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「虎に翼」総括(多分、Part1)
半年間の楽しみだった「虎に翼」。今深刻なロスにさいなまれております。
骨太で深みがあり、今後語り継がれる傑作朝ドラとなりましょう(個人の感想です)。
就活や試験勉強、免許取得が立て続けに襲来し(思い切り私用)、後半の感想がスコーンと抜けてしまったことを心よりお詫びしつつ、この総括をもって代わりとしたく存じます。
1.エンタメとメッセージ
「虎に翼」という作品を通して終始議論となったのは、「エンタメに主張・メッセージを含むのはアリなのか」ということでしょう。
本作はフェミニズムを軸に、性的マイノリティや認知症に苦しむ高齢者、親子関係など現代にも通じる問題をビシバシ取り上げてきました。
「朝ドラ」という枠である意味「重い」話がされることに反発する方も少なからずいらっしゃいました。
しかし「呪術廻戦」の九十九さん風に言えば、「それはアリだ」と筆者は思います。
理由は、エンタメないし芸術というものは大昔から大なり小なり社会情勢を映し出すものだからです。
せっかくなので大河ドラマにも取り上げられている「源氏物語」を例に挙げましょう。
まずあの物語は、「身分からして寵愛を受けるべきではない后に過剰ともいえる寵愛が向けられた結果、后が皇子を残して儚く逝ってしまう」というところから始まります。
大河ドラマをご覧になっている方々はピンとくるでしょう。
そう、この構図は一条天皇に愛されすぎた藤原定子を彷彿とさせるのです。
父親が故人で、本来は寵愛されるべきではない女性に帝の愛情が集中する。しかも源氏物語が執筆されたのは1000年代。定子が崩御したのは1000年ですから、記憶に新しいはず。
意識していないとする方が不自然ではないでしょうか。
言葉を選ばずに言えば、「帝に喧嘩を売っている」と言われても文句は言えません。
また、光源氏が息子の夕霧に蔭位の制を使わせず下級役人からスタートさせたことも、息子・伊周をスピード出世させるなど身内びいきが目立った道隆への間接的な批判と言えなくもない。
もう一つ挙げると、来年の大河ドラマ「べらぼう」の蔦屋重三郎も良い例でしょう。
江戸時代中期~後期は、小説や絵などでいかに「粋に」政治を風刺するかというようなエンタメがありました。
幕府による発禁処分がされると、「じゃあこれはどうか」というような。いたちごっことも言えますけれども。
そもそも、エンタメを作るのも人間です。作り手の生まれ育った環境やその人の持つ考えや価値観を完全に排除するのはほぼ不可能ですし、それが成立してしまったらある意味怖いような気もします。
主張ありきでストーリーをゆがめまくるのは違いますけれど、作品を作り上げる上で味付け・香り付けのような形でメッセージを織り込むのはむしろ健全ではないでしょうか。
2.司法界への解像度の高さ
本作は、現役の弁護士の方々からも高い評価を得ているそうです。これはすごいこと。
医療ドラマや司法ドラマなど、職業ものでありがちなのが、「実際はこんなのないよ~」というツッコミです。
ドラマとしての盛り上がりを作るために仕方無いといえば仕方無いですが、そのお仕事への誤解のもととなる危険もあります。ゆえに、作り手は慎重にならねばならない。
例えば女性弁護士となった寅子に「女性の方はちょっと」と難色を示されるくだりがありましたが、現代でもあるのだとか。うーん、男女平等とは。
また、原爆裁判でのよねさんの口頭弁論における淡々とした話しぶりもリアルだったそうです。長々と自分の主張を語るのではなく、「~ですが」「~ということでしょうか」という短文で詰めていく感じ。
筆者は傍聴したことがないのでなんとも言えませんが、法律考証が入れられているのと同時に、綿密な取材に裏打ちされていることがうかがえます。
共亜事件(モデルは帝人事件)や原爆裁判、尊属殺重罰規定違憲訴訟など、実在の裁判(とくに尊属殺の裁判は、法律を学んだことのある者は誰もが感慨深く思い出す判例)を元に、弁論や判決文も史実をリスペクトした内容で、元ネタを調べたくなりますよね。
法廷シーンはすごく多いというわけではありませんでしたが、親権や財産権に関する争いなど、実生活に関連した事案が取り上げられていて、法律に興味を持つきっかけになる…かも?
法学部を志す人が一人でも増えてくれれば、勝手ながら嬉しい限りです。
3.今にも通じる「はて?」
この作品で印象に残ったフレーズといえば、寅子がもやっとすることに出会ったときに発する「はて?」という台詞。
「既婚女性は無能力者(=単独で法律行為を行うことができない人)として扱われる」ということに対する疑問に始まり、
「女らしいふるまいとは」「良き妻になるとは」「どうして女性が名字を変えることが前提なのか」などなど。
筆者がぱっと思いつくだけでもこれだけあります。そして、その問題の多くは今にも地続きだということ。
もちろん100年前に比べたらかなり進歩した方だと思います。しかしいまだに、女性はとくに「結婚しないの?」「子供は?」と訊かれることは少なくないのではないでしょうか。
14条「法の下の平等」はまだまだですね。
実際、NHKでも「はて?」を取り上げる特番や脚本家の方のインタビューetc.が放送されるなど、女性のみならず、これまで「ないもの」とされてきた多くの方々がこのドラマに勇気づけられていることがわかります。
疑問に思ったら泣き寝入りするのではなく声を上げること。その大切さをこの作品は伝えてくれました。
4.魅力的なキャラクター
「虎に翼」の良いところは、記号的な善人・悪人が出てこないということ。
「なんだこの人!いけすかないな!」という人が出てきても、実は…という面が出てきて、むしろ深みが増す人物造形でしたね。
たとえば、よねさん。筆者が一番好きなキャラクターでもあります。
すらりと背が高く、常にスーツを着込んで男装していて、言葉遣いもぶっきらぼう。女子部の中でも近寄りがたいキャラクターでした。
しかしそれに至るまでには身売りされかけた過去があり、男になりたいのではなく女であることを辞めるための男装だったのです。
よねさんはとにかくツンデレで頭が良くて格好いいのですが、なにより良かったのが恋愛・結婚を経ることなく人間として成長していったこと。轟とは一貫して恋愛感情抜きのコンビでしたし轟に同性の恋人ができても嫉妬するわけではなく「そうか」と言わんばかりの受け入れ方で、よねさんは終始誰とも恋に落ちませんでした。
もちろん恋愛・結婚するキャラが嫌いだとかダメだとかいうわけではありません。
ただ、どうにも「恋愛・結婚を経て成長していく」というパターンだけだと少々食傷気味というか、「結局恋しちゃうんだ」という名状しがたい落胆のような気持ちになってしまうので、こういうキャラが居るのはまさに、「自己決定権」「幸福追求権」が尊重されていると感じました。
周りが(特に轟関連で)お節介をしなかったのもポイント高い。
恋に落ちてもいいし、恋をしなくてもいい。
結婚してもいいし、しなくてもいい。
人間を成長させるのは必ずしも恋愛だけではなく、仕事でも時間の経過でも何でもいいのです。
最初は寅子たちに対して「めそめそ、へらへら、鬱陶しい」と言い放っていたよねさんが、何十年も経って原爆裁判や尊属殺で弁護人を務めたときは依頼人に寄り添って真摯に弁論するまでに成長されていて私は感無量でした(誰目線?)。
よねさんの相棒である轟も良いキャラでした。最初は、「笑止!男と女がともに学ぶなど無理だ」と最悪の第一印象から、悪ノリする花岡に対して「その発言はいただけない、撤回しろ」と諫めたり、ハイキングを全力で楽しんだりするなど純粋で男気あふれる姿に不覚にもギャップ萌え。
花岡の訃報が記された新聞を握りしめ、よねさんに花岡への思いを吐露するシーンは胸が締め付けられるような心地がしました。
数十年前もきっと存在したであろう、同性を好きになる人の幸せと葛藤を繊細に伝えてくれたと思います。
他にも、
・ホモソーシャルのノリに悩む花岡
・ちゃらんぽらんに見えて家庭裁判所に対しては誰にも負けない情熱を秘めた多岐川
・無愛想で冷たいようで、司法の独立を最重要視する桂場
・モラハラぎみの夫から逃げ子供たちを守るために法律を学ぶ梅子さん
…挙げたらキリがありません。
多種多様なキャラが、しかるべき存在理由をもって登場していたのもこの作品の魅力でした。もうみんなに会えないのが寂しい。
まだまだ書き足りないくらいですが、3400字くらい書いてしまっていますのでこのあたりで筆を置きたいと思います。
続編は書く…つもりです!(時間と気力が許せば)