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My "Roots"②

前編はこちら

専門1年生:パンク/ハードコア/スカコア期

 保育科の専門学校に入学し、自己紹介を交えたオリエンテーション。
 この年代でもまだあまり同世代にHIP HOPが浸透していなかったので、「HIP HOPが好きです」と言えなかった僕はついつい「ギターが趣味です」と言ってしまう。
 そのオリエンテーション後、ドラムを趣味にしていた同級生から「一緒にコピーバンドやらない?」と誘われ、2枚のCDを手渡された。それがGOING STEADYの「さくらの唄」、そしてもう1枚がHi-STANDARDの「MAKING THE ROAD」だった。

 家に帰って「一応聴いてみるか…」とゴイステを再生する。「青春パンク」と呼ばれているらしいが、当時の僕には「叫んでいるだけ」という印象であまり好きにはなれなかった。
 ゴイステを矢継ぎ早に聴き流し、次はハイスタを聴いてみる。賑やかでポップなアルバムジャケットがゴイステのアルバムと対照的で、こういったカラフルな色調が好きな僕は少しばかり期待感が高まる。

 再生すると…インスト曲である「TURNING BACK」からもう耳と脳に衝撃が走った。3人とは思えない程の分厚い音、細かいドラミング、歪みのバリバリに効いたギター…。
 あっという間に1曲目が終わり、2曲目の「STANDING STILL」に差し掛かる。
 お世辞にも上手とは言えないが、そんなものがどうでも良くなるほどに心に突き刺してくる声とメロディとハーモニーが加わり、しばらく思考が止まった。

僕は一瞬でHi-STANDARDの虜になった。

 先述の同級生とは何度かスタジオに入ったくらいで、結局バンド活動を行うことはなかったのだが、とにかくハイスタとの出会いは大きかった。

   当時はネットカフェでバイトをしていたのだが、バイトの休憩時間にYouTubeでハイスタの動画を見漁っていた。特に初っ端からハイスタのド名曲「STAY GOLD」から始まるFUJI ROCK FESTIVAL ’99のステージは圧巻だった。
   何よりもギターを弾きながらハーモニーをシャウトする横山健がかっこよく、見る度に鳥肌を立てていた。
   それから、長いこと日本語ラップ一辺倒だった僕は、一気にパンク、ギターに傾倒していく事となる。

 僕がハイスタを知った時、既にハイスタは活動停止状態だった。それぞれのメンバーはソロ活動や別バンドでの活動を続けていたのだが、取り分けハイスタ時代の激しいパンクロックを体現し続けていたのが、先程も書いたギター担当の横山健だった。
 実は僕の兄貴もハイスタと横山健が好きだったらしく、Ken Yokoyama名義のアルバムを持っていた。当時は既にiPodを持っていたのでCDを借り、iPodに移してどこでもハイスタや横山健を聴き狂っていた。


 彼を初めてライブで観たのは2007年の9月。保育課程を終えるため、兵庫でのスクーリングから帰ってきて間も無い頃だったと記憶している。初台DOORSはキャパ300人強のライブハウスで、それまで映像の向こう側で何万人という観客を沸かせていた横山健が、わずか数m先のステージに立っているということにまず大きな衝撃を受けた。

2007年当時のKen Yokoyama、通称KEN BAND。
現在、Ken以外は全員メンバーチェンジしている


 「好きになると自分でもやりたくなる」という特性はここでも見事発動。
 二十歳の誕生日に家族から自分用のギターを買ってもらい、スコアを見ながら家で弾きまくる毎日。2009年にはバンドを結成し、仕事の傍らで立川や池袋でのライブを行った。
 バイト代が入れば町田にあるPIZZA OF DEATH(ハイスタが設立したレーベル)のTシャツを、隣町の福生にあるベースサイドストリートではDIckiesの42283ハーフパンツを購入。
   僕のファッションは「エセB-BOY」から「ライブキッズ」へと変貌を遂げた。 


   現在でもカーキ色のDickiesは3着ほどストックし、夏場はほぼ毎日の様に履き続けている。現在はほとんどパンクやロックのライブに行くことは無くなったが、仕事でも普段着でも使いやすいのでだいぶお世話になっている。
(僕が夏場、やたらカーキ色のハーフパンツを履いているのもこれが理由です)


 2011年、ハイスタが東日本大震災を機に活動を再開した[AIR JAM2011]も友人がチケットを取ってくれたおかげで会場で見ることができた。翌年の仙台での[AIR JAM2012]も2日目のライブに参加。バスが苦手な僕が東京から長距離バスに乗り込んで仙台に向かうほど、ハイスタやBRAHMANにハマりきっていた20代だった。


 現在でもたまに隣町のスタジオに入り、爆音でギターを掻き鳴らして歌うことがあるのだが、本当に良いストレス発散になる。
 ①の冒頭で「ギター/ロックのルーツはX JAPANとhide」と記したが、更に深く深くギターの沼に僕を連れ込んだのはHi-STANDARD、そしてKen Yokoyamaである。

2017年〜:デレマス期

 割愛させていただく(爆)。
 ただ、この頃からiPhoneでの楽曲制作を開始したり、smuleというカラオケアプリ上でラップクルーに加入させてもらったり楽曲提供を行ったりしていたので、全くラップやパンクから離れていた訳では無い、とだけは記しておく。

一応Boss君との写真は載せとくか

2020年〜:再びラップ期

 日本は新型コロナウイルスの影響により、かつてない程の不安に襲われた。日常があっという間に非日常となり、僕もこの期間をきっかけに心のバランスを崩してしまった。
 友人とも会えない、気軽に外に出れないというストレスの中、あるSNSアプリを知る。
 結局、現在は諸事情があって退会しているのでアプリ名は伏せさせていただくが、このアプリ内でのサイファー(参加者が順番に即興でラップを行う形式)が切っ掛けとなり、僕はまたもラップ熱を上げていくことになる。


 そして、2021年にはあの「Carat」が誕生したのも自分の中では非常に大きな自信となった。
 元々は先述したsmuleというカラオケアプリを使っていた時代に作った物で自分で声を入れようと思っていたのだが、フィーチャリング相手が完成前に退会してしまい宙に浮いていたトラックである。自信作なだけにこのままフォルダ内に残したままなのも勿体無い、と正宗君に送ったのが「Carat」誕生のきっかけだ。

そしてこの曲をきっかけに、歯車が一気に動き出す。


 2021年9月のナイフレにて、正宗君と実に18年ぶりの再会。
 翌月のナイフレではまだユニット名が決定する前の「Carat」が初めて披露され、正宗君以外のメンバーとも初対面(しかも僕の誕生日当日)。
 ナイフレをきっかけにR Loungeのスタッフさん達や出演者さんともSNS上で繋がる事が出来た。
 学生時代にはスピーカーやテレビの向こう側に居た方達と同じイベントに出演し同じステージに立ち、一緒に乾杯をして談笑するなど、信じられない事ばかりが起きている。
 そしてきっと、これからも信じられないくらい楽しい事が待ち構えているのだろう。

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まとめ

 30数年生きているのだから当然と言えば当然だが、こう書き連ねてみると、色々な音楽を辿ってきた。
 兄貴からロック、そして姉貴からHIP HOP。一見、全く異なるジャンルではあるが、どちらにせよ「リスナーとしてだけじゃいられない」と自分でも始めてしまう"好奇心旺盛なクソガキ"という自己判断を行う事も出来た気がする。


 しかし、ギターを始めていなければ、またラップや楽曲制作を始めていなければ出会っていなかった人も数えきれないほど居る。
 "好奇心旺盛なクソガキ"は、未だに好奇心旺盛なままだからこそ今の出会いや幸せがあるんだ、と改めて現在の自分を顧みることができた。


   僕にとって非常に有意義な記事を書くきっかけを下さったお題投稿者の方に、心から感謝申し上げます。


 最後に。

 全く異なるジャンルを好んでいた兄貴と姉貴、そのサラブレッドである僕の三人兄弟だが、唯一、共通して好んだジャンルが存在する。

   それが、スカ。

 軽快なドラムと胸が高鳴る様なホーンセクション、ロックともヒップホップとも遠い様な近い様などちらとも言えない立ち位置のジャンルであるが、僕ら三人の耳にはバシッとハマったらしい。
 そんな僕たち兄弟三人が全員口ずさめる大好きな曲をここで共有し、今回のルーツを辿る度を締めたいと思う。

SCAFULL KING「WE ARE THE WORLD」


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