漫才とは価値観を楽しむ物か
前回、「漫才は話芸か、演芸か」みたいな話を書かせていただきました田中マーブルでございます。
私自身は、至って普通の一般人として生きておりますので、お笑い芸人でもなければ、それに関わるような職でもない事をこの場で明記させていただきますよ。
そんな素人ではあるものの、お笑いが好きで、
大学では少しばかり「漫才ってどんな物なんじゃろか?」という考察をしてレポートやら卒論やらを書く程度には真面目にお笑いと格闘してきた自負はございます。
そんな私、田中ですが、ふと思った事があります。
「漫才って価値観の提示ではないか?」
漫才の基本はボケとツッコミ。
ボケが常識とずれた認識を示し、ツッコミが正す。
基本的にはその流れでネタが進行してると思います。
では、そのボケとはただふざけているのか?
否、彼らは(舞台上では)本気で信じているのである。
本気でこんな事があるかもしれない、
本気でこんな人がいたら楽しいよね、
本気でこんな事を思っている、
それを舞台で訴えてるのだ。
その真剣さに我々は惹かれて、引き込まれてるのだ。
芸人の「こんな事あっても良いよね」という価値観の提示に、我々は真っ向から勝負を挑んでいるのだ。
想像力の化物から産み出される不思議な価値観は、我々を常識の外へと連れだそうとあの手この手で誘ってくる。
そこに誘われた我々は、すっかり漫才の世界に夢中になり、心酔し、そして、ツッコミで現実に引き戻される。
心地よい価値観の小旅行。
旅路を先導するはツッコミという名のガイド。
次々と繰り出されるボケという斬新な価値観。
我々は旅行で異文化という価値観を楽しむように、漫才という異世界の価値観を楽しんでいるのかもしれない。