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自閉ちゃんが生きる道を模索することにしたんです~はじまり~
ずっと書いてと言われていたのだけれど、なかなかスイッチ入らなくて逃げていました。(笑)
けれど、そろそろ期限。
何度も修正するだろうけれど、とりあえず今日書けることを書いておく。
とにかく、書いておく。
なぜ書く必要があるかは後々わかると思うので。
学びづらく、生きづらい子たちのサポートをしてきて気が付けば25年を優に超えていた。
幼くて通ってきた子たちは、節目節目で卒業していった。
幼児は中学生や高校生で。
中学生くらいに来た子は高校生や大学生、あるいは専門学校へ進学していった。
中には、公立の中学校から、高等支援学校に進み、社会人になり それでもしばらく勉強しに来た子も居た。通うのが遠くになり、途中で断念したけれど、それでもコツコツと積み上げた学力は小学生高学年に到達するほどになっていた。しかも可愛いお嬢さんに成長して。
今までも、これからも いつも目の前の子に必要な大人になるまでに大切なことが獲得できるようにサポートしてきた。
LDやADHD、不登校の子の学習指導で始まったサポートはいつの間にか
そんなことから大きくはみ出していた。
ワンデートリップ(遠足や日帰り旅行)はサポートが始まってわずか数年でスタートさせた。
いろんな人に助けてもらいながら、その都度都度活動していった。
その内、幼い子だけではなくって
中学生や、高校生、大学生、専門学校生に、ニートの人と
年齢が上がった子たちがやってくるようになった。
サポートをスタートさせるのが遅かった子であっても
家庭の協力があれば健やかに育ち、何とかみんなと混ざって生きていくことができるようになって羽ばたいていった。
「子どもの年齢がいくつであっても、子たちは発達し、成長して行くこと実感できていった。」
もちろん、私のところを途中でやめて言った子も居るけれど、それは、その家庭の価値観や考え方、教育方針と私が大切に思うことに相違が出てきてということで、その結果 やめることを選択されただけ。
当たり前のことだと理解している。
自由社会では「選択肢」があることが当たり前で、
学校でも習い事でも良いと思うところに進めばいいのだ。
けれど、障害や生きづらさを持っている子たちには選択肢がほとんどない。「ここしかない。」からそこに行くのだ。
公的な療育しかしらないし、他にあることを知らないから選択すらできないことが多いのが現実だ。
それでも、ネット検索したり、私の本を見つけてくれた貴重な人が私のところにたどり着き、私はこうして今日に至っている。
あ、そうそう、事業をスタートした南大阪ではNTTの電話帳を見て連絡くれた方がいました。
わたし以外のところで「学習障害児支援」とその頃書いてある学習塾など存在していなかったから。
その親子とは今もとても親密にさせてもらってる。最近は私の方がずっと応援してもらい、助けてもらっている。サポーターと親子の域を越えて。
縁とは本当に不思議なものです。
そして、今、居るサポートしている子たちの中に自閉ちゃんの若者が一人いるんです。とてもチャーミングで可愛い性格の子が。
もう、二十歳を越えているから子ども扱いしてはいけないのだけど。
彼のことについては、次回へつづく・・・(笑)
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