フランス人男性のハンガーストライキをきっかけに考えたこと
皆さんは、フランス人男性ヴィンセント・フィショさんが「子の連れ去り」被害を訴えて、日本でハンガーストライキをしたニュースをご存知だろうか?
私はこのニュースをきっかけに、改めて「海外から日本への子の連れ去り」に関するドキュメンタリーをいくつか見た。
全て海外視点のドキュメンタリーであったが、そこには、日本に連れ去られた子供に会いたくてわざわざ日本まで来た外国人元旦那に、頑なに子供を会わせない日本人女性達の姿が映っていて、日本人の私から見ても異様だなと思う場面が多かった。
私も離婚が決まった直後は、子供を連れて日本に帰りたい!と思っていたので、海外から日本へ子供達を連れ去ってしまった方達の気持ちが分からない訳ではない。
むしろ日本がハーグ条約に加盟してからは、誘拐犯で国際手配になるかもというリスクを理解した上で子供を日本に連れて帰ったのだ。相当の覚悟だったんだろうと思う。
だけど「頑なに」子供に会わせない理由は何なのか?
その理由は本当に子供の為なのか?自分の感情が入っていないのか?
その理由がとても気になった。
私は、離婚裁判をしている時に「なぜ子供達と日本に帰りたいのか?」をじっくり考えた事がある(これはまた後で書くが、離婚裁判の焦点は子供と日本に帰れるかどうかだった)。
そして出た答えは2つだった。
1. 元旦那から離れたい。
2. 元旦那に自由を奪われたくない。
元旦那の事をすごく憎んでいたので、日本に帰ったらもう関わる必要がないと思っていた。そして、住む場所を自分で選ぶ事で自由になれると思っていた。
だけど、そこには自分の感情しか入ってなかったのだ。
頭では、ベルギーで住んだ方が子供にとっていいと分かっていても、私の感情がそれを邪魔していたのだ。
同僚に「子供を元旦那への罰として使ってはいけないよ」と言われた事がある。
元旦那が浮気したから子供に会わせない。元旦那が養育費を払わないから子供に会わせない。
それは、子供を罰として使っているという事。
自分の感情だけで、「子供が父親と会う権利」を子供から奪ってはいけないと言われた。
その当時は、「けどそれっていいとこ取りじゃない?」と思っていたが、今では本当にその通りだと思う。
だからこそ今は、頭では「ベルギーに残る決断をして本当に良かった」と思っているのだ。頭では。
だけど、未だに感情がそこに追いついていない時があり、不公平に感じる事があるのだ。
今私に必要なのは、感情がきちんと思考に追いつく事だと思う。その為には、自分の気持ちを整理していくしかないのだ。
さて、話を冒頭のヴィンセント・フィショさんに戻そう。
私にとっては、このニュースは他人事とは思えないのだ。
異国で1人で戦わないといけない大変さ。
しかも、同じ異国と言っても、外国人が日本で戦うとなるとより一層大変だと思う。
そして、単独親権が当たり前の国で育った私がベルギーでカルチャーショックを受けたように、共同親権が当たり前の国で育ったフィショさんにとって、単独親権の特殊さを理解するのは大変だと思う。
そして何より、ハンガーストライキまでして子供に会いたいフィショさんが、子供に会えない理由は何なのか?
それは本当に子供にとってベストな事なのか?
ちなみにベルギーは、子供へのDVが無い限り、配偶者へのDVがあっても子供に会う権利を奪われる事はない(ただ、これは色々な事件も起きているので、難しいところではあるが)。
そして、このハンガーストライキを通して、日本人同士の離婚でも同じ事が起きている事を知った。
私には、子供を置いて日本に帰るという選択肢は一切無かった。
子供のいない生活なんて考えられなかったからだ。
だからこそ、どんなに大変でもベルギーに残ろうと思ったのだ。
逆を言えば、ベルギーに残れば子供と一緒にいれる権利が保証されていたのだ。
これって、すごく幸せな事なんだとこのニュースを見て実感した。