思いもよらない事態が起こる。
視聴するには用途・目的を明確にしないといけない、と係の方に告げられたのである。それも学術・研究目的でないと貸し出せないそうだ。知らなかった……。
紙に視聴理由を書かされるのですが、「音楽の歴史を調べるため」などの抽象的な理由は受け付けない、とも告げられた。観光気分でこの図書館に来ているので、今この瞬間、自分という存在が完全に不相応であることを紙と共につきつけられた。
だが幸運にも、悩むことなくすらすらと理由を書くことができた。「日本におけるテクノポップ・エレクトロポップの歴史と衰退・再興およびテクノポップが大衆に与えた影響と文化の形成」と書いた。
係の方「大学のレポートかなにかで使うのですかね?」
私「はい」
どうにか視聴にまで漕ぎ着いた。レポートに使う気はない。
追記:視聴の際にメモしておいた内容を、後日実際にレポートに用いました。嘘から出た実とは正にこのことですね。
いざ視聴
わざわざここに出向かなくともYouTubeに全編が投稿されているが、所詮無断で転載されたものである。
YouTubeで観たものそのままだったが、きちんと“本物”を観たという付加価値からか、音が綺麗に感じた。映像はYouTubeの方が綺麗だった……とか言うのはよくないね。
あの時聴いた1000 Knivesと実際に触れたLDのケースが鮮明に頭に残っている。矢野顕子がぴょんぴょん跳ねながら楽しそうにキーボードを弾いている姿もくっきり覚えている。初めのRiot in Lagosを観たときは、何十回も観たあのライブ映像が今こうして目の前で再生されているということを実感させた。1000Knivesの締めの部分、アウトロを何回も繰り返し聴いた。いつもと違う環境で聴き慣れた音楽を聴くのって、特別感ありません?
もし係の方に咎められたら落ち込んでしまいそうなので一応、学術的なことをメモしておいた。
LDとはレーザーディスクのことらしい。レコードみたいに大きい。世代ではないので初めて目にする。ディスク自体は係の方が機械に入れてくれたので見てはいないが、ケースと、同封されていた紙は渡してくれた。
ライブを開催すればチケットはすぐさま売り切れ、富士フイルムのコンサートも売り切れ。学校の校内放送や喫茶店、パチンコ店でもライディーンが流れていた。13年越しの映像化。という旨の文章が書かれていた。
このライブは『FROM TOKIO TO TOKYO』といい、前回のライブは『トランス・アトランティック・ツアー』であることも書かれていた。
YouTubeだけでは見られないようなことだらけである。まだまだアナログも現役か。
そうこうしているうちにホテルのチェックインの時間が迫ってきた。場違いだという気まずさもあって結局10分ほど視聴して返却した。
そして恥ずかしさや焦りなどを抱えつつ、急ぎ足で曇天模様の永田町から立ち去った。
ホテルに着いた頃には東京は夜の7時でした。
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